魂で愛する-MARIA-

第11話 哀執aisyu

# 70

 あたしが旺介と伶介から聞いたということは、一寿に内緒にしてほしいと頼んで、彼らはそれを守ってくれている。
 ニュースになっているのに知らないふりというのも不自然だし、その日、一寿には吉村がこのさき大丈夫なのか、訊ねてみた。一寿の眼差しが探るように見えるのは自意識過剰になっているせいか。一寿は、一月さんはうまくやる、と漠然とした云い方であたしをなだめた。
 根掘り葉掘り訊けば答えてくれるのかといったら一寿は答えないだろう。逆に、伶介が教えてくれたような、一寿が知っているはずのことを答えないということが、何か隠されているように思えてならない。

 あたしは自分が蘇我に行くかもしれないことよりも、吉村を案じている。
 暇な時間があると、そわそわと落ち着きがなくなっって、時間を持て余しているあたしには、この四カ月、ちょっとした拷問になっていた。もともといけないことをしているのに、この頃はちょっと無謀なことをしている。

「アオイ、おまえと和久井さんはどうなってるんだ」
 史伸は運転しながらちらりとあたしを見て、ぶっきらぼうに、そして出し抜けな質問をした。
「どうもなってないよ」
「おれが訊いたのは変化ってことじゃない、在り方だ。和久井さんは、異常なくらいおまえを守ってるのにまったくカレシらしくない。おまけにおまえは文句も云わず従順だ。イライラするくらいな」
 史伸はびっくりするような言葉を立て続けに並べた。

「異常?」
「勝手に外出するなとか、千重家は牢獄じゃない」
「それは、たぶん丹破一家のことがあるから一寿は神経質になってるの。史伸もわかってるでしょ」
「まさか一族のためにおまえを守ってる、とか云うんじゃないだろうな」
「それもあるだろうけど、一寿は純粋に守ってくれてるんだよ。あたしを助けてくれたとき、ホントにぎりぎりのところだった。銃撃戦だよ? もし一族のために……あたしを利用するためなら、一寿の力があればもっと早く、安全なときにそうできてる」
「なんなんだ、その全面的信頼は」
 史伸は気に入らなそうに云い、あたしは思わず笑った。

「本能的なことかも。それに、一寿はカレシじゃないよ」
「和久井さんは覚悟してるって云ってただろう」
「一寿は『ともにする』って云ったよ。あたしと一寿は運命共同体っぽい」
「不当だろう。せめて、あの冷淡ぶりはなんとかならないのか」
「一寿は冷たく見えるかも知れないけど、いまの史伸と同じ」
「おれ?」
「そう。史伸も云い方はきついし素っ気ない。でも、いまの会話は全部あたしのことを考えてくれてるからだってわかるし。やさしいからあたしのわがままを一寿に内緒にしてくれて、こんなふうに連れだしてくれる」
 史伸は、しまった、とでも舌打ちしそうな気配を見せたが、結局は無視することにしたようで喋らない。あたしはこっそり笑った。

 目的地、たか工房に着いて車を降りると、十二月も半ばすぎた日曜日、空気が冷たくて、亀みたいに手も脚も首も引っこめたくなる。
 加えて、もう時間を置かずして今日のことが一寿に知れるだろうことを予感すると、寒さと相まってぷるっと身ぶるいをした。
 一つ深呼吸をし、あたしは足を少し進めて店のまえに立つと、まずは玄関横の陳列棚を覗いた。

 この工房の主、崇裕紀(たかひろのり)はガラス工芸士だ。有吏一族が目に留めるほど、伝統工芸品の江戸切子を手掛ける逸材の人物らしい。あたしには価値はわからないけれど、手の凝って計算という美学を貫く作品と、思いついたまま気まぐれを貫く作品が、ガラス棚の上で程よく調和している。その実、“気まぐれ”は時に“才能”とも云い、目のまえにある気まぐれは美学に見劣りせず、少なくともあたしの目には才能と映る。

「アオイ」
 背後から声がかかり車のなかを覗きこんだ。
「史伸、ありがとう」
「四時の予定で迎えにくる。時間ずれるときは電話くれればいい」
「うん、いってきます」
 史伸がうなずき、あたしは手を振ると店に入った。店内は無人で、監視カメラがあるとはいえ、いつものことながら不用心だ。
 そのまま店内を抜けて裏口から出れば、住まいと工房、それぞれの建物に続く道が二手に分かれている。耳をすますまでもなく工房のほうからにぎやかな声が届いてくる。
 住まいのほうでガラガラと戸の開く音がして、見ると八錠(はちじょう)叶多が出てきた。

「あ、毬亜さん!」
 いつもの元気いっぱいの声があたしを呼ぶ。
「叶多さん、こんにちは」
 そう返す間に叶多は小走りでこっちに来る。手にしたボールに入っているのはなんなのか、こぼれないのかとハラハラしてしまうのは叶多の雰囲気のせいか。犬呼ばわりされているけれど、本当にそんな感じだ。
 背はあたしとほぼ同じくらいの低さで、小型犬のようにちまちまとして纏わりつかれると、邪険にしたくなるタイプもいるだろうが、叶多はヨシヨシしたくなるタイプだ。ベタベタしてくるわけでもないし、かまわれたいという甘えん坊でもないからかもしれない。放っておいても傍にいることで満足しているみたいに勝手に喜んで跳ねまわる。あたしからは、それだけ叶多は強くて余裕があるように見えた。

「あ、フルーツ! 美味しそう」
 シロップのなかに赤いさくらんぼが目立つ。叶多をはじめて見たときに着ていたTシャツの色を思いだした。
「でしょ。いま、みんなでサンドイッチ作ってる」
「あたしも手伝ってくる」
「うん、あっちでやってる」
 叶多は住まいを指差すと、また戻るよ、と云って工房に向かった。

 一寿のあとを追って、叶多を覗き見したのは一年まえの夏だ。そうして今年の四月、叶多が通う青南大学に行って接触した。一寿が知れば怒るとわかっていても、あたしは“叶多さん”を知りたかった。
 有吏戒斗を主として在る一寿は、主の気持ちとリンクしてそのカノジョを大事にしているんじゃないかと思うことがある。
 一寿は、仕事で見ることと自分の意思で見ることを割りきる術を知っている。あの夏、叶多と向かい合っている一寿を見てそんなふうに感じた。千重アオイにも穏やかだったが、彼女に対しては、ここからは踏みこまないという一線が見えていた。

 たぶん、一寿を疑うことは愚かだ。
 カズだった頃の笑った顔をあたしに見せて。
 疑っているのではなくて、あたしはきっと欲張っている。
 傍にいるのにさみしい。
 吉村は遠くにいて、いつでも会えるわけではなくて、さみしかった。一寿はいつでも会えて、会えば抱いてくれる。それでもさみしいのはなぜ?
 四カ月まえからそんなことを考えている。
 けれど、考えなくてもわかっている。自分の気持ちだから。

NEXTBACKDOOR