魂で愛する-MARIA-

第9話 イロの条件

# 56

 八月最後の日曜日、外出することになって、あたしは姿見のまえに立って全身をチェックした。
 もともと長く、さらに伸ばしっぱなしの髪は胸の下をとっくに越して、腰まで届きそうだ。上半身は浅葱(あさぎ)色のカットソーの上にクリーム色のレーシーなオーバーチュニック、下半身は千鳥格子のショートパンツ。これで少しでも背が高く見えれば成功だ。
 莉里乃から習ったメイクをしてみると、大人っぽいとはいかないまでも“少女”という雰囲気は見当たらない。
 満足とは行かないまでもほどほど自分の恰好を気に入って、あたしはバックを持つ。部屋を出ると、一寿が待っているだろうリビングに向かった。

 外出は久しぶりだ。お預けになっていた誕生日のプレゼントをやっともらえる。といっても、あたしが催促したわけではない。
 一寿は、タツオが和瀬ガードシステムに勤めだして以降、よけいに忙しくしている。タツオの指導に時間を割いているのか、それとも、この頃、一寿とタツオの話のなかに登場する人のせいなのか。
 五月の半ば、野外ライヴに行ったとき、一寿はどこか行きたいところがあれば云うよう、あたしに云ってくれたけれど、そうするのは気が引ける。家には睡眠を取るためだけに帰っているんじゃないかと思うほど一寿は不在だ。今日だって午前中は仕事だと云い、やっと二時に帰ってきた。

 一寿が誕生日のプレゼントをくれると云ったのは、その当日、大事な話をしてくれたあとだ。酔っぱらったふりが本当に酔っぱらいになってからだったし、あたしはいつの間にかベッドで寝ていたから、本当に云われたのか半信半疑だった。だから、誕生日のプレゼントに、遊園地に行ってみたいという希望を持ってはいたものの、昨日、一寿があらためて何が欲しいかと訊ねてくるまで云えなかった。

 リビングに行くと、すぐさま一寿が立ちあがる。そういうところは職業病じゃないかと思う。いつもだれかを第一に考えなければならない。
「一寿、準備できたけど……」
 云いかけてためらったすえ、口を噤んだ。その間に、一寿の目があたしの全身をチェックする。それがあたしの顔に戻るとわずかに顔をかしげた。
「“けど”、なんだ?」
「ううん……あたしのためじゃなくて、一寿は自分のために休んだら……」
「休む? おれの性に合わないことだ。よけいな気遣いはするな」
 行きたい気持ちはやまやまで、だから云うのをためらったのだけれど、そんなあたしのずるさを一寿は一蹴した。罪悪感を覚えたが――
「行ってくる」
 と、一寿が莉子に云い、あたしは安堵してうれしい気持ちに任せた。
 今日はたまにのご褒美、そう、誕生日のプレゼントだ。

「莉子姐さん、行ってきます」
「いってらっしゃい。一寿には遠慮しちゃだめよ。たまにはわがまま云って楽しむの。いい?」
「はい」
 莉子の命令口調に笑って応じると玄関に向かった。

 靴を履いて外に出ると、目が眩(くら)みそうなほど天気はよく、日差しがきつい。そんななかでも、ラフな恰好をして当番の組員たちが常時うろうろして警備に当たっている。さらに、「アオイさん、いってらっしゃい」と丁重な様で声をかけられると、あたしはそんな立場にないだけに申し訳ない気持ちになる。
 いってきます、と云いながら息をつく。
「何が問題だ」
 一寿はやはり耳ざとく、あたしのため息を聞きとっていた。

 厚底でヒールのある靴を履いていても、一寿は背が高く、振り仰がなければならない。一寿は半袖のシャツに綿パンツという出で立ちで、あたしと不釣り合いではないけれど、背の高さからすれば、明らかにバランスが悪い気がした。
 何も釣り合うものがないことはとっくに承知していながら、あたしは落胆してしまう。
「ううん。警備って暑いからたいへんそうって思って。あたしはのんびりしてて、だからあたしも役に立てることないかなってちょっと思っただけ」
 そう云うと、一寿の表情が俄(にわか)に止まる。驚いたか、もしくは痛いところをつつかれたような、すっと息を呑んだ気配さえした。

「どうかした?」
「いや」
 一寿は濁したまま、行くぞ、と足早になって促す。あたしは小走りでついていった。
「莉子姐さんがわがまま云っていいんだって」
「プレゼントが遊園地って云うくらいだ。おまえのわがままはたかが知れてる」
 一寿の口から、遊園地なんて子供っぽいと思っている証拠発言が飛びだした。
「遊園地じゃだめなの?」
「そういう意味じゃない。物欲に走らないおまえを褒めてる」
「ほんとに……?」
 云いかけていた言葉は最後まで口にできなかった。

「こんにちは、和久井さん」
 あたしと一寿の間に割りこんだのは一度聞いたことのある、忘れもしない声だ。
「こんにちは、アオイさん。今日はまた、どうされたんですか」
「熱海に家族旅行。といっても、兄さんは行けないらしくて、三人で」
「まさかアオイさんの運転で?」
 一寿はおもしろがったふうに訊ねた。
「和久井さんまでひどい。上達してないとしたら、和久井さんのアドバイスが下手だってこと」
「そうですね」
 一寿は同意しながらかすかに笑う。

 そうだった。一寿がもう一つ忙しい理由は同じ名前を持つ彼女のせいだ。

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