夏場になると、昼休み時間は風通しのいい中庭の木陰をめぐって陣取り合戦が始まる。女の子は圧倒的に不利な状況だ。
　こういうときは、ユナの“カレ”が同じ学内でよかったと思う。
　三年生になったいま、時田永と渡来陽が行くと、たとえ場所が空いていなくても、誰かが譲ってくれる。
　それは単(ひとえ)に永の迫力のせいに限る。
　永はモテるくらいの顔立ちなのに、表情や態度にどことなく凄みを滲ませている。その外見を裏切らず言動がガサツで、深層の令嬢とまではいかないまでも、男女問わず有名どころの生徒が多いなか敬遠されがちだ。

　高等部一年のヴァレンタインデーの日、逆パターンで同じクラスだった永から猛烈なアタックを受けたユナは、その押しに負けた形で付き合い始めた。
　それから一年半、ユナは永のことをやさしいと云うけれど、叶多は永のようなタイプが苦手なだけに、どこがそうなのかよくわからない。
　ただ、ふたりの仲がいいのは確かだ。

　ユナのカレシという以上、叶多も付き合わざるをえず、いまはその言動にも少し慣れた。
　渡来陽は戒斗も知っていたとおり、日本が誇る渡来自動車の若き現社長の長男で、さすがに育ちが良く、傍(はた)から窺(うかが)えば人当たりがよくて落ち着いている。
　中流よりは少しだけ上流に足を踏みいれたような、どっちつかずの家庭に育った叶多たちとは一見、話が合わなさそうな気もするけれど、陽からは驕(おご)った感じが見受けられない。
　むしろ、この四人でいるときは普通すぎる。
　加えて叶多には手厳しい。
　よって叶多は陽も苦手としている。
　陽と永は叶多とユナがそうであるように、中等部からの付き合いだ。陽の人当たりの良さを気に入らなかった永が若気、ではなく幼さの至りで、陽に喧嘩を吹っかけたことがきっかけらしい。細身なのに陽は意外と体力勝負に強いようだ。
　そこからどこをどうやって仲良くなるのか、叶多にとって男子の生態は謎だらけで、戒斗に至ってはデータがゼロに近い。
　学校ではこの四人でいることが多く、帰りの寄り道も必ず一緒で、周りからはダブルでカップルだと思われている。
　涼しげに整った顔でおまけに大金持ちとくれば、陽は必然的にモテる環境にあった。
　いくら感覚的に天然ぽいと自覚している叶多でも、なんとなく女の子からの風当たりが強いと感じるときがある。
　身に覚えがなく、それにも増して戒斗という想い人がいるだけに、理不尽だと文句が云いたい気分になることもしばしある。
　付き合ってるの？　と訊かれて叶多が否定するも、信用されていない。
　逆にこういう状況だからこそ、戒斗のことを二人が喋ったところで誰も信じないだろう。
　かえって陽がへんな立場に置かれるに違いない。

　叶多とユナは食堂で買ったパンと缶コーヒーを持って中庭に行くと、定位置になった銀杏(いちょう)の木陰にいる永と陽のところへ急いだ。
「八掟、パン」
　云いながら手を差しだした陽の手に叶多はカレーパンを載せ、ユナも永に手渡した。
「なんだよ、ビーフのカレーパンじゃない」
「人に頼んでおいて贅沢(ぜいたく)だよ。食堂で買うの、大変なんだから」
　叶多はユナに続いて芝生の上に座りこんだ。
　陽はいつものように早速、やさしくない一言を叶多に浴びせる。
「渡来くん、叶多を苛(いじ)めないで。けっこう頑張ってたんだから」
「けっこうって何？」
「あ、けっこう、じゃなくて、すんごく、だった」
　ユナのせっかくのフォローもフォローになりきれていない。叶多が詰め寄ると、ユナはおどけて訂正した。納得がいかないまま、食べよ、というユナの言葉を合図にそろって食べはじめた。

「叶多、戒斗さんとは会えそう……じゃないのね」
　ユナは食べ終わる頃にとうとつに問いかけた。
　朝からこのことに関して口にしないということと、いま曇っていく叶多の表情を見て、質問したはずのユナは自分で答えを出した。
「しょうがないから。ちゃんと電話で話せるし、大丈夫」
　首をかしげた叶多は、ユナからすると、半ば自分に云い聞かせているように見える。
「まあねぇ……あたしからすればテレビの向こうの人だし、遠距離恋愛っぽい」
「……制約ってやっぱりあるのかな」
「そりゃ、あるに決まってんだろ」
「たとえ所属事務所とはなくても、ファンの制約は間違いなくあるな」
　永に続いて陽が駄目押しをした。
「そういうこともあって会えないってことなのかもね」
　ユナが云うと、叶多は大きくため息を吐いた。

