魂で愛する-MARIA-

第10話 スタンドイン−合紋aimon−

# 62

 千重家の応接間には、やたらと花瓶が並ぶ。花を活けるためではなく鑑賞用だ。チェストの上には小振りのものが、床には傘立てと紛うほどの大きさのものが飾られている。毎読新聞の現会長、旺介の亡き妻が趣味で集めていたものだったという。
 応接間に限らず、あちこちで見られるが、鑑賞していたのは収集した妻のみであり、残された家族たちがそれを眺めるのは意味合いが違う。
 二十四年まえに暴行事件で長男の達一(たつひと)を亡くした母親は、心労により床に就くことが多くなり、心疾患を患って長男のあとを追うように早くに亡くなっている。
 その遺産である花瓶はいま、目のまえに座った千重家の筆頭者とその息子にとって、忘れてはならない、という象徴(エンブレム)になっていた。

「意志は変わりませんか」
 おれはふたりをかわるがわる見ながら、再度――いや、これまでにも数回に及ぶ質問をまた向けた。
「何をためらう必要がある?」
 旺介は首を振りながらうんざりといったふうに逆に疑問を向けてきた。同時に、伶介からはため息が漏れる。
「これで黙っていられるとしたら、ジャーナリストとしても夫としても父親としてもあまりにも不甲斐ないだろう」

 苛立った言葉は以前の伶介なら考えられなかった。兄を亡くして取材を続けているときにはじめて会ったわけだが、銃撃事件以前は温厚でよく笑う人だった。
 妻はリハビリ入院中、娘はいまだ意識が回復しないまま。明るく、千重アオイを中心とした笑い声に満ちた家庭は、半年まえ静けさへと一変した。

 伶介は、「和久井」と呼びかけて続ける。
「きみの一族にどれだけの価値があるのか、私たちには理解できないことだ。ただし、千重家とてただの成り上がり者ではない。少なくとも報道に関するかぎり、プライドを持って仕事をしている。知る権利が脅かされてはならない。あるいは、それは私の建て前かもしれない。いずれにしろ、秩序も守れず世を好き勝手に操作する一族など必要ない。目下のところで云えば、蘇我一族は葬られるべきだ」

 伶介の発言は、場合によってはもう一つの名のなき一族――有吏一族も葬るというほのめかしが含まれている。

「蘇我と我々一族の関係は以前にも話したとおりです」
「このまま和解すると?」
「いえ、それはわかりません。現段階では何も決定事項ではありません。どちらかといえば、後退するのではないか、とだけ云っておきます。和解するにしても、蘇我を全面的に信用することはまずありません」
「それでも和解という話が挙がることがわからんな」
「達一さんをはじめとした犠牲者が出たためです。会長たちが報復手段を選ばれたように、我々は逆に和解に応じることで蘇我の暴走を止めようとしてるんです」
 納得したのかどうか、外のどんよりとした空模様は二月らしく、それを投影するかのようにふたりは一様に吐息を漏らした。

「それで和久井、きみの案とはなんだ」
「はい、千重家の名前を貸していただきたいんです」
 伶介は首をひねり、旺介は意味を理解すべく、わずかに目を見開いて身を乗りだした。

「どういうことだ?」
「先程の発言とは矛盾するかもしれませんが、和解に応じる、ということです。和解条件についてはご存じのとおりです。私が従者として赴きます。そして、千重アオイさんとして、和久井家の人間をやります」
「うちになんの利点がある?」
「取材がしやすくなります。無論、私が潜入者として貢献させていただきます」
「アオイはどうなる」
 険しい声を強調するように、伶介は眉間にしわを寄せている。

「外部に対しては別の名と立場を示さなければなりませんが、千重家内ではなんら変わりません。合わせて千重家の保護に最善を尽くします。旺介会長、伶介さん、これはあくまで私個人による案の一部です。この話を蹴ったからといって、こちらからなんら脅迫するつもりはありません。時間はまだあります。考えていただければ――またご提案やご要望があれば、教えていただけたらと思います」


 千重家の邸宅を出て駐車スペースに行くと、助手席に乗ったアオイがおれに気づいて、運転席へと手を伸ばす。かけっ放しのエンジンは音がまったく気にならないほど静かだ。
 ロックが解除された車に乗りこんだ。外と違って暖かい。

「どうだった?」
 運転席におさまると、アオイは首をかしげておれを覗きこむ。
「案を出してきただけだ。答えはすぐでなくてもいい」
 アオイはうなずいた。

 当初、アオイを千重アオイとして顔合わせをさせるつもりで連れてきたのだが、そう知らされないままついてきたアオイは、今日はやめておく、と反対した。その勘が働いたとおり、アオイを対面させることは時期尚早だっただろう。
 伶介たちには、まるで千重アオイを亡き者として扱っているように見えたかもしれなかった。実際、千重アオイの様態は人工呼吸器をつけたまま、事件から一度も目を覚ますことなく至っている。生きているというよりは生かされている状態だ。
 アオイは、そんな千重アオイに気を遣うことは忘れなかった。

 学歴もなく、アオイは自分を卑下しているが、その実、例えば学力の試験を受けさせれば最低かもしれないが、けして頭が使えないわけではない。
 受け身であることが気にはなるが、それがおれがいちばん関心を持ったところでもある。

 ……関心?
 おれは自分で自分に問いかけた。

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