Sugarcoat-シュガーコート- #5
第2話 Confusion -1-
寝不足が祟って、学校の授業中、叶多は何度も欠伸をかみ殺す。三時間目の世界史はテノールの歌手が子守唄を歌ってるように聞こえた。
昨日、戒斗と会えたばかりか、五年経ってやっと戒斗は叶多に応えた。
楽しみにしている旅行をまえにした小学生の子供みたいに落ち着かなくて眠れなかった。もっと正確に云うなら、朝起きたら夢だった、とならないように眠るまいと頑張った。
戒斗にはガキだなと云われそうだけれど。
頑張ってはみたものの、結局はいつの間にか眠っていて、朝は千里に叩き起こされた。
夜の出来事だっただけに、朝になるとやっぱり夢だったような気がした。
「叶多はともかく……戒斗さんが……叶多を……ねぇ……」
朝食の席で、自分の娘に向かって失礼な云い方をした千里は、目の前に座った叶多をしみじみと見て信じられないとばかりに首を横に振った。
「戒斗さんは変わってるからな。有吏の名を持ってるのに家を出てまでバンドをやりたいって気持ちがわかんねぇ。おれは世界を牛耳るほうがおもしろいと思うけどな。その点、維哲兄ちゃんのほうがすげぇよ。おまけに叶多なんて趣味が悪すぎだ」
叶多が有吏一族の実情をある程度知っているとわかった頼は、これまで以上に容赦ない言葉を叶多に向けた。
「あんたね――!」
「頼、お姉ちゃんを呼び捨てにしないの! おまけにその言葉遣い、やめなさい!」
叶多をさえぎって千里が頼を叱った。
「戒斗さんが叶多でいいって云ってるんだからいいのよ」
……でいい?
叶多はかすかに疑問を持ったけれど、身分的に解釈すればそういうことになるんだろうと考えた。
「ロマンティックよねぇ。大人になるまで待ってる恋なんて」
いい年をしてハートマークが浮かんできそうな様子で云うと、千里はまるで自分のことのようにニヤついている。
そういう千里自体、哲とは十五年越しの恋を実らせていまに至っている。
哲には若い頃、相思相愛の女性がいたのに事情があって一緒になれず、その女性が亡くなった一年後に千里と結婚した。
どんな事情だったのか、叶多にはいまだに教えてくれない。
その女性との間に産まれた子供が織志維哲で、叶多が三才の頃から三年くらいは一緒に住んでいた。
その後、維哲と哲の間で何かあったらしく、突然に家を出た維哲と八掟家はしばらく音信不通だった。いつの間にか仲直りをして、いまではたまにそろって食事をしたりする。
千里は叶多や頼と同じように維哲に接する。そういうところは、千里の哲に対する愛情の深さなのだろうと思う。
哲もまた、維哲の母の死まで千里と結婚することなく、それはその女性への敬意であったろうし、いまは子供の叶多から見ても、千里への愛情が見て取れるくらい仲がいい。
こういう経緯をかんがみれば、千里に比べると、叶多の五年なんて“たかが”となってしまう。いずれにしろ、夢見る乙女、なのは両親譲りなのかもしれない。
「いまはロマンティックでもいつまで続くかが問題だろ。現実は厳しいからな」
そう水を差した頼は席を立ってリビングを出ていった。
「ほんとに……私の子かしら……」
いってらっしゃい、と頼の背に声をかけたあと、千里は真面目につぶやいた。
学校に来て変わらない日常があると、余計に、夢かも、と感じないでもない。今朝の会話が――あまり納得のいく会話ではないけれど、唯一、現実にあったことだと叶多に確信を与えている。
「叶多、今日はやる気なし? なんだか、ボーっとしてるよ?」
昼休みになって隣の一組からお弁当を持ってきた親友の榊ユナは、叶多の前の席の椅子を反対に向けて座った。お弁当箱さえ出していない叶多を心配そうに覗きこむ。
「ううん。ちょっと寝不足なの」
云いながら、叶多はまた欠伸をした。
「昨日、何かあったの?」
ユナに訊かれたとたん、昨日のことを思いだした叶多の頬が見逃せないくらいに緩む。
「あ、やっぱり何かあったんだ! 何?!」
「えっと……ね……昨日、FATEのライヴに行ってきたの」
お弁当箱のふたを開けていたユナの手が止まる。
「もしかして……“戒”と会えたの?!」
「ユナ、声が大きいよ!」
抑えた声で叶多がたしなめると、びっくり眼のユナはきょろきょろと辺りを見回し、顔を近づけてきた。
「それで、会えたの?!」
声を潜めて問い質したユナに、叶多はうなずいて答えた。
「え――……っ」
叶多は慌てて目の前のユナの口をふさぐと、周囲の同級生たちに目をやり、笑ってごまかした。
「それで?!」
叶多の手を外すと、ユナはさきへと急かす。
「ここでは話せないよ。ただでさえ校則違反してるし」
通っている青南学院は幼稚園から大学までエスカレーター式で、校則がそれなりに厳しい。ライヴに高校生一人で行くなど、とんでもないことだ。
叶多は中学受験をして青南学院に編入し、一方でユナは幼稚園から通っている。
そもそも戒斗を好きになるほど知るきっかけとなったは、青南学院を受験しようと決めたことにある。
叶多の意志ではなくて千里の意志だ。
ただ単に制服が可愛いからと、自分が着られるわけでもないのに、娘に託した千里が家庭教師を検討するにあたって、その白羽の矢がなぜか戒斗まで巡った。
なぜか、というところはやっぱり謎だ。
夏休みを目のまえに控えたいまの季節、白いブラウスに、クリーム色とグリーン系のタータンチェックという、ベストとスカートの制服は確かに可愛い。
それだけで娘の将来を左右するのもどうかと思うけれど、戒斗と近づけたのは人生最大の幸運。
千里にはきっと一生、頭が上がらないだろう。
ユナは中等部一年生のときに同じクラスになって以来の親友だ。
可愛いというよりはきれいな顔立ちのユナは、肩までの髪をふわりと少しカールさせて大人っぽい。
逆にきれいというよりはせいぜい可愛いというタイプの叶多は、学校にいるときはストレートの長い髪を二つに結んでいるせいで、余計に幼い印象を与える。
けれど、いまはユナのほうが子供っぽく好奇心いっぱいの表情をしている。
「聞きたいっ」
「ごはん、食べてから、ね」
「ラジャ!」
云うなり、ユナは作ってもらったお弁当を味わう間もなく、次々と口に運んでいった。
「それで?」
校舎の屋上で出入り口の日陰を陣取り、近くに誰もいないことを確認するとユナは待ちかねたように催促した。