「おい、行くぜ」
「おう」
　弁当持参のうえ、パン一個をぺろりと平らげた永と陽は、突然、声をかけあって中庭の中央に集まった同級生たちと合流し、サッカーもどきをして遊びだした。
　食べてすぐに動き回るなんて胃が痛くなりそうだ。しかも暑いというのに、彼らはものともせず走り回っている。

「叶多、障害が多いだろうけど頑張るんだよ？」
「うん。いままで待ったことを考えると小さいことだもんね」
「んー、やっぱり会ってみたい。どんな人なのか、テレビじゃわかんないし。叶多から聞いていた戒斗さんと戒のイメージが違うのよね。あたしが勝手にイメージしてるだけなんだろうけど、どういう人なのか知らないと、安易に叶多をなぐさめても全然実らない感じ」
「ありがと」
　叶多はくすっと笑った。

　友だち関係でずっとまえに嫌な、というより悲しいといえる経験があるからこそ、ユナという存在は叶多にとってこの上なく心強い。
　青南学院に編入してきた中等部の入学式の日、叶多が座る席を一つ間違えていて、それを指摘できずにいた正当な席の主のかわりに、ユナが叶多に声をかけた。それが仲良くなった始まりだ。
　誰かと友だちでいることに臆病になっていた叶多にとって、ユナとの出会いは奇蹟かもしれない。
　おかげでいまはほかの友だちとも普通に付き合えるようになった。
　考えようによっては、千里がこの学校を熱心に勧めたのは、制服の可愛さよりも、叶多の環境を変えるためだったとも思える。
　いずれにしろ、戒斗のこともユナのことも、千里には御(おん)の字だ。

「今日は夜のライヴなの。いま電話してみたいんだけど……」
「どうぞ。耳、ダンボにしてる」
　プッと笑って、叶多はスカートのポケットから携帯電話を取りだした。
　コールが八回目になるとそっと叶多はため息を吐く。
　今日、話すのは無理かもしれない。

「誰に電話してるんだ？」

　頭上から声が降りかかると同時に、耳に当てていた叶多の携帯電話が取りあげられた。
　驚いて小さな悲鳴をあげた叶多は陽を振り仰いだ。
「返して！」
「戒か」
　陽は叶多の携帯画面を見て、そうつぶやいた。
　叶多は立ちあがり、携帯電話を取り返そうと手を伸ばしたところで陽の背の高さには程遠く、さらに頭上に持ちあげられては届くはずもない。
「返して！　もう切らなきゃ！」

　かざした携帯電話を見ていた陽はわずかに顔をしかめ、手を上げたまま叶多を見下ろした。

「なんで切らないといけないんだ？　話したいんだろ？」
「だってすぐに電話を取れないときは忙しいってことだから。戒斗に迷惑かけちゃだめなんだよ」
「渡来、返してあげて！」
「おまえ、こいつに騙されてるんじゃないか？」
　ユナが諌(いさ)めたのを無視して陽は叶多を追い詰めようとする。
「そんなことない！」
「全然、世界が違うだろ。ああいう世界ってただでさえドロドロで単純じゃない。見た目、上級の女が選(よ)り取り見取りで転がってんのに、本気で戒がおまえみたいなガキを相手すると思ってるのか？」
「わかってるよ、それくらいっ。だけど……好きなんだからいいの！　あたしは戒斗がうるさいって云うまで一緒にいられればいいんだから……っ……」

「渡来っ、叶多を泣かせないでよ！　永っ、渡来をどうにかして！」
　不安に思っていたことを指摘されて昨日から堪えていた涙が止められず、泣きだした叶多の傍で、完全に怒ったユナが中庭に響き渡るほどの大きな声をあげて永に助けを求めた。

「陽、おまえ、やりすぎ――」
「悪かったよ」
　急いでやって来た永の言葉をさえぎって謝ると、陽は携帯電話を閉じてユナに渡し、プイと身を翻して立ち去った。
「陽！」
　永が後を追っていく。

「泣くまでやらなくても……もう、なんて奴！」
　叶多に肩を貸したユナが耳もとで毒づいた。