魂で愛する-MARIA-

第11話 哀執aisyu

# 69

“丹破一家、内紛か? 抗争か?”

 そんな文字があたしの目に入ったのは四カ月まえだ。
 千重家に来てから一年をすぎていたが、家柄に影響を受けたというのもあるだろう、新聞を読むようになった。
 そうしてその朝、ダイニングテーブルに着いた旺介が隣で読んでいるのを何気なく覗いたとき、紙面の端っこに見つけた太字の見出しは、すぐあたしの目に飛びこんできた。
 記事を読めば組員一人が四日まえに射殺されたという。名は書かれていない。

「おじいちゃん、このニュース、どういうこと? 丹破一家で何があってるの? 殺されたのだれ? 総長って書いてないから吉村さんじゃないよね?」
 矢継ぎ早に浴びせた質問はだんだんと口調がきつくなった。
 同時に、旺介の顔も険しくなっていく。
「吉村総長じゃない」
 答えたのは伶介だった。
「パパ、アツシでもない?」
「ああ」
 ひとまずその二つの返事を訊いただけでほっとした。
「よかった」
「当然、知ってるんだろうが」
 旺介は語尾を上げ、説明するよう促した。
「吉村さんはあたしを助けてくれようとしてた。もうすぐっていうときにあの事件があって……そのまま。あたしが死んだって思ってるから、ここには迷惑かからないと思う」
「迷惑なんて気にすることはない」
「うん、ありがとう。アツシは吉村さんがいちばん信頼してる人」
「岡田敦(おかだあつし)なら、いま若頭としている」
「ほんと? よかった」

 二度め、少なくとも吉村の傍に心を許せる人が一人はいるとわかってあたしは心底から安心した。
 けれど、この安心感はどこからきてどこにおさまっているのだろう。そんなことを思う。
 会いたい。その気持ちは、会えない、と置き換わって、和久井家ではなく千重家という接点すらない場所にいるいま、遠い記憶になりつつあった――はずが。
 千重家はいろんな業界に情報網を持つ。知りたければ訊けるという、まだあたしは吉村と近い場所にいるのかもしれなかった。

「吉村さんは……結婚した?」
「いや」
 短い返事を聞いたあとの吐息は、安堵だと認めざるを得ず、また、今日の記事みたいに危険なことは除外して、吉村との時間を穏やかな気持ちで思いだせるあたしは卑怯な人間に堕ちたような気がした。
「……丹破総長の奥さんだった人は?」
「抗争事件後、如仁会総裁のもとに帰ったと思うが。丹破京蔵は組織の裏切り者だ。総裁の娘でなかったら命はなかっただろう」

 裏切り者の京蔵は、一寿に云わせれば、嵌められた、のだ。だれに? その答えはまだ出ていないと気づく。
 スモークピンクのスーツケースを持ちこめるのはだれ? あたしがいるというのに。
 京蔵のボディガードはみんな殺られていた。あのマンションに閉じこめられて以来、ボディガードのメンバーが入れ替わったことはないし、彼ら以外で、外から鍵がかかるあの部屋に自由に出入りできる人はいない。
 一方で、京蔵が何かしようと企んでいることも確かだった。

「丹破総長は何を裏切ったの?」
「一寿から聞いていないのか?」
 その質問をされたら、答えが聞けないだろうことも予測がつく。あたしはため息を漏らしながら首を横に振った。
「精神的に余裕がなかったからそういうことに気がまわってなかったの」
 伶介は旺介を見やった。すると、かすかにうなずくようなしぐさをした旺介が目の隅に見えた。話してくれるのかという期待は、伶介が口を開き、叶った。

「ニュースにもなったが、発端は覚醒剤と拳銃の密輸だ。密輸だけならありふれたことだが、京蔵は首竜から金を払わずして横取りした。当然、首竜との抗争は避けられない。如仁会は藤間総裁の跡目問題を抱えていた頃だ。抗争など面倒なことを歓迎するとは思えない。覚醒剤はともかく、個人的に拳銃を手に入れて何に使うつもりだったのか。跡目問題で、内紛を目論んでいたという噂もある」

 けれど、横取りではない。京蔵の慌てふためきぶりは本物だった。
「じゃあ、今度の事件は何が起きてるの?」
「はっきりはしていない」
「わかる範囲でも憶測でもいい。知りたいの。だれにも云わない。云う人いないし」
 一寿に吉村のことを訊ねるのはためらわれた。裏切っているような気がして、訊きたくても訊けない。
 しばらく沈黙が続いたが、あたしがじっと見つめて訴えているとやがて伶介は降参した様でため息をついた。

「丹破京蔵の死後、如仁会総裁の跡目は舎弟の一人に渡った。元総裁、藤間は相談役に退いているが、藤間一家の総長であることには変わりない。そこに載ってる殺された奴は丹破一家の下っ端だが、クラブで酔っぱらっては藤間一家に幹部として呼ばれることになっていると漏らしていたらしい。二年まえから急に羽振りがよくなったようだ」

「どういうこと?」
「二年まえの事件には黒幕がいるという推測もできる。殺された男がその手下ならば、あの時期、抗争を避けたがっていた藤間一家がなぜか殺された男と繋がっている、ということになる」
「殺されたのは……じゃあ、口封じ?」
「そうとも云えるし、報復とも考えられる」
「報復? でも、丹破一家と首竜はもう結着がついてるって」

「いや、丹破一家内の報復だ。丹破総長は不名誉なまま死んだ。丹破一家の名も傷ついている。吉村総長は仁義を立てつつ強かな男だと聞いている。あの事件に裏があるなら、とことん追及するだろう。単純に、おまえが云ったように黒幕が口封じに走ったというのも考えられる」

 あの事件は、一寿と寿直が話していたように、吉村が解明するかあきらめないかぎり終わらないのかもしれない。記者たちが推測できるのなら、吉村がそうできないはずはない。それどころか、吉村はもう最終的なところまで突きとめているのかもしれない。それが藤間一家と関係あったときに、どういうことが起きるのか、あたしには想像もつかない。

 死なないで。
 そのとき、足首が疼いたのは月が応えたのか、永久の守護者が締めつけたのか。

NEXTBACKDOOR