魂で愛する-MARIA-

第12話 裸足のアイ

# 83

 千重家は三年まえの銃撃事件から、ずいぶんと警備は重装備になっている。高い塀で敷地を囲み、門扉は常にロックされて、それは邸宅の玄関も同じだ。玄関を通らなければまわりこんで家や庭に入ることもかなわず、車庫と玄関アプローチのスペースはだだっ広い袋小路になる。
 四日まえの誘拐事件以来、それまでの警護に加え、門扉には二十四時間人が立つようになった。

 一寿は、蘇我家が千重家を暗の一族としてターゲットに入れていると云う。なぜなら、今回の誘拐事件に遭った顧客はセレブ層に限定され、成功か失敗かを問わず顧客を挙げてみると、千重家のみ、犯罪者たちからなんの接触もなく逃れていたからだ。
 警告だというその読みが合っているなら、あからさまな果たし状だ。
 どれくらい緊張状態が続くのか、一寿はいま有吏家と千重家にかかりっきりでいる。

 そんななか、叶多が戒斗を連れて、あたしの友人として訪ねてきた。その実、有吏戒斗としての訪問ではないかと思った。
 そして、あたしの推測――というより勘は当たった。

「千重会長、率直に話をさせていただいてもよろしいでしょうか」
 戒斗がバンドをやっているゆえに音楽の話から始まり、リビングは和やかに湧いていたが、タイミングを見計らったように、戒斗は改まった口調で切りだした。
 この若さで旺介相手に怖じ気づくことなく向かえるのは、一寿もそうだが、自分の役目を自覚し、覚悟しているからだろうか。
「有吏さま」
「和久井、口を挟むな。本家の意向だ」
 戒斗は旺介に目を据えたまま、止めに入った一寿を逆に制した。一歩踏みだしていた一寿はまた一歩後退して、無言で主の意に沿う。
「いいだろう」
 旺介は一寿をちらりと見やり、それから姿勢を正すように躰を揺らして戒斗に応じた。
 あたしはあたしで落ち着かなく、息を呑んで動向を見守る。

「なぜ、我々のダミーを引き受けられたんです?」
「我々……とな?」
「有吏は、蘇我と反対対当にある一族の本家です」
 戒斗はためらうこともなく曝露した。とっさに一寿を見ると、そうしたことに気づいた目がこっちを向き、わずかにうなずいてみせた。
 叶多はびっくり眼で固まっている。
 千重家の男たちは逆に驚くことなく静かに受け止めている。
「……そうか。理由は和久井から聞かなかったか?」
「伺っています。ですが」
 旺介は手を上げて戒斗を制止した。

「家族を失い、家族を傷つけられる。謂れもなく、だ。その瞬間にあるのは悲しみと苦しみだ。そして自分の無力さとの闘いの始まりでもある。わしの手で――そう思わないか。他人の手を借りようとは思わん。そのためならどんな手段でも乗ろう」
「少なくとも、報道という、私たちにとっては救いの場が、奴等にとっては報いを被る場がある」
 旺介の口調は重々しく、そのあと伶介は、煮えたぎっているだろう苦辛を奥底に秘めて静かに継いだ。
「史実がどうだったか、その真実はいまとなってはどうでもいい。いずれにしろ、現代の有り様は受け入れるしかないのだからな。ただし、この時世に“一族”という存在を認めるかどうかは別問題だ。和久井がいなければ、あるいは“もう一つの一族”も叩き潰そうと考えたかもしれない。戒斗くん、忠誠心をこれほどまでに尽くす臣下を持つというのはどういう気分だね」

「僭越ですが、その真理は逆です」
 旺介の発言にいち早く反応したのは一寿だった。
「逆?」
「はい。分家こそ、本家から忠心を授かっている、ということです」
「……なるほど、な」
「旺介会長、貴殿も、ですよ。私は千重家からも信頼をいただいています。同等に忠心を尽くしているつもりです。そう見えないとしたら私の思慮が足りないんでしょう」
「そんなことはない」
 一寿の懸念を打ち消した伶介は、おもむろに立ちあがった。
 今度びっくり眼になったのはあたしだった。

「脚に支障はないんですね」
 戒斗は驚きながら云い、やられたといったような様で首を横に振った。
「ああ。世間では下半身不随で通っているが、私の躰はなんの問題もない。世間にある事実と真実は違うものだな」
 伶介は皮肉っぽく応じたが、戒斗に真実を見せたということは信頼できると判断したに違いなく、皮肉ではなく戒斗の反応を見ておもしろがっているのかもしれない。
「そのようですね」
「戒斗くん、家内に会ってくれないか」
「はい、ぜひお会いさせてください」
「パパ、あたしも手伝うよ」
「ああ。頼む」
 あたしはすぐさま立ちあがって、伶介についてリビングを出た。

「びっくりした」
 そのままを口にすると、伶介は笑った。
「おまえと和久井のせいだな」
 あたしはまた目を丸くして、歩きながら伶介を覗きこんだ。
「あたしたち?」

「そうだ。蘇我とは別に暗の一族という存在を知って、それから窓口である和瀬ガードにたどり着いた。和久井は穏やかに見えたが、有能ではあっても必要以上に近づいてはこない。まあ、警備に携わる者として妥当な対応だと云われればそうだが。お互いの素性がばれたあとは、融通はきかないし、客はどっちだと云いたくなるくらい態度はでかい」
 あたしはぷっと吹きだした。伶介が見下ろしてきて、笑みを浮かべて首をひねる。

「一寿、お母さんからは二重人格って云われてるの」
「だろうな。だが、和久井の云うことをきかなかったばかりに、私は娘を死に追いやり、多香子を不自由な躰にした」
「パパのせいじゃない。あたしだって後悔してる。あの日、あたしがいなかったら一寿はパパたちについていったと思うから。そしたら、運命は変わってたかもしれない」
「おまえのせいじゃない」
 伶介は驚いた声で否定した。そして、ふっと笑みをこぼす。
「そういうおまえのせいだ」
 と、今度は直前の言葉とは正反対に、あたしのせいにする。もちろん、事件のことじゃないとわかっている。伶介は続けた。

「過酷な状況下にいたにもかかわらず、おまえは素直さを失っていなければ捻くれてもいない。いろんな意味で、欲も皆無だ。何か守るべき信念とか気持ちとか、そんな支えがあったらおまえのようになれるかもしれんが」
「あたしがすごく立派な人みたいに云ってるよ、パパ」

「そうだからこそ、和久井はおまえを信用しているし、惹かれる。私たちもそうだ。逆も然りで、おまえは私たちを信用してくれている。和久井のことも信用している。そういうおまえたちが、自らを犠牲にしても尽くそうとする一族なら信頼していい。そう思った。有吏戒斗、彼の姿勢を見て、それが裏づけられた。そういうわけだ」

「パパ、ありがとう」
「礼を云うのは私たちのほうだ。なんの義務もないのに、おまえはアオイを失った私たちの力になってくれている」
「パパたちもだよ。あたしに家族って思わせてくれる」
 云い返すと、そのとおりだ、と伶介は深くうなずいた。

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