魂で愛する-MARIA-

第10話 スタンドイン−合紋aimon−

# 66

 無言で車に乗らされ、何が気に入らないんだろうと思うほど一寿は道中も口をきかない。これでは本当に拗ねているみたいだ。
「一寿、喋っていい?」
 思いきって訊ねてみると、昨日の天気がどうだったか、そんな議論を持ちだしたみたいに、下らないといった様でちらりと流し目に見られた。
「大事なことなんだけど」
「だれも喋るなとは云ってない」
 云っていなくても雰囲気を出している。そう云うのはやめておいた。
 あたしはうなずいて、覚悟するのは一寿の了解を得てからでもう少しあとになるが、一つ息をついてから口を開いた。

「あたし、一寿の力で千重家の人に信用されてるけど、それは本当にあたしが受け入れられてるってことにはならなくて……なんとなくだけど、あたしがいると、自分の家にいるのにみんなゆっくりできてない感じがしてる」
「いいようにおまえを使っているのはわかってる」

 どんなふうに捉えたのか、一寿の発言はあたしを驚かせた。
 謝罪か云い訳か、後悔か罪悪感か。
 いずれにしろ、あたしにとってあまり歓迎できない言葉だった。あたりまえに発生する感情ほど表面的で、当てにならないものはない。まるで距離を置きたがっているように見える。

「一寿、千重アオイさんのこと。本当は好きだった?」
 一寿は一瞬、時を止めたような気配を発した。それから、あたしを一瞥するしぐさは妙にスローに映った。実際は、運転中であり、刹那にすぎないのだろうが。

「何があってそう思うんだ」
「あたしが千重アオイになってから、一寿はあたしをちゃんと見なくなったから。頭で思ってることと心で感じることは違っていて……千重家の人たちと同じで、一寿はいざとなってからやっぱり受け入れられないことに気づいたのかもって思ったりしてる」
「勘違いだ」
「もっとまえに……千重アオイさんが元気だったころに、あたしが代役してたらよかったね」
「どういう意味だ」
 責めるように口調がきつく、ハンドルを持つ手にも力がこもって見えた。

 一寿はけっして鈍感ではない。あたしの言葉は思った以上に正解に近く捉えている。そのままにすれば、いつ逃げてしまうかわからないという疑心暗鬼のもと、一寿はあたしを信頼してくれなくなる。誤った解釈ではないけれど、一寿の信頼を裏切るなんて、それはあたしの真意じゃない。
 あたしはごまかす言葉を探した。

「……元気だったときなら後ろめたくないってこと。千重アオイさんの居場所を横取りしてる気がするから」
「千重家に居づらいんなら方法を考える。海外留学してることにしたり……」
「そうじゃないの。蘇我に行くことになって、千重家の人と他人行儀だったら怪しまれるし、仲良くできてなくちゃだめなの。でしょ?」

 一寿の口から別の方法がすんなりこぼれると、もしかしたら考えていたことなのかもしれないと思う。いいように使っている、と一寿にとってはずっと引っかかっていることなのかもしれなかった。非情に見えて非情でない。そんな一寿だからこそ、後悔などではなく、必要だと、そんな期待できる言葉を少しずつ、ずっと云ってくれるだけでいいのに。

「案があるのか?」
 一寿はしばらく考えこむような間を置いて問いかけた。
「うん。あたし、自分のこと、千重家の人に云っておこうと思って。嘘を吐いてるわけじゃないけど、黙ってるってそれと同じことだって気がする。でも、そうすることで出入り禁止ってなったら一寿に申し訳ないし……」
 また一寿は黙ってしまう。一寿の一存では判断できないことかもしれない。
 沈黙が続いて返事をあきらめた頃、赤信号で車が止まり、同時に一寿が深く息をついた。
「そうしよう」
「……え?」

「云っておくべきだ。おまえの云うとおり。こっちから千重家に出した案は、約定婚にあたって分家としての名前を貸してほしい、ということだった。有吏本家のダミーになる件は千重家が云いだしたことだ。千重家はそうすることで、有吏一族の保護を得られる。おれも考えていないことではなかった。これからの検討事項だ。この段階で千重家に有吏本家を明かすわけにはいかない。だから和久井家は――おれは千重家の信用を全面的に得ているわけじゃない。ただ知られていいことはちゃんと打ち明けておく。それがいちばんだろう」

「うん」
 信号が青に変わる。車が発進する寸前、ふたりともが大きく息をついて、それは気持ちが共有できたことの表れのようで、あたしはなんとなく可笑しくなって笑う。一寿がちらりとあたしを見下ろして、怪訝そうに首をひねった。
「莉子姐さんからもらったアンクレットしていい?」
「するしないはおまえの自由だ」
「うん。じゃあ、する」

 靴下を脱いで座席の上に膝を立てると、莉子からもらったアンクレットを足首に巻いた。
 墨一色の月とロザリオの下に、プラチナの鎖と無限大のトップ、そしてペリドットが色を添えるという、すべてがしっくりと相乗効果を伴ってマッチする。

「無限大のマーク。可能性に限りがないって……吉村さんはそんな人だって一寿は云ったよね。和久井組から学んだのかな」
「それは一月さんにしかわからないことだ」
「うん」
「まだ……会いたいか」
「もう……わからなくなってる。わかってるのは、あたしと吉村さんが会っても、会えてよかった、って思う人がだれもいないってこと。あたしも吉村さんも周りも」

 吉村のことは悲しい。そして、いまさみしいのは、一寿にそっぽを向かれることだ。

 また一つため息をついた一寿は、「さっきの質問が」と云いかけたところで区切り、そして続けた。
「恋愛感情としてだったら答えはノーだ。おれの優先事項は埋め尽くされてそういった余地がない」
「うん」
 当然、有吏家のことだ。あたしはそう思いながらうなずいた。

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