魂で愛する-MARIA-

第12話 裸足のアイ

# 88

 翌日、日曜日は朝からゲストルームの掃除、料理の下準備、そして会食テーブル装飾と、千重家はせわしい。
 アオイさんは今日は出しゃばってはいけません、とヘルパーの二人に手伝うことを諌められながらもあたしは、暇で躰が朽ちそう、と逆らって出しゃばった。
 八月五日。今日はあたしの二十三歳の誕生日だ。かけられていた悪い魔法が解け、ラブドールから人間に戻されてからこんなふうに誕生日を祝ってもらうのも、和久井家から数えれば四回めだ。

 その四回めの今日は、千重家と和久井家が一堂にそろう。最初にそれを聞かされたときから、うれしい気分は持続している。莉子なら、それを当日のサプライズにする気がしたけれど、今日の主催は千重家になるから莉子はそんな発言を遠慮したのかもしれない。

「一寿、時間に間に合いそう?」
 昼食後、日曜日でも仕事という一寿に電話してみると、ため息に迎えられた。
『間に合うように努力してる。これでいいか』
 その云い方では、まるであたしが無理強いをしているみたいだ。確かに、昨夜は玄関に送られて一寿が帰ろうと踵を返す寸前、同じことを訊ねたからしつこいとうるさがられてもしかたないけれど。
「プレゼント、待ってる」
『何がいいんだ』
「あたしに訊くなんて、それじゃあサプライズにならないと思うんだけど」
『サプライズにする必要性がわからないな』
「そう?」
 あたしはため息をついて、一寿を煽るのはあきらめた。

「今日、朝からプレゼントが届いてるんだよ。戒斗さんと首領とたか工房に集まってるみんなからはお花を一つずつ、叶多さんからは初制作っていうガラスのお箸なの。ボヘミアガラスを参考にしたんだって。模様が入っててすごくお洒落」
『あとで見せてもらう』
「うん。なんだか、こんなふうにプレゼント贈られるってお嬢さまみたいだよね」
『そのとおりだろ』
「うん」
『目途がついたら連絡する』
「わかった。気をつけてね」
『気をつけるのはおまえだ』
「うん」
 電話を切ってしまってから欲しいものを云いそびれたことに気づく。特別、欲しいものがあるわけではないけれど――いや、一つだけある。なんの邪魔も入らない、一寿 との一日だ。でも無理は云えない。

 バースデーパーティの準備も一段落してしまうと、多香子とおしゃべりをしたり、ファッション雑誌を眺めたり、いつもと変わりない時間をすごした。
 プレゼントの配達は午前中で終わったと思っていると、二時になってまた花屋がやってきた。ヘルパーがインターホンで応対しているのを聞いて、贈り主が一寿だとわかると、あたしはすぐさま立ちあがった。
「あたしが行ってくる」
「アオイさん」
「大丈夫。一寿にプレゼント待ってるって電話したの、聞いてたでしょ」
 そう云うと、ヘルパーは返事がわりにため息をついた。

 門まで行って通用口を開けると、こんにちは、と云いきれないうちにいきなり花束が押しつけられた。びっくりしていると、目のまえに立つ人物がだれかを認識してさらに驚いた。
「アツシ……」
「時計は?」
「……してる」
「もう終わらせるべきだと思わないか」
 何を、だれのために。アツシの言葉にそんな疑問が浮かんだ。
「どういうこと?」
「来るか」
 アツシはあたしの疑問には答えず一方的に問う。
 もしも、吉村の気持ちが三年まえの今日となんら変わっていないのなら、その上であたしが生き延びているのなら、終わらせたほうがいい。アツシが云ったのはきっとそういうことだ。
「わかった。ちょっと待ってて。花を置いてくる」
 アツシはうなずき、あたしは急いで家に戻った。

