Sugarcoat-シュガーコート- #7
第2話 Confusion -3-
トントン。
…………。
叶多の部屋の前に立ってドアをノックしたが返事がない。
「叶多、入るぞ」
ドアを開けて部屋を見渡すと、ベッドの上に眠っているパジャマ姿の叶多を見つけた。
戒斗は中に入って部屋をぐるりと見回した。
家具も買い換えられたようで、家庭教師をしていたときとはずいぶんと様変わりしている。
やたらと転がっていた動物のぬいぐるみに変わって、趣味になったのか、カラフルでいろんな形をしたガラス瓶が窓枠や棚の上に並んでいた。
「叶多」
戒斗はベッドに近寄るとかがんで呼びかけた。
「ん」
返事はあるものの起きる様子はない。
手を伸ばして横向きに眠っている叶多の頬にかかった髪を後ろにはらうと、顎から首にかけての細いラインが露わになる。この部屋と同じように、叶多のラインは幼さを抜けだしていた。
華奢な首筋に触れる寸前、思い直して戒斗は手を引っこめた。
「叶多」
もう一度、戒斗は呼びかけた。
「……戒斗……?」
叶多は戒斗の声を認識したようだが目を閉じたままだ。
「ああ」
「電話したの……出てくれなかった」
「だから来たんだろ」
「戒斗に……会いたいんだって……」
「誰が?」
「友だち……」
脈略のないことをつぶやく叶多は明らかに夢の中で会話している。
「寝ぼけてないで起きろ」
戒斗は心持ち声を大きくして叶多の鼻を摘んだ。
とたんに叶多は目覚め、驚いて起きあがるとベッド脇に立った戒斗を見上げた。
「寝るのが早くないか?」
自分を見上げる叶多の格好をまるで犬みたいだと思いながら、戒斗はベッドの端に腰を下ろして笑った。
*
いつの間に来ていたんだろう。
叶多は状況を把握するまでのつかの間、きょとんと笑う戒斗を見上げた。
我に返って枕もとに転がった時計が九時半を差しているのを見ると、叶多は決まり悪そうに口を尖らせる。戒斗の問いの裏に、小学生のままだなという言葉が聞こえそうだ。
「いつもはもっと遅いよ。昨日、あんまり眠ってなくて」
「興奮して眠れなかったとか?」
戒斗は理由を素早く見当つけておもしろがっている。
「知らない!」
「明日からしばらく身動きとれない」
ツンと怒った叶多の瞳を笑って見ていた戒斗がとうとつに告げた。
「……仕事、忙しいの?」
「デビューしたばかりで売りこみに力を入れてる以上、休みはないし、全国ツアー中で明日からこっちを離れる。行ったり来たりで会える時間がない」
「……うん」
「なんだ。てっきり、やだ、とか云ってダダ捏ねるかと思ったんだけどな」
からかっているのか、がっかりしているのかわからないような曖昧さが戒斗の声から聴き取れた。
「だって……」
叶多はさきを云えず、ためらうように戒斗を見て、戒斗は叶多が云うのをじっと待っている。
「えっと……電話は……していい?」
そう訊ねると、戒斗はふっと笑った。
「たったそれだけのことを訊くのに何を迷ってるんだ?」
「だって夕方の電話には出てくれなかったし。なんていうか……とにかくすごく勇気がいるの」
「なんだ、それ?」
「わかんない」
叶多は困ったように首をかしげた。
「よくあるよな……」
ボソッと口にした戒斗は叶多の後ろにあるポスターに目を移した。
「何?」
「どうしても手に入れたいっていうおもちゃがあってさ、やっと手に入れた瞬間に興味を失くすっていうパターン」
戒斗が云っていることを理解するのにしばらくかかった。
「そんなに子供じゃない。戒斗はおもちゃじゃないよっ」
そう叫んだとたんに戒斗は叶多に視線を戻してにやりと笑った。
叶多は云わされたと気づいた。
「ずるい」
「おまえが戸惑ってるみたいだから」
叶多は少しくちびるを突きだして、顔をしかめた。
「……ホント云うと、ホントにどうしていいかわかんないの」
「何が?」
「男の人と付き合ったことないし、ずっと片想いだったし……戒斗はあたしのことをよくわかってるんだろうけど、あたしからは全然わからない。だから……頼が云うの。現実は厳しいって」
「話、繋がってるのか?」
「頼が……あたしを選ぶなんて戒斗の趣味が悪すぎるって……」
半ば呆れていた戒斗は吹きだして笑った。
「笑わなくても……」
「それで自信がなくなったってわけだ。頼に云っとけ。見る目、養えって」
戒斗は可笑しそうに叶多を見つめる。
「後悔……してないの?」
「……なんで?」
戒斗は前髪が少しかかった目を細めた。
「昨日……早まったって云ってたから……たぶん、会いたいって思ってるのはあたしだけだし……」
「……なら、おれはいま、なんでここにいるんだ?」
「えっと……」
叶多は困惑して口ごもると、素早く考え廻る。
「えっと……あたしに……会いたかった?」
戒斗は小さく笑みを漏らして肩をすくめた。
叶多の痞えが消えた。
「早まった……って?」
「聞き流せよ」
「……?」
叶多は首をかしげた。
「……純粋に時間が早すぎたかもしれないってことだ」
「どうして?」
「それ以上はおれの問題。とにかくおまえが気にすることじゃない」
答えるのが嫌そうに、戒斗にしてはめずらしく目を逸らした。それから立ちあがって叶多を見下ろした。
「じゃあな。これから有吏の家に行かなきゃならない」
「明日から……どれくらい会えない?」
叶多は云いながらベッドから慌てて降りた。
「わからない」
変わらずあっさりとした返事で、それは正直なところなんだろうけれど、叶多は約束が欲しかった。
応えてくれたからといって、それとさみしいのは別問題だ。
叶多は口を尖らせて不満を顕わにした。
「いいよね。戒斗は余裕があって」
「そう見えてるんなら本望だ」
嫌味を云っても、返ってくるのは平然とした答え。
「いつ会えるの?」
叶多はむっつりとして訊ねた。
「わからないって云った」
「だめ。いつって云ってくれないと」
叶多が幼い頃そのままに駄々を捏ね始めると、戒斗の瞳はおもしろがった、あるいは楽しんでいるような表情を映しだした。
「無理だ」
つれなく答えられると、叶多の瞳が潤んで揺れる。
「昨日、云ったようにあたしは待たないから……」
「待たないでどうする?」
「……」
叶多はくちびるを咬んで涙を抑えこむと、どうやったら動じない戒斗に報復できるのか方法を探った。
思いついたのは一つだけだ。
「抱っこしてもらう!」
叶多はいきなり戒斗の腕に飛びこんだ。
戒斗がハハッと声を出して笑いだす。
「やたらと抱きつく癖、直ってない。やっぱ、早まったな」
戒斗はその後悔を示す言葉とは裏腹に、腕を回してふんわりと叶多を包んだ。
「戒斗のハグ、大好き」
戒斗が大きくため息を吐いた。
「おまえ、狼に遭遇したことないだろ」
* The story will be continued in ‘Crybaby’. *