Sugarcoat-シュガーコート- #11

第3話 Crybaby -4-


 職員室へ行く途中にある下駄箱のところで、叶多は教室へと向かう担任の金元とばったり会った。
「先生、ちょうどよかったです。あたし――」
「ああ、八掟、家から電話があったぞ。たいへんだな、おまえも。わざわざ北海道まで……」
 なぜか金元はしんみりと叶多に声をかけた。
「たいへん……?」
「具合が悪かったのはそのせいだったんだな。相手がいい奴だといいな」
「……へ?」
「いいから早く行け。健闘を祈ってるぞ」
 金元は意味不明の励ましを口にすると、心配そうな素振りをしているわりにさっさと受け持った教室へと行った。
 叶多は眉間にしわを寄せて少し首をかしげ、金元を見送った。

「叶多さん」
 見知らぬ声に名を呼ばれてビクッとしながら下駄箱のほうを向くと、そこには黒っぽいスーツを着たスマートな男が入り口に立っている。
 叶多は近寄って男を見上げた。
「えっと、和――」
和久井一寿(わくいかずひさ)です」
 和久井は云いかけた叶多をさえぎって、自らフルネームで名乗った。
「はじめまして、ですよね。あの、よろしくお願いします」
 叶多が頭を下げると、和久井は挨拶なのかどうかわからない程度に少し頭を動かした。

「叶多さん、初対面の人間と待ち合わせしたときは、相手が名乗るまで相手の名前を口にしてはいけませんよ。私が『和久井』でなかったら、そして『和久井』のふりをしたらどうなりますか?」

 一重の細い目は職業を勘違いしそうなくらい、強面(こわもて)の純和風な顔立ちを強調している。その目をさらに細め、和久井は能面のように無表情で、尚且つ比例して冷たく聞こえる声で叶多を(さと)した。
 叶多の中でつくりあげていた象と違っていることに戸惑って、和久井をまじまじと見つめた。戒斗が表現した“信頼のおける優男(やさおとこ)”とまるで正反対の人間が目の前にいる。

総領次位(そうりょうじい)とお付き合いなさるのであれば、それ相応の自覚を持っていただきたい。負担になってもらっては困るんですよ。我々、追従する者にとっても」

『総領次位』という堅苦しい言葉が“立場”を思いださせる。
「……はい」
 叶多がおずおずとうなずくと、和久井もうなずき返し、
「よろしい。行きましょう」
と背を向けた。

 慌てて上靴を脱いでペニーローファーと履きかえると、叶多はすたすたと急ぐ和久井を小走りで追った。
 校門を出ると、戒斗の送迎に使われている黒塗りの車が門に続く壁の脇に止まっていた。後部座席を開けて待っている和久井に礼を云い、叶多は車に乗りこんだ。
 続いて運転席に座った和久井が叶多を振り向き、後部座席のスポーツバッグを指差した。

「それは、八掟主宰の奥さまに用意していただきました。総領次位より奥さまへは連絡済みです。家に寄る時間はありませんから、このまま羽田へ向かいます」
 和久井は正面に向き直り、エンジンをかけると車を発進させた。
「素直に函館空港へ行けたらベストだったんですが、向こうの管制塔がトラブルを起こしてしまって離発着がストップしているので千歳行きになります。アクセスは問題ないほど簡単ですが時間が限られます。くれぐれも迷われないように」
 運転しながら、和久井はその後も淡々と説明を続けた。
「叶多さん、聞かれてますか?」
 相づち一つ打たず黙ったままの叶多に、和久井は肩越しに呼びかけた。
「和久井さん……」
「なんでしょう。わからないことがありますか?」
 呼びかけた叶多に、わからないはずはないという口調で和久井は素っ気なく問い返した。

「あの……和久井さんはあたしのこと、嫌いなんですか?」
 戒斗の心眼が間違っているはずはなく、叶多はそれを確かめたくて思わず訊いてしまった。
 一方で和久井は、まったく考慮していなかった叶多の率直な質問返しに、一瞬だけ返答に(きゅう)した。
「……叶多さん、私の説明、聞かれてましたか?」
「……ごめんなさい、聞いてませんでした」
 …………。
 叶多が正直に謝ると、和久井は呆れかえって黙った。と思いきや、和久井はいきなり声を出して笑い始めた。一瞬、車体がぶれ、叶多はヒヤリとする。
「失礼しました。総領次位が振り回される理由がわかったような気がします。今回のことも……実に興味深い」
 笑いを堪えながら云った和久井の声が少し柔らかくなり、伴って叶多の緊張も解けた。

 空港に着くと、手続きから搭乗するまで和久井は叶多に付き添った。
 戒斗から何を云われているのか、もしくは吹きこまれいるのかは知らないけれど、寝台車に乗るまでのことを何度も、わかりましたか、と繰り返し説明する和久井には閉口した。
 強面の顔は、思っていた和久井のイメージのままに柔らかくなったものの、また冷めた口調に戻られたら困ると思って、叶多はもういいと云い返したくなるのを耐えた。

