魂で愛する-MARIA-
第12話 裸足のアイ
# 91
要人のエスコートを終わり、二時近くに和瀬ガードシステムに戻ってからは啓司と顧客の調整に入った。
有吏一族のもう一つの警備会社、衛守(えもり)セキュリティガードが、護衛から手を引き、防犯システムのみにシフトチェンジをした関係上、衛守の顧客を和瀬が管理することになった。大方のことはすんでいるが、細部はまだ詰めなければならない。
ふと時計を見るのも午後になってから何度めか、二時半と、帰ってきてから三十分しかたっていない。
「今日はやけに時間を気にするな」
啓司は口を歪めて云い、ともすればニヤつくようで、おれが時間を気にするのはなんのせいか明らかに見当をつけている。
「そう見えるとしたら、おれは油断しすぎだ」
「へぇ、認めるわけだ」
「十年もやさぐれてたおまえよりもずいぶんマシだと思うけどな、“羅刹(らせつ)”」
揶揄(やゆ)すると啓司は降参というように手を上げた。
「蘇我の件が一歩前進して、ずいぶんと有吏の男たちもわがままになったな」
「政略婚でなくとも、有効に働くことを戒斗は証明した。わがままというよりは、欲しいものを欲しいと云えるほど欲張りになってる。優先事項は変わらないぶん、プレッシャーは倍増しになったってことだ」
「アオイちゃんのことで心配事でもあるのか」
啓司は耳ざとくおれの言葉から異変を感じとった。もっとも、それほどの洞察力がなければ、有吏に属する分家の総領たる資格はない。
「ないはずがないだろ」
事情を知る啓司は、まあな、と憂えた顔をする。
「そういや、丹破一家の内偵(ないてい)者は首竜から抜けた……」
と、啓司が云いかけたところでおれの携帯電話が鳴った。
画面を見ると、母の莉子からだ。よほどのことがなければ、毬亜と違い、仕事中とわかっていてかけてくることはない。
顔をしかめて通話モードにすると、携帯電話を耳に当てた。
「どうし――」
『アオイがいないの』
莉子の急いた第一声を一瞬、呑みこめなかった。
「アオイがいない? どういうことなんだ」
その言葉に反応した啓司がすぐさまパソコンに向かった。
『ケータイに電話しても出ないから、千重家に電話したんだけど、ケータイは置きっぱなしで部屋にもどこにもいないって。あなたがプレゼントした花を受けとってから昼寝したらしいんだけど――』
「おれは花なんか贈っていない」
途中で莉子をさえぎった。
「花が来たのは何時頃だ」
『二時頃って』
「わかった。手配する」
電話を切ったと同時に、大型画面に千重家の監視カメラの画像が並ぶ。
「二時前後だ」
「オーケー」
焦る気持ちを抑えつけながら、画面をチェックしていく。
玄関を出る毬亜、角度を変えて、玄関アプローチを敷地の外に向かって歩いていく毬亜、そして、門扉を開ける毬亜。そこに花束が現れる。啓司が角度の違う画像を抽出する。
「丹破一家のアツシだ」
即座に云いながら、携帯電話を操作した。
「車を追えるか」
「やってみてる」
啓司の返事を聞きながら、再び携帯電話を耳に当てた。一回の呼びだし音にすらもどかしい気分になりながら、目は続く画像を追う。二回めの途中で呼びだし音が止まる。
「カズです。一月さん、アツシにアオイを誘拐させたんですか」
真正面から疑問をぶつけるなど、まったく芸も技もない。そうする相手が信頼を置く一月だからだという理由は、今回ばかりは理由にならない。ましてや、画像を見るかぎり、毬亜は自分の意志でアツシの車に乗っていた。
『なんのことだ』
「知ってるんでしょう、アオイが生きていることを。アツシがアオイを連れていったことは確かだ。どこです?」
すっと息を呑む音が電話越しでも聞こえる。
『当たってみる』
そうして電話はぷつりと切れた。
「一寿、まず千重家からの出発点が丹破一家の方向とは逆だ」
「わかった。とりあえず出る。情報を入れてくれ」
「了解」
啓司は一寿を見ることなく、パソコンを操作しながら携帯電話も使い、応援を要請した。
*
たったひと言でもあたしがその声を聞き分けられないはずがなかった。
目の隅に映る藤間総長が、立ちあがりかけという不自然な恰好で凝り固まっている。動画を制止させたみたいで、普段なら笑ってしまうかもしれなかった。けれど、静かすぎる声が緊張を孕(はら)み、それがあたしに向かっているのではないとわかっていても、呼吸をして沈黙を破るのが怖い。
「吉村、何事だ! 勝手に……」
「勝手? それはこっちのセリフだな」
静寂のなかに迫力を滲ませられるのは吉村しかいない。
「ウチのが世話になったようだ」
その言葉の直後、パンと軽い音が立った。あたしの耳はそれが何かを記憶から引っ張りだして繋いだ。室内に響く、吠えるような声は痛みの反動だ。それに混じり、甲高い悲鳴があがる。艶子に違いなかった。
「一月! 違うの、これは……」
「何が違う? すべておまえの告白は録ってある。おまえは藤間一家とともに終わりだ。藤間総長、残念です。如仁会という総裁までのぼりつめた方が、暗黙の掟を破り、娘のために零落(れいらく)されるとは」
「よ、吉村……」
「アオイという証人を殺しかけたのも二度め。容赦しませんよ。落とし前はつけてもらう」
藤間総長は低く唸るのを聞きながら、反対側の耳ではあたしのほうへと近づいてくる足音を聞きとった。
足音が止まると、やめてくれ、という悲鳴と同時にお尻の向こうで空気が動く。音とも云えない鈍い振動が空気中に伝わった一瞬後、床に投げつけられたような音ともに呻き声がした。
そして、足音はあたしの正面へと移動してくる。再び立ち止まり、まえにいる男がアウトサイドから放たれた手の甲に弾かれ、背中から吹き飛ばされた。
「おろせ」
だれに命令したのか、吊り上げられた手首がおりてくる。スツールを外されて自分の足で立つと、スツールは壁に当たろうがおかまいなしに投げ捨てられた。身をすくめるようなひどい音が立つ。
吉村は、まるでそうすれば終わりだといったようにあたしを見ようとはしない。理性を掻き集めているのかもしれなかった。吉村は目を伏せ、輪っかを外すと、上着を脱いであたしをくるんでから抱きあげた。
「アツシ」
「はい、歩けます」
*
藤間一家に駆けつけたとき、番人は一人も立っていなかった。異常だと思ったとおり、なかに進むにつれ至る所に呻く男たちが転がっている。
藤間総長はどこだと聞けば、追い返そうともせず奥の部屋だと教えた。
グリム童話に出てくるパンの欠片のごとく、倒れた男たちが道標になり、案内されるまでもなくそこにたどり着いた。
「アオイはどこだ」
椅子に座って頭を抱えた藤間総長と、床に座りこんでうなだれた艶子、その様子を見れば一月がとどめを刺したことは明らかだった。
すぐさま目についた、部屋のほぼ中央に散らばる服は毬亜のものに違いなかった。
「どこだ」
再度、問いただすおれを見あげ、艶子は恨みがましい眼差しを向けた。
「カズ、あんた、よけいなことを――」
「よけいなことをしたのはおまえだ。覚悟しておけ」
躰を折って毬亜の服を拾う。
「お気の毒です」
如仁会をまとめてきた、けっして無能ではなかった藤間総長に云い残し、藤間一家をあとにした。
毬亜――
これまで避けてきた、立ち尽くしそうな脆弱さと向き合わなければならなかった。