魂で愛する-MARIA-

第9話 イロの条件

# 60

「千重家って……有吏一族の人なの?」
「違う。例えば、おれと千重アオイの結婚ということが決められたら、千重家は一族の一員になるが、いまはまったく関係ない」
 ますますわからない。ただ、一寿の口から、結婚と出ただけで迷子になったような感覚を覚えた。
「それなら……アオイさんは和解にどう関係するの?」
「これから云うことは、決まったことじゃない。伴って、おまえが千重アオイの身代わりになることも決まったことじゃない。いざというときのことだ。あくまで、おれの……和久井家から本家に対する案であって、本家はまだ知らないことだ。いまに限って云えば、おれと父さんしか知らない。だから、だれにも口外してはならない」
 あたしはおそるおそるうなずいた。
 嫌な思いをしなければならないこともある。そうわかっているのだから訊かなければいいのに、鏡よ鏡、と二度も三度も呼びかけてしまった王妃は、いまのあたしのように、それ以上は答えないで! とそんな気分だったかもしれない。

「有吏一族と千重家の共通点から話す。二十三年まえ、誘拐暴行事件が時間を空けて相次いだ。その犠牲者の一部が両家だ。有吏は命に係わることはなかった。けど、千重家は長男が暴行死してる。それらの事件は、蘇我が一族狩りと称してやったことだ」
 物騒な言葉だった。そう思えるぶんだけ、正常な感覚はまだあたしのなかに残っているのかもしれない。十四歳以前の非日常はあたしの日常に成り果てている。
「一族狩りって有吏一族を狩るってこと? なぜ?」
「蘇我は有吏の正体をつかみたがっている。一族のなかに犠牲者が出れば報復があるだろうと考え、蘇我はそれらしき一家を抽出して一つずつ潰していったと考えている」
「じゃあ……千重家は巻き添えになったってこと?」
「そうだ」
「……ひどい」

 一寿はうなずき、「有吏も責任がないとは云いきれない」と云い、続けた。
「一族狩りがあったというのをおれが知ったのは去年だ。それから犠牲者を探しだし、千重家がリストにあがった。千重家は犯人を突きとめようと動いていた。その過程で暗の一族という存在を知り、蘇我を割りだした。千重家から和瀬ガードに新規で身辺警護の長期契約依頼があったのは二年まえになる」
「有吏一族のことも突きとめたってこと?」
「ああ。蘇我で潜入取材をしていた千重家は、もう一つ一族が存在することも知った。その窓口が、和久井家と瀬尾家だというところまでたどり着いた。千重家が和瀬に近づいてきたのはそのすぐあとだ」
「一族のことほかにも知られたの?」
「表面上、和瀬と有吏本家は提供者(プロバイダー)と顧客(クライアント)としてしか接触していない。一族は、万が一のことがあっても全滅しないよう、世間でいう親戚に当たる表分家と、他人を装う裏分家に別れている。本家のガードには表分家がやっている警備会社、衛守セキュリティガードがつく。和瀬はそこからの委託という形をとって戒斗のガードをやっている。情報のやり取りに会う必要があれば、警護のときにしかやらないから、一族の正体がわかることはない」

「一族狩りの報復……って仕返しのことだよね? そうはしなかったの?」
「本家はごく内密のことにしていた。和久井家も知らなかったんだ。ただ、本家が蘇我との和解に踏みきった理由が一族狩りにあることは確かだ。蘇我は戦後まもなくして和解を申しでてきた。こっちが有利になる条件を出してきても有吏が応じることはなかった。それをひるがえしたのは、一族狩りでよほどのことが起きたという裏返しだ」
「有利な条件て、交換結婚が?」
「同じ結婚をするにしても、向こうからは蘇我本家の娘を単独でもらい、こっちから嫁がせるのは一族のだれでもいい。加えて、従者付きでかまわないことになっている」
「それを千重家から出すことになるの? えっ……と……分家として?」
 考え考えしつつ云ってみると、一寿は曖昧な様子で首をひねった。
「もう少し事情は複雑になる。いま云えるのはここまでだ。これ以上はおれの頭のなかのことで口にするには無責任すぎる」
「でも……千重家は名前を貸すこと、引き受けるの? どうして?」
 和解の話までは理解できたが、そこに一族でもない千重家がなぜ持ちだされるのかはまるでわからない。