 受けとった花を多香子たちに見せ、ヘルパーに預けると、勝手に手伝ったにもかかわらず疲れた口実にして、部屋で昼寝をしてくると云ってみた。今夜は長いでしょうから、とヘルパーは心得顔でうなずいた。
 部屋に行くふりをしてリビングを出ると、反対に折れて玄関を出た。比較的簡単に出られたことにほっとしつつ、あたしは門へと急いだ。
「大丈夫か」
「時間稼ぎはできたと思う」
 そう応じると、アツシは奇妙に――迷っているようにも、あるいは緊張しているようにも見える雰囲気であたしを見下ろす。
「花屋さんの恰好だとアツシも普通の好青年って感じ。エプロン、似合うよ」
 おどけてみれば、つと目を逸らし、それからまたあたしを向いたアツシは「行くぞ」と、小さめのワゴン車に乗るよう促した。
 助手席でもいいのに後部座席に乗せられ、シートベルトをしてまもなく車は発進した。

 この手の車には乗ったことがない。おさまりが悪くシートに躰を預けても、振動で傾いていく。
 お嬢さまみたいだと云ったときには自覚していなかったけれど、一寿はそのとおりだと認めて、いま自分でそのとおりだと思った。受難は同時に至福を連れているのか、あたしを取り巻く境遇は極端すぎて、それなら、至福の次にあるのはまた受難なのか、そんなことを考えてしまう。

「アツシ、どうして丹破一家に入ったの?」
 助手席じゃないのはこういうお喋りをしたくないんじゃないかと思ったものの、ずっと黙っているのも不自然な気がして訊ねてみた――というのは建て前で、本音を云えば、吉村のことを思うと落ち着かなくて、気を紛らせたかった。
 どうやって終わらせるのかなんて見当もつかない。一寿が怒る以上に何を思うのかも怖くて考えたくない。いまさらで、無謀なことをしていると少し後悔した。

「大学んとき、バイクを盗られそうになって五対一でケンカした。ぼこぼこにやられてるところを吉村総長に助けられた。やくざだってわかったけど、バイクだろうと守りてぇもんは守りてぇよな、って云われてこの人についていきたいと思った。大学やめて丹破一家に居ついてそのまんまだ」
「そうなんだ。吉村さんのきっかけも聞いてなかった」
 云いながら、あたしは吉村のことを何も知らない、と気づいた。
 生まれたときから裏社会にいた一寿をうらやましいと云った吉村は、即ち、大多数の人と同じような環境で生まれたことを示している。
「総長とおれは似ているのかもしれない。総長は窃盗犯なんかじゃなく、やくざにやられているところをカズの親父さんに救われたらしい」
「おじさまに?」
 吉村が、恩義がある、と一寿の父親について云っていたことを思いだす。
「これ以上は云えない。じかに訊いてみればいい」
 いかにも終わりだと云わんばかりに話は打ちきられた。

 あたしは訊ねるのはやめて、外を眺めた。そのうちに、居心地を悪くさせていた振動が睡魔を呼んだらしい。着いたぞ、と云われてあたしはぱっと目を開いた。
 ヘルパーへの云い訳、今朝からの掃除で疲れているというのはあながち嘘じゃない。気だるさは一寿のめちゃくちゃなセックスの名残だ。
 車を降りて家を見渡すと、丹破一家ではなく、真逆にコンクリートを剥きだしにしたモダンな邸宅だった。ただ、個人ですむには広すぎるように感じた。

「アツシ、吉村さんの家? 丹破一家は引っ越ししたの?」
 アツシは応えずに顎をしゃくって、行けと無言で急かした。
 あたしはため息をついて広い庭を進んでいく。玄関の前に立つとアツシが斜め後ろから手を伸ばし、スライドドアが開けられた。だだっ広いエントランスの向こうにまっすぐ廊下が伸びる。背中を押されて家のなかに入り、靴を脱ぐと、だれも迎えに出ないのを不思議に思いつつ、アツシに連れられていく。
 家のなかもコンクリートが丸見えで、けれど、殺伐というよりはおしゃれな感じもする。そんなことを思いながら、どれくらい奥行きがあるのか、奇妙に静寂したなかをかなり奥まで来た。途中、二つ角を曲がりながらようやくたどり着いたさきには、分厚そうな引き戸が現れた。アツシはドアを開け脇に避けると、さきにあたしを室内に入れた。

 視界に入ってきたのはたった一人。
「久しぶりね」
 ドアが閉まるのとどちらが早かったのか、そこにいるのは吉村ではなかった。

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