魂で愛する-MARIA-

第10話 スタンドイン−合紋aimon−

# 63

 おれがはじめて会ったときのアオイは、化粧を落とせば本当に子供だった。何が身に起きるのかを少しはわかっているのか否か、一月を縋るように見つめるアオイの横顔は印象的で、ずっと脳裡に残っている。
 父親は行方知れず、母親は軟禁され、もうすぐ十六歳だというアオイが独りになれば心細いのは当然だ。そこで一月が現れれば頼りたくなるのもまた当然だ。

 一月は自分を甘いと云う。
 確かに、おれを殴りつけたときのように手加減しない面もあるが、荒ぶる一月を見たのはそれ一回きりで、概ね黙して従えるといったオーラで事を運ぶことが多い。丹破一家に世話になった間、アツシやほかの連中から聞いた話のなかに武勇伝はあっても、一月が激昂したという話はなかった。

 不良でもなんでもなくごく普通の環境にいた一月が、裏社会に足を踏み入れたのは二十歳のときだと聞く。高校卒業後、大学に進学するに当たり上京し、そうして出会った女がアンダーグラウンドへの扉を開いた。
 出会ったきっかけまではわからないが、一月はそうと知らないでやくざの組長の娘と付き合った挙げ句、女の男だと主張してきた奴をはじめとした、柄の悪い連中から集団で暴行された。女はそれを見て嗤っていたという。
 そのとき一月を助けたのが父、寿直だった。
 強くなりたい。鍛えてください。
 ぼろぼろになりながら這いつくばって、そう請うた一月にあったのは、悔しさなのか復讐心なのか。
 一月は大学をやめ、和久井組に入った。

 同い年だと聞かされていた女が実は十六歳だったこと、彼女の父親より強力な組の男に嫁いだのち自殺したこと、それを一月が知ったのは和久井組に来てから三年後、彼女の死から一年後だ。女から和久井組に一月宛の電話があったのは自殺の直前で、一月は出なかった。
 それから一月は和久井組からふらりと姿を消した。
 如仁会の話のなかに名を聞くようになったのは、一月が三十歳の頃だ。
 その間にどんな時を経ていたのか、数年後、丹破一家の若頭になって和久井家に挨拶に来た一月は、その雰囲気から穏やかさをまるっきり削(そ)いでいた。

 迫力を伴う冷静さが、裏社会では怖さ以上に人を信用させる力を持っている。一月はそれを甘いと云っているのだろう。女にもその甘さが通じるようで、ゆえに惹くのかもしれない。まだ女とは呼べなかったアオイもまた、そのうちの一人だ。
 だが、ほかの女と決定的にアオイが違っていたのは、十六歳だった、ということかもしれない。

 当時はそういった事情をまだ知らず、おれは、愛人とした母親の娘だから一月はアオイを気にかけるのだと思っていた。そして、事情も知らないまま途中で、一月が本気でアオイを守ろうとしていると感じ始め、アオイを抱いたおれを手加減なく暴行しかけたことが裏づけた。
 一月はどちらにどちらを重ねたのか。あるいは、同じ年というのは単なるきっかけにすぎず、ただアオイを愛したのか。

 調べてみれば、女は無理やり結婚させられたようで、その相手が一月を暴行した主犯だった。嗤った女は、心(しん)から嗤ったのか、嗤うために嗤ったのか。
 そして、二次団体の組長だったその男は、一月によって組への裏切りを暴かれ、潰された。一月は手を汚さず、それどころかその組に恩を売ったうえで男を葬ったのだ。

 一月にどんな心志(しんし)があったのか。それらを知ったとき。
 生き延びろ。
 アオイに向けた言葉にどれほどの意が込められているか、おれはわかった気がした。


「どこか行きたいところあるか」
 千重家を出て、大通りに出ると訊ねてみた。アオイは覗きこむように首をかしげる。驚いた気配を感じとって、ちらりと見下ろした。
「時間ある?」
「だから云ってる」
 そう返すとうれしそうな気配に変わった。
「莉子姐さんが美味しいもの買ってきてって。隣町にお菓子屋さんできたでしょ。そこのチョコラスクがいいかな。だから、そこに行って」

 それは、アオイが行きたいところ、ではない。
 人のことをまず優先させるのは、幼いうちから逆らうことのできない下劣な環境に置かれたせいだろうか、やはり受け身だ。
 だが、人のことを優先させるのはおれもそうだ。アオイは見抜いている。常に守る立場でいることの孤独を。傍にいる。アオイが云ったとき、おれははじめて弱さを認めなければならなかった。

「おれは、おまえが行きたいところを訊いてる」
 ちょうど赤信号で止まってアオイを見やると、びっくり眼が向かってくる。そして、可笑しそうにくちびるが弧を描いていく。
「じゃあ、あたしの部屋」

 無欲なのか欲深なのか。
 おれがそれに応えなかったのは、それだけで逸りそうな自分のプライドを保つためだというのは認めざるを得ない。あまつさえ、応えないでもアオイは了解したとわかっている。
 おれからけっして誘わないのもプライドだ。そして、いざそうなったときのために、これ以上、アオイをおれに近づけさせるわけにはいかなかった。アオイのためではなくおれ自身のために。

 はじめてアオイを抱いたとき、それはアオイのためだった。
 一月を、もたもたするなと煽った。
 同情だったはず。
 一月に一方的に殴らせた。それは、一月を慕うアオイに対して、弱みに付け込んだという後ろめたさもあったからだ。
 アオイは躰を張っておれをかばった。だが、おれをかばったのは、おれのためじゃなく一月のためだというのはわかっている。

 いつか、一月さんじゃないだれかが必要になったらおれを呼べ。

 おれはその言葉に託したのかもしれない。
 関心などではなく。
 おまえが欲しい。

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