魂で愛する-MARIA-

第11話 哀執aisyu

# 72

「あら、戒斗を褒めてくれてありがとう。でも、美鈴ちゃんとの縁談が持ちあがったとして、いくら蘇我グループのご令嬢だからといっても姑としてはお断りよ。有吏家は叶多ちゃんじゃなきゃだめなんだから」
 隼斗の妻であり戒斗の母親である詩乃は、冗談めかしながらもきっぱりと口を挟んだ。

 有吏詩乃(ゆうりしの)は綺麗というよりも儚さが目立つ人だ。そんな一歩下がった雰囲気を持ちながらも、従うだけではなく確固とした意思を持っている。それを云うか云わないかという選択をしているのだろうが、だからこそ、ひと言が絶大な効力を持つことがある。
 いまの発言もその一つだろう。詩乃は、美鈴に向けてと云うよりは、隼斗に――有吏一族の首領に主張したのではないかとあたしは思った。
 その証拠に、離れたところにいるにもかかわらず、隼斗が詩乃を振り向いた。

 有吏本家が約定の履行を再検討していることは聞いている。それ以前、約定婚については迎える側も嫁ぐ側も本家から出すつもりだったという。そう知って、あたしは、一寿が自然と守りたくなると云っていた意味が少し理解できた気はしている。
 再検討は、本家の兄弟妹三人に不都合な事由ができたに違いなく、戒斗を見ていればその事由がなんなのかわかった。残る兄と妹にも離れられない人がいるのだ。
 それを認め、本家からというのが難しくなって考え直さざるを得なくなったのなら、一族狩りをするような蘇我家とはまったく格が違っていて、ずっと人間らしい一族なのかもしれない。そんなに偉いの――と一寿に云ったときの、非情なイメージはいまはもう感じていない。
 ただ、一族の掟、あるいは決まり事に口を出すことは、首領の妻である詩乃でもできない。けれど、納得がいかないものはけっして納得がいくことはない。考え直し、それを決断できるのは首領の隼斗だけなのだ。

「美鈴さん、戒斗さんのこと、あきらめたほうがよさそうだよ。嫁姑戦争が待っていそうだし」
「毬亜さん! 有吏のおばさまも。そういうんじゃなくってわたしもいつかだれかそういう人とって思っただけです。ね、叶多さん」
「あ、う、うん、そうだよね」
 叶多はまた何か考え事をしていたようで、慌てふためいて何度もうなずいている。
「いいよね。いつか、だれかと、かぁ」
 気づけば、あたしは本音を口にしていた。ここでリラックスしてしまうのは、あたしが毬亜でいるせいだろうか。
「毬亜さんもまだまだだよ?」
「あたしはね、“だれか”っていうのは決まってるの。でも、“いつか”っていうのは叶わないから」
 そう云いながら、脳裡に二つの顔が繰り返し入れ替わる。“だれか”はだれだろう。いつか、はいずれにしろやっぱり叶わない。

「あー、まあ、あたしにとっては“いつか”っていうのは贅沢。身分差ありすぎっていうか……きっと“だれか”っていう人と近くにいられるだけでラッキーかな」
 辛気くさいような感情をそのまま顔に出していたのか、叶多が困ったふうに首をかしげるのを見て、あたしは急いで言葉を継いだ。
「身分差って、相手の人が低収入なんですか?」
「ううん。そういうことには全然困ってない人」
「じゃあ問題ない気がするのに。毬亜さんてあの千重家ですよね?」
「あ、そうなんだよね」
 美鈴の指摘を受け、あたしは目をくるりとさせ、惚けたふりを装った。
「毬亜ちゃんて不思議よね」
 詩乃はおもしろがった様で首を傾けた。美鈴が、ホントですね、と相づちを打つと、あたしは油断してしまうのを自戒しながらおどけて首をすくめた。

「八掟、まだかよ」
 女同士の雑談に痺れを切らしたのだろう、陽が近くまで来てため息混じりで口を挟んだ。

 叶多の高校以来の友人、渡来陽(わたらいよう)は世界に名立たる渡来自動車の御曹司で、どうやら叶多に叶わぬ恋をしている。喋り方がつっけんどんで物怖じはせず、物知りで頭がいい。
 千重家の事故について叶多に教えているときは自説を交えていたけれど、蘇我との繋がりはわかっていなくても解釈は間違っていなかった。ついでにあたしは、蒼井毬亜という“別名”を持っていることで怪しまれている。
 千重旺介と結びつけられれば素直に付き合ってもらえないから別名を使うと理屈をつけているけれど、すんなり受けとめた孔明と違い、陽は納得したようで納得していない。

「あ、ごめん。もういいよ!」
 叶多が云い、乾杯からクリスマス会は始まった。
 立食だから自由に動きまわれて、最初は一つの輪だったものが人を入れ替えてはそこそこで会話が盛りあがる。音楽もクリスマスソングが立て続けに流れて、自然と浮き浮きした気分でいられた。

「お兄ちゃん、なんだかそわそわしてない?」
 フルーツを取り分けていると、近くにいた美鈴がそう云うのが耳に届く。
「……そうか?」
 孔明の一瞬ためらった応えを聞くと、美鈴の読みは間違っていないのだろう。
 ふたりみたいに察してくれたり察したり、兄妹にかぎらず、叶多と戒斗もしかりで、そういう間柄がうらやましい。
 あたしは察せられることはあっても、一寿の気持ちをうまく汲みとることができない。だから迷ってしまうという悪循環に嵌まる。

「あ、わかった。叶多さんに告白!」
 あたしが割りこんで云うと、何云ってるんだ、と疑うような眼差しが向いた。孔明は自覚がないらしい。京東(けいとう)大学だというが、勉強はできても、感情面の成績は最低レベルかもしれない。

 孔明はため息をついて口を開いた。
「戒だ。戒に頼みたいことがあるんだ」
「チャンスなら逃さないことだな」
 すかさず貴仁が煽ると、孔明はそれが合図だったかのように歩きだした。
「貴仁くん、チャンスって?」
「孔明も自立心出てきたってことだろう? 守ろうって気持ちは内向きになりがちだ。やっと蘇我じゃなく外を見る気になったんじゃないか。美鈴、ここは居心地がいいだろう?」
「うん。遠慮しなくていい感じ。嫌なことがあってもわたしにはここがあるって思えてる」
「ここに集まるのはだれにとっても必然になってるかもな。毬亜さんは?」
「そうかも」

 曖昧に応えながら、貴仁はあたしのことを見切っているんじゃないかと思った。あたしのことだけでなく、ここにいる必然が何かも。

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