魂で愛する-MARIA-

第12話 裸足のアイ

# 92

 藤間一家の表口には、来たときにはなかった黒塗りの車が十台近く止まっていた。そのうち、窓さえ黒くて内側が一切見えないという車を選び、吉村はあたしを後部座席におろした。
「アツシ、一緒に乗れ」
「はい」
 そう云ったあと、吉村も後部座席に乗りこんでくるとわかってあたしは奥へと躰をずらした。
 助手席にアツシが乗り、運転席に乗っていた男がエンジンをかけた。
「アツシ、大丈夫?」
「心配してもらう資格はない。怖い思いをさせて悪かった」
 その返事を合図にしたかのように車が発進する。数台がさきに行ったあとに続き、この車のあとをさらに残った車がついてくる。

 吉村の顔を見たくても、吉村が顔を合わせないようにしていることを知っているから、そうするのはためらわれる。
 会いたくても会えなくて。そんな時間を何年もすごしてきて、三年まえ、会ってはいけなくなった。その間に、あたしの気持ちは吉村を置いてけぼりにしたのかもしれない。一寿に、会いたいかと訊かれてわからないと答えたけれど、こうやって傍にいるいまもわからない。少なくとも、会いたかったという感激も会えてよかったという喜びも程遠かった。
 それは、吉村がずっと苦しんできたことを目の当たりにしたからだろうか。

 隣で動く気配を感じながらも目を向けられないでいると、視界にライターが入ってきた。反射的にライターを受けとると、火を点した。
 差しだしたライターに吉村が少しかがんで顔を近づける。助けだされるときも抱かれているときも見ることのなかった横顔が、いまほんの間近にある。少ししわが増え、険しさが定着して見えるのは四十八歳という年齢のせいか、それともあたしのせいか。吉村はあたしがこうやりたがったことをちゃんと憶えている。

 顔を上げていき、煙草をひと息吸い、そして吐きながら――
「説明しろ」
 と、吉村はやっぱり目を合わすことのないまま正面に向き直って命令した。
 一瞬、あたしに向けられたのかと思ったが、アツシが「はい」と返事をする。

 アツシは痛みを少しも見せない、淡々とした口調で吉村に打ち明けた。
 けっしてアツシは単独でやろうとしたわけではなく子分を従え、録音の管理も、いざというときに吉村に報告する体制もちゃんと整えていたことが新たにわかった。つまり、はったりじゃないと藤間親子を脅したのは本当のことだったのだ。

「勝手なことを」
 聞き終わった直後、吉村は吐き捨てる。
「申し訳ありません。処分は受けるつもりです」
「だめ! その処分にあたしのことが少しでも関係してるなら、それは罰する理由から外して考えて。そしたら、処分なんてしなくていいよね」

 口を挟む立場にない。それはわかっていても、今日みたいな争い事がもうないとは云えないからこそ、あたしは吉村からアツシという忠実な存在を奪いたくなかった。
 思わず覗きこんだ吉村の目がおもむろにあたしのほうに向かってくる。ぴたりと目と目が合う。以前よりずっと鋭く、表情と同じ険しさを増した眼差しは、あたしをおののかせた。

「吉村さん……」
 吉村は灰皿に煙草を押しつけると、銃ごとショルダーホルスターを外した。そして、あたしへと伸びてきた手が、肩にかけただけのジャケットを払いのけた。腋を抱えられて吉村に背中を預ける恰好で脚の上に座らされる。
 背後から顎をすくわれると、後ろを振り仰ぐように顔を傾けられて、くちびるが煙草の薫るくちびるにふさがれた。
 歯と歯がぶつかって痛むほど、飢餓感を丸出しにした吉村らしくない乱暴なキスだった。ただ呻くことしかできないでいるなか、吉村の空いたほうの手が胸をつかむ。やはり荒々しく、魔撫するというよりは潰すようだ。
 ただ、逆らうことはしなかった。初体験であっても快楽を引きだす吉村が、ここまで自分本意になってしまう原因はあたしだから。

 快楽とは云いにくい荒っぽいキスでも、重力に従ってあたしの口のなかではふたりの唾液が撹拌されている。口の端からこぼしながらこくんと喉を鳴らすのも何度めか、ただ受けとめていると、ふいに乱暴さが消えた。口からこぼれた蜜を追い、吉村のくちびるが首筋に添う。そうしてくちびるを首もとにとどめながら、胸をそれぞれにすくい、人差し指で乳首を捕らえた。
 んっ。
 あたしの躰がぶるっとふるえる。ついさっき、藤間の男たちに弄られていたときは嫌悪感しかなかったのに、吉村にそんなものは感じない。当然だ。あたしは長い間、吉村に抱かれることを夢見ていた。
 指を上下させて弾いたり、先端をくるくると押し揉んだり、吉村はあたしから快楽を引きだそうとし始めた。
 拒むべきか応えるべきか、わからない。
 一寿のために拒みたい。吉村のために応えたい。
 その狭間で、あたしの躰は汗ばんでいく。場所をわきまえるなら、なおさら快楽に身を任せるわけにはいかない。けれど、あたしに快楽を教えたのは吉村だ。負けるならきっとあたしのほうだろう。そう思ったとおり、吉村の右手が脚の間に潜ると、触れられたとたんぬるっとした感触がわかった。

「膝を立てて脚を広げろ」
 耳もとで囁くようにした声は悪寒に似た刺激を躰全体に及ぼさせる。
「でも」
「おまえはおれを拒むのか」
 何も云わないうちに吉村が口を挟んだ。潜んでいるのは苦辛か、その言葉と口調が逆らえなくさせる。
 そうして膝を立てかけるが、いちばん敏感な場所への刺激で逆に身を縮めてしまう。乱暴にされたほうが拒絶しやすいのに、吉村はやわらかいタッチで突起を捏ねる。吉村の脚の上で何度も腰をぴくりとさせた。秘口から蜜をすくい、水音をわざと立てられながら否応なく攻められる。

 あたしの頭から、理性とともにまえの席に座るアツシたちの存在が消えていく。それを必死で繋ぎとめた。
 快楽に弱いのは少しも変わらない。ただ、一寿に抱かれてきて、あたしは気持ちの伴うセックスを憶えた。あたしはいま応えちゃいけない。
 きっと、だれにとっても。

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