魂で愛する-MARIA-

第11話 哀執aisyu

# 75

 千重家を訪ねると応対に出たヘルパーと入れ替わり、伶介が出てきた。
「アオイか?」
「はい」
 伶介はため息をついておれを見据えた。

「和久井、何があるのか知らないが、あまりアオイを悩ませるな。何も変わらないふりはしているが、このところ落ち着かないようだ。ただでさえ一年後には不本意な立場に置かれるかもしれない。できるだけいまは平穏に……できれば家族がいるという安心感を与えられればと思っている。その邪魔をしないでくれ。一年後のことですでに思い悩んでいるとしたらどうしようもないが」

 どうしようもないと云いながらも声のトーンから、伶介は約定婚の回避策、あるいは代替案を模索しているように思えた。
 それを含め、伶介の発言はいかにアオイが千重家になじみ、大事にされているかを示している。そうわかって安堵を覚えると同時に、アオイはだれのものでもないという焦燥感をを抱いた。

「私の至らなさです。申し訳ありません」
 回避にしろ代替えにしろ、おれもまた探っていることだが、邪魔をしないでくれ、とその言葉には堪(こた)えた。常套句でしか伶介には応えられなかった。それは、もしかしたら誠心誠意がないと受けとられかねない。だが。
「まあ、娘とアオイに対する君の接し方は明らかに違う。それがどういう意味かはわかっているつもりだ。アオイを呼んでくる」
 伶介は理解を示し、ため息を残して身をひるがえした。

 接し方が違うのはあたりまえだ。顧客と……顧客となんだ。
 それは“認めざるを得ないこと”になるが、適当な言葉が見つからず、思考は堂々巡りをした。
 そこへリビングから旺介が出てくる。
「会長、夜分にすみません」
「ご機嫌麗しゅうとはいかないようだな」
 旺介は背が低いにもかかわらず、人に大きいと勘違いさせるのは厳格なイメージだろう。さっきの伶介との会話が耳に入ったようで、いまは表情と同じくして声も険しい。
 どう返そうかと考えあぐねながら口を開いた刹那、奥から足音が聞こえだす。玄関からまっすぐ伸びる廊下にアオイの姿が見えた。かと思うと目を合わせる間もなく、躰を反転させた旺介がふたりの間を隔てた。

「おじいちゃん、一寿とちょっと出かけてくるから」
「若い娘がこんな時間から出ていくとは感心せんな」

 小言が太い声で放たれ、廊下の壁に反射して確実におれの耳に届いてくる。
 疑うまでもなく、アオイにではなくおれに向かった当てつけに違いない。伶介に限らず、旺介も、そして多香子もおれよりはアオイの御方(みかた)だった。

「いつものことだよ」
「ならいいが……」
「いってきます」
「わしが起きているうちに帰ってこい」

 旺介はアオイの脇を通りがてら云い、それはやはりおれへの要望だろう。
 近づいてくるアオイが不安そうにしているのは見て取れる。ただ、そうしてもいまおれを臨む眼差しはいつか見たものと一緒だ。
 一月をひたすら待っていたときの一月を見つめる眼差しだ。そんなアオイに付き合っていたときもありながら、自分が素っ気なくしか接していないことをいまさら後悔する。
 後悔してもなお態度を改められないのは、一方通行ではなくそれだけアオイに見返りを求めているのかもしれない。

 車中も和久井家に着いてからも、一度も口をきかなかった。
 家に入り、莉子をはじめとしてアオイが挨拶を交わし終えると、邪魔しないでくれ、と放って二階に行った。
 アオイの部屋に行き、あとから入ってきたアオイがドアを閉めると正面から向き合う。

「どういうつもりだ?」
 前置きなしで訊ねた。抑制した声は自分でも冷たく聞こえる。
 アオイは戸惑ったように目を伏せた。その目が真に映したがっているのはだれだ? その疑問はむちゃすぎて声にならなかったが、そのかわり、逸らせないよう、華奢な首の付け根を片手でつかみ、ドアに貼りつけた。

「知りたかっただけ」
「何を。おまえが知るべきことは教えてきた。それでも知りたいことがあるならおれに訊け。叶多さんに――有吏家に接触する必要はない」
「聞いてもわからないことがあるんだよ。千重家の役目もあたしの役目もわかってる。やめたいって思ってるわけじゃないよ。だから、ただ納得するんじゃなくて、一寿みたいな、有吏一族のためにそうしたいって気持ちを持ちたかっただけ。一寿の“叶多さん”なら、そういう気持ちにさせてくれるって思ったんだよ」
「自分がどういうことをやったか、わかってるのか? おまえが叶多さんと接触した以上、もし有事があって、千重家の立場を叶多さんが知ることになれば、叶多さんはどうすると思う? 会ったならわかるはずだ」
「わかってる。いまは後悔してる」

 アオイはまっすぐおれを見て云い、今度はおれのほうが直視できずに目を背けた。自分で云ったことが自分を煽る。
 アオイに関するかぎり、有事は有吏一族の問題にとどまらない。四方から攻め入られた気分に晒されている。

「蘇我との件が落ち着くまで、おまえはここから一歩も出るな」
「だめ。ママのとこに戻らなくちゃ」
 アオイは即座に反論した。それは千重家への忠誠からくるものか、おれを拒絶しているのか。いや、その二者択一は極端すぎてなんの生産性も生まない。理不尽だとわかっていながらも足掻く。
「おまえがいなくてもヘルパーがいる」
 その言葉はアオイを傷つけた。わずかにくちびるがふるえた。捉えようによっては、どこにもアオイを必要とする場所はないと聞こえたかもしれなかった。

「千重の家から一歩も出ないから。あたしは一寿を裏切らないよ。叶多さんの身代わりだって、義務じゃなくて喜んで引き受ける。だから千重の家に戻らせて。あたしはきれいじゃなくてバカだけど、役に立ちたいって気持ちはおんなじだよ」
「……きれいじゃない?」
 その言葉がわざわざ使われることにいびつさを覚えた。
「叶多さんはきれい。あたしはきれいじゃない」
 その意味はおれだから察せることであり、アオイにとって丹破一家のことは負い目なのだ。おれは、アオイがラブドールだったことを忘れたわけでもなく、黙って見ているしかなかった自分を許したわけでもない。ただ、アオイの誤解は許せなかった。

「おれをほかの男と一緒にするな」
 ぴしゃりと云い放つと、アオイは曖昧に首をかしげた。
「一寿はだれとも違うよ」
 それが、アオイにとって、と限定されるのなら少しは焦りも落ち着くかもしれない。
「帰らなくちゃ。おじいちゃん、怒っちゃう。約束はちゃんと守るから心配しないで」
「そのまえにヤルことがあるはずだ。旺介氏と約束した憶えはないが、おまえとの約束は忘れていない。風呂に行け」
「一寿?」
 戸惑った声が疑問を投げかける。
「おれのセックスはおまえには完全じゃなかった。口にした以上、実行証明する」

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