魂で愛する-MARIA-

第12話 裸足のアイ

# 85

 叶多たちは陽が陰り始めた頃、帰っていった。

「一寿、ついていかなくていいの?」
 門先のスペースまで出て見送ったあと、家に戻りながら訊ねると一寿は立ち止まった。その正面にまわりこんで立ち止まる。一寿はあたしを見下ろして、かすかに首をひねった。
「戒斗さんの警護、しなくていいの?」
「蘇我が千重家を疑っているとして、いま見張られているとして、おれが千重家から離れて戒斗につけばかえっておかしなことになる」
「千重家が本家だって思わせておかないといけないから?」
 云い方が率直すぎて、その裏であたしが云いたいことは伝わるはずで、案の定、一寿はおそらく正確にあたしの意を受けとった。その表情は固まったように動かなくなる。もしくはこわばっているのか。
 やがて一寿は深く息をついた。

「おまえが云うと、ひどく残忍なことをしているように聞こえる」
 あたしが、と限ったのはなぜだか見当もつかないけれど、怒っているふうではなく、あたしもまた安堵してため息をついた。
「一族を守ろうとしてのことだってわかってる。約定婚のことはともかく、ダミーの話は千重家が云いだしたってことも」
「それをいいように使ってるのはおれだ」
「ずっと云いたかったことだから云ってみただけ。出しゃばるつもりはないし、一寿を批難してるとかじゃないの。あたしがこう思ってるってことを隠したくなかっただけ。でも……」

 いまになってみると、戒斗がやってきたのは明らかに告白するためで、その用件が終わったあとの団らんの様子を見ていて、自分の不安の原因がわかった気がした。
 千重家はダミーにはならない。それは、千重家の意志ではなく有吏本家の意志だ。あたしはそれを察していたのかもしれない。そして、それが勘どおりならあたしの役割がなくなるということだ。

「でも、なんだ」
「戒斗さんは……有吏本家は、千重家をダミーにはしないと思う」
 一寿はしばらく黙ってじっとあたしを見下ろしていた。そして、ふっと薄く笑う。
「もともと、ダミー案が本家に受け入れられるという確信はなかった。そうする可能性は数パーセントにも満たないだろうと思っていた。時間を与えて考えれば考えるほど、本家はノーという答えを出すだろう。そう思って提案は保留してきた」
 驚いて見つめると、一寿はため息交じりで笑った。
「分家として千重家から約定婚の娘を出すという案だけでもさきに出せた。けど……」
 続けた一寿は中途半端に言葉を切って、まもなく肩をすくめた。続きを話す気はない、もしくは話す気にはなれないといった気配だ。そのぶんだけ、葛藤とか後悔とか、そんな気持ちが見える。

「一寿は……和久井家は人に堂々とは話せないこともやってるけど、あたしは汚いことをやってるとは思ってない。一寿が助けてくれて、はじめて和久井の家を見たとき、丹破一家の家みたいに立派で、でも、それ以上に厳かだって思った。人の道に外れることでも、むやみにそうしてるんじゃなくて、信念とか、そんなもの感じてる。有吏本家は堂々としてるって今日思ったけど、和久井家もそう」
「和久井家の人間ならではの考え方だな。おまえはよく見極めてる」
 一寿がくちびるを歪めて可笑しそうにすると、釣られて笑った。

「一寿、叶多さんてすごいよね」
「おまえがそう云うんならほんとにそうなんだろうな」
「叶多さんと友だちになりたかった」
「なってるだろ。そう見える」
 人に――特に一寿に認めてもらうとうれしくなる。しかも二つ返事だ。ばかみたいに見えるだろうと思うくらい満面の笑みが浮かぶ。
「ホント云うと、二年くらいまえ、一寿が叶多さんと会っているところをこっそり見にいったことがある。笑ってる一寿を見て、叶多さんを知ればそうしてくれるコツがわかるかなと思ったから」
 一寿は咎めた面持ちから呆れた様へと変えていく。そんな感情でも見せてくれたほうがずっといい。あの怒った瞬間から、一寿はあたしのまえではかまえなくなったのかもしれない。

「一寿は怒ったけど、あたしも後悔したけど、でも結果的にあたしは一寿に近づけた。叶多さんて偉大。領我貴仁さんはあんまりわからないけど悪人て感じじゃないし、蘇我のお坊ちゃまだって悪くない感じだし、だから一族のことも悪いようにはならない気がしてる」
 云っているうちに一寿はひどく顔をしかめた。
「蘇我孔明が結婚相手だったらかまわないのか」
「……そんなこと云ってないよ!」
 一瞬、唖然としたあと、慌てて否定した。
「もちろん、約定婚にあたしが必要だったら……一寿が傍にいるんだったらそうする。でも、そのこと含めて、いいほうに転がるんじゃないかって。安易すぎる?」
「だれよりもそう願ってる――と、だれもがそう思ってる」
 安請け合いをしないのは、嘘を吐くことをしない、いかにも一寿だ。
「うん」

「行くぞ」
 一寿が云い、道を空けるのに躰の向きを変えると、なんとなく目の隅に人影を捉えた。
 目を向けると、門の正面の斜め前には私道が通っているのだが、その道を歩いていく男性の後ろ姿が見えた。高級住宅街のなか、私道を家のほうへと進むからにはその家の住人、もしくは訪問者でしかない。
 けれど。

「アオイ」
 一寿に呼ばれて、ぱっと振り向くとすぐさま歩きだす。
「門番さん、たいへんだなって思って」
「仕事だ」
 一寿は呆れたふうにひと言ですませる。

 ごまかしにうまく乗ってくれてほっとした。
 いま、不確かなことでこれ以上に一寿を心配させる必要はない。門番がいま立っている位置からは死角になっているかもしれず、もしくはチェックずみで気にしなくていいということだ。

 黒鳶色のスーツなんてめずらしくはない。

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