魂で愛する-MARIA-

第8話 恋儚−コイハカナ−

# 48

 木々のなかにある遊歩道を抜けると、一気に視界が広がり、そのなかでいちばんに屋外のステージが目に入った。窪地にあって、ステージを軸に扇形にコンクリートを固めただけの椅子が広がっている。
 同じTシャツを着た人はスタッフなのか、チケットらしきものをチェックしている。一寿はそのスタッフに声をかけた。そうして屋外ホールには入らず、ふたりはスタッフから遊歩道沿いにあるベンチに案内された。席取りのためか、無造作に積みあげられていたチラシがおろされ、あたしたちはそこに座った。数歩さきにはもうコンクリートの椅子がある。ホールは目隠しがあるわけではないから、ここからもしっかりステージは見渡せる。

「何が始まるの?」
 席は半分以上が埋まっている。チケットを持っていない人はあたしたちのようにホールの外に集(たか)りだした。
「おれの主(あるじ)がステージに立つ。FATEというバンドで今日がデビューの日だ」
 一寿とバンドという言葉がまったく結びつかなくて、一瞬あたしはバンドがなんのことか考えてしまう。
 そして、“主”という言葉により驚いた。ボディガードという職業柄を考えればそうおかしいことでもない。けれど、顧客のうちの一人、という扱いよりは、もっと重く響いて聞こえた。

「何が疑問だ」
 一寿の横顔がいきなり正面向いた。あたしがぽかんとして見上げていたことは、すぐ傍にいるから目の隅っこくらいには入っていただろうが、一寿は疑問まで見抜いている。
「主、ってボディガードのお客さんてこと?」
「違うように聞こえたか」

 あたしが訊ねた真意を的確に捉えて一寿は問い返す。こういうところはあたしにとってらくだ。それ以上に、あたしの言葉をちゃんと聞いてくれている証拠になる。
 おれがついてる。そこにどんな気持ちが込められているのはわからないけれど、あたしの言葉を聞き逃さないのはその宣言を実証していてうれしくなった。

「うん」
 その返事は笑み混じりで、話の流れからすると不自然だ。
 一寿は呆れているのか首をわずかに振った。
「そのとおり、ただの客ではなく、おれの真の主だ」
「……吉村さんのことみたいに尊敬してる?」
「尊敬しているのは同じだ。ただ、価値がまったく違う。一月さんとは対等になれる可能性はある。けど、戒斗とは永久に対等にはならない」
「……なれない、じゃなくて、ならない?」
 云い方が違うことに気づいて問いかけてみると、一寿はくちびるを歪めた。

「おまえはまるきりバカじゃない」
 その発言に鑑みると、もしかしたらさっきのは感心して笑ったんだろうか。
「そう?」
「ああ。いつか話すつもりでいる」
 それは、吉村があたしにはけして云わないだろうセリフだ。
「うん」
 あたしは応えながらこくっとうなずいた。うれしい以上に心底にじんわりと温かさが浸透していく感じだ。

 吉村は年が離れていたせいか、すべて内に秘めて共有してくれることはなかった。幼かったあたしには話せなくても、いつか成長したら話す、そんな言葉があったらもっと強くいられた気もするのに。
 女が軽視される世界だから、逆に男たちはすべてを担おうとするのかもしれない。吉村は特にそうだった気がする。云ってほしいことまで黙って、知りたいこともけっして云わなかった。

「一月さんは、おまえの遺骨を引き取ろうとした」
 唐突だったが、一方で一寿は、あたしが吉村のことを考えていたのを察していたんじゃないかとも思う。
「でも、あれは……お寺にあるんだよね?」
「ああ。おれとしても偽者を一月さんに渡したくはなかったし、おまえの両親は行方不明だ。だから、断りもなく他人に引き渡せない。そう云って警察には追い返してもらってる」
「あたしも、“あたしの骨”なんて吉村さんに持っててほしくないから」

「会いにいこうとか思わないのか」
「吉村さんと離れているのは慣れてるから、いまもそれが続いてる感じ。離れたままっていうのは確定してるけど。だから……」
「だから?」
「これから何していいかわからない感じ」
 そう云ったあたしの言葉に何を聞きとったのか――
「引き取ろうとした。それがおまえに対する、一月さんの気持ちの証明だろ」

 吉村はあたしの死をどう受けとめているのだろう。何事もなかったようにあたしは吉村のなかから消えていくんだろうか。そんなさみしさも一寿は承知していた。

「うん。教えてくれてありがとう、一寿」
 一寿は立ちあがりながら首をひねり、そして顎をしゃくった。
「何を飲む?」
「え?」
 顎を向けたほうを見やると自動販売機がある。
「ライヴが始まってのどが渇くまえに買っておく」
「んー……っと、オレンジ系のならなんでもいい」
 一寿はうなずいて遊歩道を横切った。
 今日の一寿はスーツではなく、前開きのシャツに綿パンツとカジュアルな恰好だ。一寿がまだ大学生だったとき、ショッピングに付き合ってもらったことを思いだす。あの頃よりいまはぎすぎすした雰囲気がある。けれど、やさしさのような根本は変わらない。

「久しぶりにデートしてる感じ。まえにいろいろ連れてってくれたよね?」
 オレンジジュースの缶を受けとりながら云ってみた。すると、一寿から返ってきたのは同調の返事からかけ離れたため息だった。
「おまえはこれからも外出は自由にできない。だれかが付き添うことになる」
「丹破一家のことがあるから?」
「そうだ。だれに会うとも限らない」
「わかった」
「……行きたいところがあれば遠慮なく云え」
「そうする」
 即答がかえって白々しく聞こえるようで、一寿は眉をひそめた。
「なんだ」
「一寿とバンドって全然、雰囲気じゃないと思って」
 一寿は呆れたとばかりに首を振りながらため息を吐いた。

 そのあと、ライヴが始まってあたしはFATEに夢中になった。ひな鳥がはじめて見たものを親鳥だと思うように、はじめて生(なま)で見たライヴは、あたしのいちばんになるだろう。
 一寿の主という戒斗を見てみたかったが、遠すぎて顔まではよくわからなかった。

NEXTBACKDOOR