Sugarcoat-シュガーコート- #2
第1話 Find up -2-
会場の出入り口に余裕ができたころ、叶多はようやく立ちあがった。
係員が早く帰れと急かすように会場を点検し始めている。
立ち止まることもなく、叶多は流れに沿って出口を潜った。
「あの……」
いったんそこを通り過ぎて振り返ると、出入り口の担当をしていた女性の係員に声をかけた。
「FATEは何時頃、ここを出るんですか?」
答えが返ってくるとは少しも思っていなかったけれど、会いたいという気持ちが強すぎて、叶多は無駄な足掻きをした。
「申し訳ありません。聞かされていないことですので」
女性はすまなさそうに答えたけれど、内心では知っていても教えるわけないと吐き捨てているのかもしれない。
名前を云って伝えてもらえば……。
ふと、そんな考えがよぎったものの、ファンがよく使う手口だと思われるだけだろう。
また大きくため息を吐いて、叶多はすっかり夜になった外へと出た。
梅雨半ばの夜は湿気を漂わせ、花模様のシフォンのミニワンピースが躰に纏わりつく。めずらしく晴れ渡った昼間の太陽が影響を残し、その暑さと相俟って余計に不快に感じた。
その不快さが叶多の中に正体不明の気持ちを募らせていく。
正面の長い階段を下りて通りに出ると、右に曲がって駅へと歩き始めた。すぐ先にあるホールの地下駐車場出入り口ではちょっとした人だかりができている。
「ねぇ、ほんとに通るの?!」
「間違いないよ。インディーズ時代からのファンから聞いたんだから!」
「ファンサービスはちゃんと最後までやってくれるんだよ!」
近づくまでもなく、興奮した声が届いてくる。
その内容を把握したとたん、叶多の鼓動が大きく跳ねた。
ここで待ってたら……会場よりは近くで戒斗を見られるかな。あたしを見つけてくれるかな。
叶多はファンの群れよりは少し下がって様子を見守った。
ファンはそわそわして、時折、興奮状態がピークを超えたような悲鳴もあがる。
なんだろう。
やだな、という気持ちがだんだんと大きくなっていく。
何かが叶多の胸に痞えていた。
二十分くらい経ってから、やっと地下駐車場から車のエンジン音が聞こえてきた。と同時に、歓声がその音をかき消す。
まもなく窓のカーテンを開放したマイクロバスが、心持ち速度を緩めて外へと出てきた。
白色の街灯がくっきりとFATEの存在を映しだすと、ファンのボルテージが一気に上がった。警備員に制御されつつ、それぞれにひいきしているメンバーの名を呼びながら大きく手を振っている。彼らは軽く手を上げてその声援に応えた。
ファンたちから少し離れた位置に立っていた叶多は、戒斗の姿を見分けたとたん走りだしたい衝動に駆られた。ステージよりは確かに近い。
でも……やっぱり遠いよ。
心とは裏腹に足が動かなかった。
声さえも出せない。
ここまで来たのに。
大声で泣き叫びたい。
そう思って見ていると、ファンを追う戒斗の視線が上向いて、ポツンと一つ飛びだした叶多のほうへと延びてきた。
どくん。
大きく心臓が跳ねる。
けれど、その視線が叶多に止まることはなかった。
驚きも何もない、ほかのファンに対するのと同じように戒斗の瞳は叶多の上を素通りした。
……どうして? あれは……幼かったあたしが夢の中で見た約束?
マイクロバスは道路に出ると、スピードを上げて去っていった。
瞳が合ったのは気のせいだったのか、驚くほどの呆気なさにしばらく呆然として、ファンが分散していくなかで長い時間、叶多は身動きできずに立ち尽くしていた。
ライヴを終えた後の高揚した気分が急激に失せ、戒斗は考えこむように眉間にしわを寄せた。
「戒斗、どうした?」
FATEのドラマー、藍岬航が戒斗に声をかけた。
「いや……」
そう云いつつも、戒斗はさっきのことに気を取られた。
マイクロバスはだんだんと会場から遠ざかる。
しょうがねぇな……。
「木村さん、ちょっと車を止めてもらえませんか」
戒斗は立ちあがるなり、マネージャーの木村に声をかけた。
ようやく帰ろうという気になったときはファンの姿はすでに消え、数少ない通行人が歩道に突っ立った叶多を不審に見ながらすれ違った。
歩きだすとようやく考えも巡りだし、それとともに叶多の記憶が自信を失っていく。
戒斗を想うあまり、自分が自分に見せた夢だったのかもしれない。別れという現実のなかで強すぎる願望が、せめて、と空想の産物をつくりだしたのかもしれない。
あたしは……やっぱり子供だったのかな。
そう思うと、五年という月日はやはり長かったのか、混乱して曖昧になっていった。
あたしの気持ちはどこで“好き”というところまで大きくなったんだろう。
たまに連れていかれた有吏家では、いつも隅のほうに女の子たちと固まって、めったに本家の戒斗とは話す機会がない。めったに、というよりは、まったく、のほうが合っているだろう。
本家と分家の交流に使われる逢瀬の間の下座と上座では、学校の体育館の端と端のように距離があった。
維哲に云ったとおり、有吏のお屋敷はそれほど広い。
その物理的な隔たりのまえに、物心がついているかいないかの叶多と、しっかりと自分の地位を意識していた戒斗には普通に考えて接点がない。
いまの頼と同じく年のわりに妙に落ち着いていた、戒斗とその兄、拓斗を敬うように扱っていた父や伯叔父たち。
そういう特殊な風景を維哲に教えられるまでまったく不思議に思わないあたり、幼さを差し引いても、やっぱり叶多は鈍感で思いこみが激しいのかもしれない。
近づいたきっかけははっきりしている。中学受験で戒斗が間に合わせの家庭教師をしてくれたことだ。
普通なら大学の受験生という戒斗は、いま叶多が通っているエスカレーター式の青南学院生で、そこではある程度の成績を修めていれば順当に進学でき、当然、戒斗は文句なしの成績を残していた。
とにかく、そうなった経緯はよくわからないし、どうでもいい。そのあとに育った、好き、という感情が大きすぎて、叶多はそれがすべてになった。
うつむいてトボトボと歩いていると、アスファルトの模様が迫ってきて目が回りそうになる。
ますます、自分に自信がなくなってきた。
……あ! でも……。
『戒斗くんから、おまえには教えるなって云われている』
何度も聞かされた父のセリフを考えれば、叶多と戒斗の間に“何”かあったことは事実。
そう思い至ると、持ち前のポジティブ根性が活躍する。
うん、そうそう。なんか自信出てきた。何もなかったら、戒斗がそう云う必要なんてないし!
「やっぱり、戒斗のバカやろう、だ!」
交差点に気づいて立ち止まると、思わず力を込めて叶多は口に出した。
「おれがバカだって?」
へ?!
目を大きく見開いて顔を上げた。
ほんの五メートルくらい先に声の主が立っていた。
最後に見たときも大人だと思っていたのに、それに加えて自信という鎧を身につけたように確かな余裕がそこに見えた。
「か……戒斗?!」
黒尽くめの服に、腰にはシルバーのチェーンと、ステージでの格好そのままで、叶多の気持ちを知ってか知らずか、涼しげな瞳に笑みを浮かべている。街灯の下、チェーンがキラキラと反射した。
「小学生から成長してないのか? 相変わらず歩くのが遅い。待ちくたびれた」
交差点の道路越しに戒斗が云った。
違う。待ってたのはあたしなんだよ。
そう思った瞬間に、叶多は駆けだした。
なぜか、戒斗とは反対の方向に。