Sugarcoat-シュガーコート- #8
第3話 Crybaby -1-
戒斗がしばらく会えないと云ってから二週間。夏休みはもう目のまえに控えている。
叶多は部屋に入ると遮光カーテンを開き、レースのカーテン一枚にしてバッグを机の上に置いた。
南向きの部屋は明るくて好んでいるけれど、夏場に学校から帰ったときのむっとする感じはいただけない。それだけで疲れが倍増する。
千里が気を利かせてエアコンをつけてくれればいいのに、そう頼んでみたら帰る時間が当てにならないからと一蹴された。
確かに、気紛れで寄り道することは多々。かと云って帰るコールするのはつい忘れてしまい、家に着く頃になってから思いだす始末だ。
戒斗へ電話したい気持ちは思いだすまでもなく、ずっとあるのに。
電話していいと云った、のではなく迷う必要ないだろうと云われて電話をかけるものの、戒斗が電話を取るのは数えるほど。おそらく半分もない。
叶多はとりあえず扇風機で暑さを凌ぎ、床に座りこんでベッドに寄りかかった。
ようやくクーラーがきいてきて汗が引きはじめた頃、叶多は携帯電話を開いて番号を呼びだす。七回のコールで通じた。コールは長くても十回までと決めている。
通じたとたんに、わさわさとした人の気配と楽器の雑音が聞こえた。
「戒斗、仕事中? 音が聴こえてる」
『明日のリハーサルやってるけど、いまはちょうど休憩時間だ。スタッフが音の調整をしてる』
「順調?」
『当然』
「戒斗、えっと……明後日はこっちに帰ってくるって云ってたよね?」
『ああ』
「……会いたい」
『そっち、行く暇がない』
「だったら、あたしが戒斗のとこに行く。土曜日だし、戒斗の家に――」
『日曜日に横浜でやるライヴの最終打ち合わせがあるし、何時に帰れるかわからない』
会いたいと云うだけでも、叶多がどれだけドキドキしているのかを知らない戒斗は淡々とさえぎった。
「帰るまで待ってるから――」
『叶多、おまえはまだ高校生だし、無茶やるわけには――』
「冗談だよ! ちょっと……戒斗を困らせようと思っただけ」
戒斗に最後まで云わせないまま、努めて明るく云い訳をすると、叶多は少し上を向いて涙が零れないように目を瞬いた。承知することはないだろうと見当をつけていたにもかかわらず、実際に戒斗の拒否を聞くと自分の立場が曖昧になっていく。
『叶多――』
「ユナがね、夏休みにこっちでライヴやるときに行きたいって。それで彼氏の時田くんと親友の渡来くんも。チケット、取れないかな」
戒斗の声が聞こえないふりをして叶多は話題を変えた。
泣き虫はいつまでたっても直らず、これ以上に戒斗の口からなだめる言葉を聞いたら、せっかく堪えた涙が溢れてしまいそうだ。
普通に声が出せているはずなのに、戒斗は返事することもなく不自然に沈黙した。
「……戒斗、聞いてる?」
『ああ、聞いてる』
そう云っただけで戒斗は答えない。
「それで……取れるの……? えっ……と……怒ってないよね?」
『何が?』
「喋っちゃったこと。云っとくけど、あたしがお喋りってわけじゃなくて、時田くんと渡来くんには盗み聞きされたんだからね」
叶多が云い訳をすると戒斗が電話の向こうで短く笑った。
『怒ってない』
「ユナはいちばんの親友だから信頼できるし、何も問題ないんだけど、時田くんたちは会わせてくれないとバラすぞって……でも云っても誰も信用しないかな。あたしもなんだか……」
叶多は云いかけてやめた。
現実ではない感じはやっぱり会えないだけに日増しに募っていく。
電話していても声は近くにあるけれど、間に迂回経路がたくさんあってまっすぐに通じていない感じがする。
『……なんだ?』
「ううん、なんでもない。時田くんたちのことはきっと大丈夫」
『チケットは取ってやるよ』
「うん」
『叶多、渡来って渡来自動車の奴か?』
「うん。知ってるの?」
『面識はないけど、無論だ。有吏である以上、世界でもトップクラスの企業は押さえていて当然だろ。トップの長男がおまえと同じ高校にいるのは知っていた。仲いいとは思わなかったけどな』
「仲がいいってわけじゃないよ。ユナの彼氏の友だちだから一緒にいることが多いんだけど、かえって意地悪。人の云うことにいちいち揚げ足をとるし、すれ違うたびにいっつもあたしの頭を叩いていくし」
『ふーん……』
「どうしたの?」
『いや』
何かに頓着していそうな声だったけれど、戒斗は語らないまま、それで? と叶多に時間を明け渡した。
叶多が取り留めのない日常の出来事を話し続けている間、戒斗はただ聞いているだけで、返ってくるのはいつもと同じく、ほとんど相づちの単語ばかりだ。
叶多からの電話を取れなかったときは日中夜を問わず、お返しの電話はあり、よって毎日、話す時間はあるものの、本当に聞いているのだろうかと叶多は疑っている。
けれど叶多にしてみても、話す内容なんてどうでもいい。
ただ息遣いがそこに感じられるのなら。
『叶多、時間だ』
話題が一区切りつくのを待って、電話はこんなふうにとうとつに戒斗から終わりを宣告される。そうされなければ叶多は延々と話していることには違いない。
「……うん。ありがとう、忙しいのに電話に付き合ってくれて」
『叶多、それって……』
「何?」
言葉を途切れさせた戒斗に、叶多は屈託なく問い返した。
『いや、嫌味かと思った』
戒斗の声には笑みが感じられる。
「……嫌味……って?」
『なんでもねぇよ。じゃあな』
今度ははっきりと声に出して笑うと、戒斗の電話は切れた。