「ゲートが開きましたよ。これだけしつこく云っておけば迷うことはないでしょう。私が総領次位のお叱りを避けられるかどうかは叶多さん、貴女にかかっていますから」
 和久井は叶多にプレッシャーをかけた。
 もっとも和久井は叱責(しっせき)を受けようが痛くも(かゆ)くもないといったふうに見える。
「大丈夫です。ありがとうございました」
「乗務員にも(ことづ)けてますから困ることはありません。では、お気をつけて」
 学校のときと違って深々と頭を下げた和久井に再び礼を伝え、叶多はゲートに向かった。
「あ、叶多さん」
 叶多が振り向いた先で和久井が意味ありげに微笑む。
 微笑むというよりはニヤつくという表現のほうが合っているかもしれない。

「おふたりでどうぞごゆっくり」

『ふたり』を妙に強調した和久井は、自分が呼び止めたというのに、早く搭乗するようにと叶多の背後を指差して促した。
 呼び止めてまでわざわざ云うことなんだろうか、と思いつつ叶多は一礼して先に進んだ。

 和久井が云ったとおり、飛行機内ではまるで小学生が一人で乗っているかのように、乗務員が度々伺いを立てにやってきて、甲斐甲斐しく世話をした。
 だんだんと断るのに疲れていく。
 千歳に着陸してやっと開放されるかと思っていたのに、今度はグランドサービススタッフが付いて同じ構内にあるJR駅まで案内された。
 聞いていたように迷うほどでもなく、ましてや案内してもらう必要もないほどで、心苦しく、時間を割いてくれた女性に叶多はひたすら謝意を伝えた。
 新千歳空港駅から三分ほどで着いた南千歳駅で寝台車を待つ間、客が(まば)らのなか、制服姿の叶多はなんとなく目立っているようで居心地が悪い。
 二十分くらいしてエンジの車体を先頭にブルーの車両を連ねた北斗星が入ってきて、叶多が立っている九号車と表示があるところでドアの部分がちょうど止まる。

 ロイヤルという席だったよね。
 心の中でつぶやきながらいちばん前でドアが開くのを待っていると、ドアのすぐ向こうに乗務員が待機しているのが見えた。
 その意味を察して叶多はそっとため息を吐いた。

「八掟さまですね。部屋までご案内致します。どうぞこちらへ」
 滞りなく情報は伝わっているようで、制服姿の叶多を一目見るなり、疑いもせずに先立って奥へと行った。
 案内された席は個室で、まるでホテルの一室だ。
 ウェルカムドリンクを持ってきた乗務員は、用があるときはインターフォンを使うように云い残して出ていった。

 叶多は窓際に座り、大きく息を吐く。
 へんに疲れて寝転がろうかと思ったときに携帯電話の音が鳴った。
『叶多、どうやら無事に寝台車に乗れたのね』
 どう巡って連絡が行くのか、千里は見えているかのように云った。
「うん。ずっと案内してくれる人がいたから。それより、お母さん、先生がなんだかヘンだったよ。早退の理由、なんて云ったの?」
『あーあれね。戒斗さんから電話があって慌てたらなんだか理由が思い浮かばなくって。だから、よくあるロマンス小説のパターンをつい云っちゃったの』
 千里は答えをはぐらかすように云い訳から始めた。
「だからなんて云ったの?」
『んー、だから……ウチの会社が倒産しそうで借金の形に遥々(はるばる)北海道まで、援助してくれる方とお見合いにって……』
「へ? ……だってウチは公務員でしょ?!」
『いまの時代ね、個人情報保護で親の職業なんて学校は訊いてこないのよ』

 千里は悪びれた様子もなく云い抜けた。
 加えて、今時にありえないような、まさに作り話を簡単に信用してしまう金元も短絡的すぎる。

「……そのまえに、北海道に行くって云う必要自体ないし、内輪で急用って云えばすむ話でしょ?!」
『だから、戒斗さんから電話があってすっかり舞いあがっちゃったのよ』
「どうして戒斗から電話があって、お母さんが舞いあがるの?」
『だって……ふたり、でしょ』
「……お母さん、云ってることがわかんないよ?」
 そう云うと、あら! と不思議そうに驚いた声を出し、次の瞬間には電話の向こうで千里は笑いだした。
「お母さん?!」
『ごめん、ごめん。叶多じゃあ、戒斗さんもたいへんねぇ。じゃ明日、お昼は戒斗さんのぶんも用意して待ってるわね。ふふふ』

 ふふふ……って……。

 答えるまもなく切られ、携帯電話を耳から離し、叶多はしばしキョトンと画面に見入った。

BACKNEXTDOOR


* 文中意 総領 … 家名を継ぐ人、跡取り