魂で愛する-MARIA-
第10話 スタンドイン−合紋aimon−
# 64
千重アオイは事故から約半年後、三月の初めに亡くなった。
少なくとも一カ月に一度、あたしは一寿に同行して彼女を見舞っていた。亡くなる三日まえという最後の見舞いとなった日、彼女は夏の日のキュートだった面影をなくし、小さくなって見えた。
あたしじゃなくて、なぜ彼女なんだろう。
根本が完全に間違っているのに、あたしはそんな疑問を抱いた。
彼女の死は伏せられたすえ、それから一カ月して、あたしが千重アオイになるという一寿が出した提案は、千重家のほうから連絡があって合意に至った。
それだけにとどまらず、千重家は有吏一族本家のダミーになるという。何が理由になって千重家はそんなことを承諾したのか。それは蘇我家と和解することが前提となる案であり、有吏一族が和解を破棄すれば千重家の出番もなくなってしまう。千重家のことを考えれば、そうなればいいと思う。
五月になってあたしは千重家に移り住み、もう四カ月がたとうとしていた。
「一寿、いい?」
和久井家のあたしの部屋の壁に押しつけられ、独り裸で、独り逝って、あたしは喘ぎながら問いかけた。
「ああ」
そのひと言は、返事をする面倒くささを含んで聞こえた。
けれど、問わずにはいられなくさせているのは一寿だ。
スーツのジャケットだけ脱いだ一寿の足もとにひざまずくとベルトに手をかけた。ジッパーをおろし、ボクサーパンツをずらして、一寿のモノをつかむ。オスは上向きかけて反応を示している。それだけで、あたしは自分独りが感じているわけではないとわずかに安心する。手のなかでぐんと硬くなって男根は質量を増した。
先端を含むと男根はびくっと跳ねる。舌を巻きつけるように動かすと、頭上で呻き声が漏れる。そうしながら口のなかに深く含んでいき、入りきれない部分は手のひらと指先で刺激する。口のなかはいっぱいだったが、男根が独りでにつつくような動きをして刺激を返してくる。
一寿を逝かせられるまでもう少し。そう思った矢先、一寿の手が頭をつかんで自分から放した。
わきをすくわれて立ちあがると、片方だけ脚を持ちあげられ、すぐ傍のベッドのフットボードに足の裏がのる。
「つかまれ」
もう片方の膝の裏をすくわれる寸前、かがんだ一寿の肩につかまる。一寿は上体を起こすと躰を密着させ、あたしは背中を壁に支えられてバランスを取り戻した。躰の中心に充てがわれた男根の先端がぬぷりと潜りこむ。膝を抱える一寿の腕の力が緩むにつれ、あたしの躰は沈んでいく。
あ、あ、あ、あ……んああっ。
一寿の男根は最奥に達して、身ぶるいするような快感を与えられた。
腰がうねってしまうのは自然な反応だったけれど、感度はさらに上昇してまたうねる。そうして一寿が少しも動かないのに、あたしは勝手に快楽を貪っていた。
一寿はこんなあたしを見下ろして何を思っているだろう。時折、眉間にしわが寄るのは感じているから?
「あっ……一寿……もう……っ」
「いつでも逝きたければ逝け。いつも云ってるだろ」
「スーツ……汚しちゃぅ……かもっ」
「着替えればすむ」
んっあっ。
腰をくねらせながら痙攣が始まる。
脳内まで快楽に侵され、来る、そう思った瞬間、機械音が冷ややかにあたしの悲鳴をさえぎった。
一寿の目と合う。切れ長の目は瞬きをした瞬間に他人行儀に変わった。
なんの意味もなかったように、一寿はあたしのなかから抜けだし、その間すら刺激にふるえていたあたしを置いてけぼりにして、ベッドに放っていたジャケットを取りにいった。
「和久井です」
そう名乗る声から情事のあとは欠片も覗けない。
短い交信を終えた一寿が何を云うか、わかっていた。
「急用が入った」
一寿は淡々と乱れた服を直していく。
「うん。いってらっしゃい」
躰がまだ疼くのと裏腹に頭のなかは急速に冷えていた。笑みを浮かべると、一寿はまるで怒ったように目を細める。
「ああ。夕方また送っていく。それまで出るな」
「うん」
一寿は背中を向けて出ていった。
一寿が素っ気ないことはずっと変わらないことで、助けだされてからは、以前にもましてつれなかったが、常に気を配ってくれているのは感じとれていた。
素っ気なさの種類が変わったのは千重家に移り住んでからだ。いや、あたしが千重アオイになると決まったときからかもしれない。一寿はあたしとの間に距離を置いている。どういう気持ちからそうなっているのか、見当もつかないで惑っている。
あたしはセックスで、ばかみたいに快楽を底なしで得られるけれど、セックス依存症じゃない。
一寿はあたしに感じているか、セックスは唯一あたしが受け入れられているかという試しの場のようなものであり、抱いて、と会うたびに云ってしまう。
以前もあたしから誘うことで始まっていたけれど、一寿はちゃんと時間を取って、中断されることはなかった。それがいまは、今日みたいに莉子が会いたがっていると云い、中途半端な時間を選んで誘わせる。そんな気がしている。
それでも確かめたくて誘ってしまうから、一寿は義務みたいに付き合うという、虚しさだけが残って終わる。けっしてあたしの本意じゃない悪循環に嵌まっている。
無下に中断させられるのは何回めだろう。
本来、怒るべきなのは一寿ではなくてあたしのはずだ。そうできないのは、あたしは自分で思うよりも一寿を当てにしているのだと思う。
あたしは一寿に逆らってみたくなった。
急いで服を着ると下におりた。
リビングには莉子と莉里乃と泰司、そしてタケがいた。たぶん、あたしと一寿の関係は知られている。ちょっと気遣うような眼差しが向いた。知っても疎んじたり毛嫌いしたり、そういう負の感情がないから救われている。
「アオイ、おやつは何がいい?」
「莉子姐さんのパンケーキ」
「あんたはいつもそれね」
莉子は呆れたように首を振る。
「シュークルカンディのケーキは千重家でも食べられるけど、莉子姐さんのパンケーキは千重家じゃ食べられないから!」
そう返すと、莉子と莉里乃は声をそろえて笑う。
「確かにそうね」
「莉子姐さん、一寿はどこに行ったのかわかる? 有吏家の用事だと思うけど」
「聞いてどうするの」
「ちょっと尾行」
わざとおどけて云うと、莉子は眉を片方だけ上げた。訝ること半分、おもしろがること半分といった様だ。
「タケに連れていってもらう。一寿には見られないようにするし、有吏家の人を見てみたいだけ」
「アオイ、千重家では本当に困ってないのね」
何を思ったのか、莉子はとうとつに訊ねた。
「うん。全然大丈夫だよ」
「あんたはなんでも引き受けちゃうから」
莉子はこれでもかというくらい深く息をつく。どうにかできればと莉子が思案していることは知っている。身代わりの件を知ると、大層、寿直と一寿に喰ってかかった。けれど、有吏一族の男たちの意思を動かすのは難しい。いつか、莉子はそんな不満をつぶやいたことがある。
「莉子姐さん、ここは仁義の世界でしょ。あたし、救ってもらったお礼がしたいし、役に立てるならそれがいいの。一寿がいてくれるから不安はないし。だから、一寿の居場所を突きとめて!」
莉子はじっとあたしを見つめたあと、ため息をついて携帯電話を手に取った。