魂で愛する-MARIA-

第9話 イロの条件

# 55

「おまえは明らかに幼かった。それで誕生日の話だ。印象には残る。フルネームは聞いてるし、裏づけは取った」
 一寿は整然と理由をつけてあたしの驚きを解消し、疑問にすり替えた。
「裏づけ?」
 ああ、と相づちだけ打った一寿は、コーヒーを一口飲んで、テーブルにマグカップを置いた。
「主――戒斗のことはちょっと話しただろ」
「うん、憶えてる」
 どこに話が行くのか、あたしは首をかしげた。

「この国には、陰で歴史に係わってきた一族がいる。平たく、国を操ってきたと云ってもいい。それが有吏(ゆうり)戒斗の先人たちが代々率いてきた、有吏一族だ」
「一寿は一族のなかにいるの?」
「和久井家は瀬尾家とともに、有吏一族の窓口の役目を担(にな)っている分家だ」
「窓口って?」
「おまえが有吏一族の存在を知らないように、知っているのはごく一部で、政財界において影響力の高い人物たちだけだ。その要人たちさえ、暗の一族の存在は知っていてもそれが有吏だとはわかっていない。一族としての有吏本家にはだれもじかに接見することはできず、相談事はすべて窓口を通すことになる」

 それだけ、主だという戒斗は、けっして対等になれないと云う一寿に守られている。それは漠然とわかるけれど、隠さなければならない存在というのがあたしにはぴんとこない。
「それで……一族って何をやってるの?」

「財産を後世に引き継いでいくのが一族の務めだ。財産はお金という意味じゃない。日本特有の工芸技術の場合もあれば、会社というような組織もそうだ。無償で賛助――支援することもあれば、投資することもある。相談に乗って教示する。相談がなくても一族の判断で達(たっ)て申しでることもある。もっと大きなことで云えば、国の存続も、後世に引き渡していくべき財産だ」

「政治やってる人みたいなことしてるってこと?」
「例えば、政治家に秘書として密かに送りこんで、うまく操縦する。ほとんどの場合、そういうやり方で行方に係わっている」
 先頭には立たず、裏方で誘導しているということだろうが――
「どうして隠して会えなくするの? 一寿が対等になれないって……戒斗ってそんなに偉い人?」
 不思議に感じながら訊ねてみた。
 一寿はちょっとだけ表情を止め、それから吐息を漏らす。

「云い方がまずかったかもしれない。有吏本家は“恐怖政治”をやってるわけじゃない。民に理不尽なことを要求した歴史はもちろんない。一族間では、自然と守りたくさせるような高貴さを持っているのであって偉ぶったところはない。表に出ないのは、もう一つの一族をけん制するためだ」

 自然と守りたくなる。けっして対等にはなれない。その二つのことを組み合わせれば、一寿にとって主が絶対的存在なのは自ずとわかる。そういう存在でいられる戒斗がうらやましくなった。そして、あたしは絶対にそんな存在にはなれない。あたしは、一寿しか頼れなくなって、だからこそ、そんなさみしさを憶える。

「もう一つ?」
「歴史に登場する蘇我は知ってるか」
「うん、聞いたことある」
「その一族がもう一つの一族だ。史上は名前を聞かなくなっても、有吏一族と同じように歴史に係わってきた」
「仲が悪いの?」
「そんな単純な話じゃない。蘇我は渡来人だ。人一倍、強欲な性質を持ってる。蘇我繁栄の時代以前から監視していた」
「それがいまも続いてるってこと?」

「そうだ。有吏と蘇我は一見、協力者として共存してきた。その始まりとなった協定が、蘇我と天皇家の婚姻だ。天皇家は当時、有吏一族の分家の一つだった。協力関係にあったときも蘇我は争い事を好んで誘発していた。その最大の過ちが昭和の大戦だ。事前に止められなかったのは有吏一族の失態でもある。それ以来、有吏は窓口を残して姿を消し、蘇我との協力関係を絶った」

 莉子が云った一族をなんとなく巨大だとは悟っていたけれど、それ以上にあまりに壮大すぎてあたしの頭には浸透してこない。何より、あたしのルーツはもう祖父母くらいまでしかたどれないのに、一寿の祖先は、歴史で習ったのかどうかという時代まで遡るのだ。
「それで……」
 と云いかけて、なんの話からこんな突拍子もない話になったのか、あたしはど忘れして何を云いたいのかもわからなくなった。
「話が見えなくなったんだけど」
 ためらいがちに云うと、一寿は首をひねった。あたしに呆れているふうではなく、そうだな、という相づちのようだ。

「有吏一族は長いこと名を持ってこなかった。それでも最も古くから絶えることなく存続してきた一族だ。おまえの名は死んだ。けど、それが孤独だということにはならないし、なんら問題ない。分家は本家のためならいつでもどうにでも動く。そういう結束のもと、有吏は万能ではなくてもそれなりに力を持っている。それをおまえが知ったいま、おまえもまた一族の一員だ。だから、おまえが不安に思うことはない」

 一寿の言葉に、あたしははじめて重大な秘密を聞かされたのだと気づいた。一寿はあたしの孤独感を察している。けれど、いま話してくれたのはなぐさめるためではないはず。それだけあたしを信用してくれていることの、きっと証明だ。

「一寿、ありがとう。なんだか乾杯したい気分。飲めない?」
「和久井家は本家の守護も担う。いつでも出動できる状態でなければならない」
「主には忠実だね」
「おまえもおれに負けないくらい一月さんに忠実だ」
 思わず笑うと、一寿がくちびるを歪めた。めったに見られない笑顔だ。
 グラスに口をつけてシャンパンをぐっと飲む。
「そういう飲み方はやめとけ」
「でも気分がよくなってきた。美味しい」
 酔っぱらったふりをして一寿の脚にもたれても、払いのけられることはない。

 一寿のなかであたしはどんな位置にいるのだろう。
 ずっとまえ、吉村に対してもあたしはそんなふうなことを思った。
 あの忘れられない日に、あたしは吉村への恋を自覚したんだった。

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