魂で愛する-MARIA-

第10話 スタンドイン−合紋aimon−

# 65

 会社に訊いてくれるかと思った一寿の居場所は、莉子が大胆にも直接本人に電話することで、あっという間に判明した。
 どこに行くの? という問いかけから始まって、銀座のジュエリー店に寄って注文していたものを帰りに引きとってほしいという、タケでもできそうな――いや、タケはいかにもといった人相だから入店できないかもしれないが、ともかく、ほかの人でも代理できそうなことを頼まれて、一寿はどう思ったのか、了解はしたみたいだ。
 あまり乗り気じゃなさそうなタケに連れられてその場所に向かった。

 これといって特徴のない、敢えていえば、馴れ合い感のある街中に入り、タケは駐車場に車を止めた。案内されるまま、タケのあとを歩いていく。そして、タケが立ち止まるとぶつかる寸前で足を止めた。
 タケの背中から顔を覗かせると、道路を挟んで反対側の少しさきに黒塗りの国産高級車が止まっている。黒いスーツを纏い、その車に寄りかかっている姿は見慣れていても見惚れるほどスマートだ。

 タケが慌ててあたしの手を引き、他人の敷地内に入って建物の陰に隠れた。他人というよりも、いま一寿がいる場所と同じで、アパートの敷地だ。
 階段の手すりのすき間から一寿を捉える。この暑さのなか、一寿の周りだけひんやりとした空気を感じる。それがふいにがらりと雰囲気を変えた。
 遠くからでも感じとれるのは、それだけあたしと一寿の距離が近いということだろうか。

 一寿の視線をたどると、ジーパンにチェリーレッドのTシャツという髪の長い女の子がアパートから出てきた。
 駆け寄った女の子は強面の男に物怖じすることなく、それどころか親しげだ。
「あの子はだれ?」
「……若頭がお付きの、有吏家の坊ちゃんと同棲してるカノジョですよ。早く帰りましょう。若頭に知れたら大事になります」
 タケは渋々と答えた。
「一寿のあんな顔、はじめて見た」

 ここ一年、頻繁になった急な呼びだしにも渋面一つ見せず、それどころか微笑みすら浮かべて応じている一寿の行き先がどうしても知りたかった。
 あたしには絶対に向けることのない、穏やかなやさしさと笑み。そして、千重アオイに見せるものとも違っているような気がした。いま、一寿は声に出してまで笑っている。
 あの子は“叶多さん”。タケに訊くまでもなく、ひと目見ただけで見当がついた。
 千重アオイと同じで、あの子にはあたしがとっくになくしてしまったものが見える。

「お嬢……」
 タケは、通じる世界が限られた敬称であたしを呼んだ。
 その声にあるのは同情?
 一年も近くにいれば、タケもある程度の状況は察しているだろう。

 あたしは名前を捨て、自分を売ったのとかわらない。あたしに残ったのは“一寿”という盾だけ。
 それなのに一寿も危うい。
 あたしがいなかったら――。

「そんな呼び方、あたしにはふさわしくない。一寿にとって、あたしはイロにすぎないんだよ。もしかしたらもっと下級かもね」

 あたしを見る目はいま、いつも冷たくて、情事のときさえ、それどころか自分の慾を吐きだす瞬間さえ、冷めた表情を消すことはない。
 希望は持っていない。あの子みたいに“きれい”には戻れないから。
 それでも欲しい約束 が一つある。


 銀座のジュエリー店から一寿が受けとってきたものは、思いもかけず、莉子からのあたしへのプレゼントだった。
 誕生日の前倒しで、七月の梅雨明けまえ、必要だろうからと服をたくさん買ってもらっていたし、ジュエリーなんていう上品ぶったものはあたしに似合わない気がした。
「莉子姐さん、うれしいけど……」
「いいから遠慮はなし。開けてみてちょうだい」
 断りの言葉はあたしをさえぎって強硬に破棄された。

 いかにも銀座っぽいシンプル、且つシックな、白地に黒のロゴが入った小さな紙袋から中身を取りだした。エンジ色のレザーケースもまた型押しされていて、いかにも高級だ。
 ふたを開けてみると、プラチナらしい小さな鎖の輪っかがおさまっていた。濃淡のグリーンのガラスの粒が散らばり、“8”の字が横向きで一つぶらさがっている。

「ブレスレット? “8”って?」
「じゃなくて“無限大”の記号」
「無限大? そうなんだ」
「和久井家の男たちは名前に“寿”って字を持つでしょ。常に危険を伴っているから、長命であるようにという願いが込められてるのよ。“久しい”もそうだけど」
「“永久”の久しい? あ、代紋てだから“8”じゃなくって無限大が入ってるんだ」
「そういうこと」
「可能性には限りがないという意味もある」
 リビングのソファに座ってコーヒーを飲んでいた一寿は、振り返って口を挟む。何か云いたそうにしていて、あたしはすぐにその理由を思い立つ。
「それから、ブレスレットじゃなくてアンクレットだから」
 一寿に応えられないうちに莉子があたしの思い違いを正した。

「足首にするの?」
「そう。夏なのに靴下を穿(は)いてわざわざタトゥーを隠してるから、アンクレットまで重ねていれば、お洒落だって思ってくれるんじゃない?」
「そうそう。シールだって云っても通じると思うよ」
 継いだ莉里乃の言葉に莉子は深くうなずいた。
「向こうの家に気を遣ってるんだろうけど、あんたのは上品だし、きれいなんだからもったいないわ」
「ほんと? ありがとう、莉子姐さん。そうする」
「一寿も身に着けてあげて。そしたら拗ねてるのもちょっとはマシになるんじゃない?」
 一寿も、という言葉からすれば、莉子はこのタトゥーの意味を知っている。
「拗ねてる、って……」
「なんのことだ。アオイ、千重家に戻るぞ」
 びっくりしつつ云いかけたあたしをさえぎって一寿はさっと立ちあがった。見向きもせずに廊下に出ていく。

 莉子と顔を見合わせると、莉子は明らかにおもしろがっていて肩をすくめてみせた。
「宝石は八月の誕生石のペリドット。和久井の紋も合わせて、あんたを守ってくれるわ」
「うん。ありがとう。じゃあ、また来るね」
「いってらっしゃい」
 莉子はいつもの言葉で送りだした。

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