魂で愛する-MARIA-

第12話 裸足のアイ

# 81

 テーブルの傍に立ち、艶子の目はまっすぐあたしに注がれている。
 あの頃からすればあたしも変わっているはず。最後に会った日から三年がたち、千重家にいることで少しは洗練した雰囲気を出せている。髪型は長いストレートとさほど変わっていないけれど、千重アオイのキュートな雰囲気を出すためにいまはオレンジ系のカラーをしている。メイクだってしている。
 自分をなぐさめる材料を出してみるものの、こうやって艶子がここにいること自体、あたしは自分で思うほど変わっていないのかもしれなかった。
 どうしよう。
 焦るばかりでどう応対していいかも見いだせない。

「どういったご用かな」
 旺介が鷹揚に訊ねた。艶子の目があたしから逸れ、ようやく思考回路を動かせる余裕ができる。
「おじいちゃん、お知り合いの方? それともママのお友だち?」
 艶子が何か喋るまえにどうにか割りこんで惚けられた。
 史伸の話術特訓がここにきて役に立った。さり気なく話の輪に入る方法は、いま艶子をかわすには最適の言葉だった。あたしにはもう身内はいない。おじいちゃんやママと呼びかけたことで、艶子が他人の空似だと思ってくれればいい。

「いや――」
「蒼井加奈子の娘じゃないの? 名前はなんて云ったかしら」
 艶子は強引に口を出して、旺介の否定をさえぎった。顔をわずかに険しくして、バランスよくカーブを描いた眉が歪んでいる。
「失礼だが人違いだろう。ここにいるのはわし、千重旺介の孫だ。母親は目のまえにいる。名前は多香子だ」
 艶子の目はあたしと旺介と多香子の間をぐるぐるとまわる。疑いは晴れたのか。
「わたしは藤間艶子です。ごめんなさい。人違いだったようだわ。失礼」
 謝罪を口にしながらも、高慢さを控えることはなく、艶子は顔を斜めに向けるという会釈をして立ち去った。

 艶子の姿を追えば、入り口の近くにある席に着く。同席者二人のうち一人は男性だとわかって、一瞬、吉村ではないかと思った。けれど背恰好も雰囲気も違った。
 艶子の位置からは奥にいるあたしの顔など見えるはずもないが、それならなぜ、と疑問に思った矢先、こっちに向かってくるタケが目に入った。それで合点がいった。
 携帯電話の着信音が艶子の注意を引き、一寿に従ってタケを探したときにあたしの顔が見えたのだ。

 けれど、あたしは死んだ。それをわかっていながら見間違いではすませられない、なんらかの拘りが艶子にはあるのだろうか。そう考えると怖い。
 艶子は藤間艶子と名乗り、旺介たちから聞いた、吉村がまだ独り身であることにはほっとした。艶子が吉村を手に入れたがっていたことは確かで、そうできていないということにどういった背景があるのか。丹破一家の組員が殺された事件のあと、藤間一家の組員も殺され、その二つとも解決していない。それらが関係しているように思えてならなかった。

「藤間とはもしかして藤間一家の藤間か?」
「うん」
 質問を肯定すると旺介は嘆息を漏らす。
「面倒なことにならんといいが」
「ごめんね、おじいちゃん」
「おまえが謝ることじゃない。何、和久井は最も強力な一族の一員だ。藤間一家など怖れるに足りん。そうだろう? わしが心配なのはおまえのことだ」
 少しおどけたような旺介の発言に、あたしは笑った。
「うん、ちゃんと一寿の云うこと聞くから大丈夫。ありがとう、おじいちゃん」


 タケが戻ってきてレストランを出る間、艶子のほうを見ないようにしたが、それを避けていると取ったか眼中にないと取ったかは当然、艶子自身にしかわからない。
 ホテルの一室で一寿を待っている間、少しも落ち着かなかった。
 それから一寿がやってきたのは三時をすぎていて、あたしたちを千重家に送りながら手短に説明したあとすぐさま帰った。夜になってあらためて訪れた一寿はぴりぴりした雰囲気を纏っていた。

 誘拐事件は蘇我一族の仕業だと決定づけられていた。ずっとまえにあった一族狩りと同じで、あぶり出しか、もしくは挑戦状か。今回はむしろ千重家が狙われなかったことに、一寿は懸念を抱いているようだ。
 そして、一族の身代わりという案が現実味を帯びてきた。
 彼らが話し合うのに立ち会いながら、千重家に迷いはないが、一寿にはある。そんなふうに見えた。

「一寿、誘拐のこと、ほかにも何かあった?」
 千重アオイの部屋ではなく、あたしのものとして別に与えられている二階の部屋に入ると訊ねてみた。
 一寿は一気に気が緩んだみたいにベッドに腰かけた。その姿から、躰が疲れている以上に心痛が察せられる。あたしの質問に答えて、一寿は口もとだけで笑った。
「有吏一族からも被害が出た」
 息が詰まるほど驚いて、とっさに浮かんだのは――
「叶多さん!?」
 悲鳴のように甲高く叫んだ。
「違う」
 そのひと言にほっとしたけれど、違うだれかが怖い目に遭ったとしたら、自分が犠牲者で助かっても喜べない。

「大丈夫なの?」
「ああ。命に別状はない」
 そんな限定的な言葉はかえってあたしをおびやかす。
 誘拐は過大解釈すれば、あたしもそうなった身だ。だから、命は助かっても穢されたとしたらそれは悲劇だ。
「下で話したとおり、千重家には二十四時間態勢で警備がつく。外出は極力避けてもらう。いいな」
「いつまで?」
「結着がつくまで、だ。少なくとも一年」
 一寿は情状もなしと云った様で云いきった。

「一寿」
「何があった」
 その問い方で、一寿があたしの憂うつを察知していたことがわかった。

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