「千重家に話すのは、まずおまえの意向を聞いてからだ。千重家が引き受けるかどうかはまだわからない。ただし、受諾する理由はこっちから提供できる。千重家は真相をはっきりさせたがっている。いまになっては今回のことも、含めて、だ。千重家は危険に晒されている。一族狩りと、それを千重家が追っていることを知って、以来おれはずっと止めてきた。銃撃は警告だろう。おまえも知ってのとおり、有吏がそうであるように、蘇我もあったことを葬り去り、なかったことを仕立てられる力を持ってる。おそらく犯人は挙がってこない。捕まるとしてもダミーだ」

「アオイさんは死ぬんじゃないんでしょ? あたしが身代わりになれば、千重アオイは二人いることになる」
「本物の千重アオイは名前を変えることにはなる。それでも、養女でもなんでも、千重家の娘としてそのままとどまる方法はいくらだってある」
「……あたしで疑われない?」
「おまえと千重アオイは雰囲気が似ている。それで充分だ」

 決まったことじゃないとしても、あたしはなんのために生き延びてきたのだろう、そんなことを思う。虚しいのでも悲しいのでも怒っているのでもない。最初聞いたときにあった感情は、泣きたくなるような悲しさだったかもしれないけれど、一寿の話が進んでいくにつれ、同じだ、と感じだした。あたしは、自分を中心に置いた生き方を忘れてしまった。一寿もまたそうだ。一寿の中心は主にあって、きっと一寿自身のことは置いてけぼりだ。

「一寿の役に立てる?」
「それ以上だ」
 だれかを待ってしか生きられない。だれかのためにしか生きられない。きっと汚いあたしにはちょうどいい。
「一寿、欲しいものがあるの」
「なんだ」
「抱いて。今日だけじゃなくて、ずっと」
 そうしたら、生き抜くことを迷わず、自分をだれか見失うことなく、一寿という唯一確かな場所にずっと繋がっていられる。
「蘇我に行ってからもずっと。アオイさんと……だれかと結婚してもずっと」

 一寿はあたしを見つめて微動だにしない。
 一度抱いたことがあるくせに、ここに来て一寿は一度も触れようとしない。あのとき、どんな感情があったのか、あるいはなんらかの意図があったのか。あたしがラブドールだったことを知っていながら安易に触れないのは、一寿のけじめめいた性格を表していると思う。だから、あたしの不義の要求は一寿の意に反する。
 ちゃんと抱いてほしい、とあたしは吉村にそう望んで叶わなかったけれど、それならせめてあの日々みたいに、ちゃんとあたしを見ていてほしい。ずっと。いまになって芽生えた唯一の望みで、一寿にしかできないことだ。

「そしたら、一寿のためだったらなんでもする。なんでもできる」
 本当は条件でもなんでもない。うんと云ってくれなくても、あたしにできることなら、それが一寿の役に立つならちゃんとやる。条件はちょっとした欲張りだった。
 あたしから目を逸らし、首を振りながらの笑みを交えた一寿のため息は呆れたためか、いや、それ以上に身分不相応という侮蔑なのかもしれない。
「一寿、いまのはじょ……」
 冗談だと笑ってごまかそうとしたのに、それよりも早く――
「わかった」
 とわかった結果はなんなのか、立ちあがった一寿は一歩踏みだして、あたしのすぐ目のまえに立った。
「おれはだれとも結婚しない。こっちは従者をつけていいんだ。おまえにとっておれ以外に適任者はいないだろ」

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