魂で愛する-MARIA-

第11話 哀執aisyu

# 74

 夕食を取ったあと、階段をのぼりながら携帯電話を耳に当て、呼びだし音が鳴ること三回め、音は途切れ、電話の向こうに人の気配を感じる。
『カズか。久しぶりだな』
「はい、ご無沙汰しています。いまいいですか」
『ああ。だれもいない。おまえから電話があるとはめずらしいな。何があった』
 だれもいない。その言葉は、あれからまもなく三年が経とうとするのに、いまだアオイが帰ってくるのを待っているように聞こえた。

「何かあったのは一月さんのほうでしょう。丹破と藤間が殺気立ってるという噂が届いてますよ」
 一月の空笑いが短く響く。
『報いを受けるべき者は、当然、報いを受けるべきだ』
 その言葉は、五カ月まえ――去年の夏に殺(や)られた男が少なくとも一月の命によってそうなったことを物語っている。
「藤間総長が総裁を退いて、両一家は対等な立場にある。如仁会は真っ二つになる可能性もありますよ」
『承知のうえだ。裏切りは顔に泥を塗られたも同じだろう。報いるのが流儀だ』
「真相をつかんだんですか」

『艶子は京蔵がアオイに子供を産ませるつもりだったことを知っていた。京蔵から自由になりたがっていたことも事実だ。京蔵が死んでもアオイが子供を身ごもっていれば財産の取り分は少なくなる。京蔵には恨みつらみあるからな。そのうえアオイを嫌っている。財産くらい独占したいということも考えたのかもしれない。艶子は銃殺した男に幹部就任をちらつかせて勧誘していた。それに釣られて艶子に従っていたことはあの男に吐かせた。首竜からブツを盗んだのが男で、それをスーツケースに詰め替えてマンションに運んだのが艶子だ』

「残るのは首竜の情報を得られて、なお且つ情報を流した主犯ですか」
 それほどの力を持ち、艶子に協力するのはだれか、自ずと見当がつく。
『うちの奴をいま首竜に潜(もぐ)らせてる』
「むちゃですよ」
『慎重にやってる。しくじれば藤間にもばれるからな』
「一月さん、そうして結果が出たらどうするつもりですか」
『それからさきは考えていない。情けないか?』
「そういうことじゃなく、おれは一月さんの身を心配してるんです」

 可笑しくもないのに薄く笑う声は、一月の報復が自棄と隣り合わせであることを暗示する。いまの一月を支えているのは、アオイが殺された、という事実だけなのかもしれない。

『おれは守られてるばかりで守りたいもの守りきれていない』
 守りたいと思わせる存在がどれだけ貴重かということに気づかず、一月はうんざりした様で吐き捨てた。そして、よろしく、と寿直への気遣いをおれに託して電話を切った。

 守りきれていない。それは一月に限らず、おれにも云えることだ。
 アオイは渡さずとも生きていることをせめて一月には知ってもらうべきだったのか。
 首竜との抗争事件は、如仁会の内紛へと発展しつつあった。いまさら、動き始めたものは止めようがない。
 いつになくおれが判断をしくじったのは、自分に私情があったからにほかならない。それは認めざるを得ない。

 自分の部屋のまえで立ち止まり、一つ奥の部屋を見やった。
 そこにアオイがいたのは一年、千重家に移り住んでから間もなく二年。倍近い月日、その部屋の主は不在にしているが、あのたった一年の間にアオイはそこに定着し、あまつさえ、在って然るべき存在となっていた。
 約定まで残り一年。有吏一族の判断はどう結着がつくのか、千重家のダミー案をどのタイミングで提示するか、焦りは募っていく。

 部屋に入るとまもなく、戒斗から電話が入った。
「和久井です」
『おれだ。調べてほしいことがある』
「はい、どうぞ。変わったことがありましたか」
『それよりは確かめたいこと知りたいことができた。まずは芳沢則友だ』
「前回の調査で不足したところでも?」
『芳沢則友の母親を大雀華乃(おほさざきかの)という前提で調べてほしい』

 戒斗は思いがけない言葉に、おれは芳沢則友の経歴を記憶の底から浮上させた。すでに亡くなっていた両親ともに身寄りがなく、遡ることもかなわず行き止まりになって調査は打ちきられた。

「詩乃さまの亡くなった姉上ですか」
『そうだ』
「承知しました」
 戒斗の云った説が正しければ、両親も親族もいない天涯孤独という話はまったく意味が違ってくる。
『もう一つは千重家だ』
 それは思いがけないよりも、ただ不意打ちだった。
「……千重家、ですか?」

『叶多は千重アオイを友だちだと云ってる。彼女がたか工房にグラスを買いにきて知り合ったそうだ。千重家は二度の不幸があってるな? その事件はともかく、渡来が云うには、叶多に絡んでるというのが無関係じゃない、そうだ。芳沢則友のことも含めて、おれもそういう気がしてる。ちなみに、千重アオイは、別名で蒼井毬亜と名乗ってる。本人は千重旺介の名前が重いと云って、たか工房では毬亜ちゃんが通り名だ。尾行したっていう渡来の話じゃ、間違いなく千重家に帰りついてるらしいからそこは疑う必要ないんだろうが。和瀬ガードは千重家も顧客だったな?』

「はい。千重家の不幸は承知していますし、なんら疑惑の要素は見当たりませんが、調べてみます」
『頼む』

 なぜだ。
 無意識につぶやいた。
 傍にいても何かがおれでは足りていない。そんなふうにアオイは常におれを不安に陥らせる。
 苛立ったまま手に持ったジャケットを羽織り、ポケットに携帯電話を突っこむと身をひるがえして部屋を出た。

NEXTBACKDOOR