魂で愛する-MARIA-

第8話 恋儚−コイハカナ−

# 47

 一寿がそうすると云った日から二週間後、河川敷の伸びた雑草のなかであたしの死体は見つかった。ゴールデンウィークのさなかで、報道では取りあげられたものの、小さな扱いで世間の注目を浴びることもなく、あたしの死は消えていった。

 自分で自分の死を見たとき、人がどう思うのか。そんな経験をする人はめったにいるものではなく、あたしはといえば他人事のように眺めていた。
 蒼井毬亜、それはとっくになくしていた名前だったからかもしれない。父との別れも母との別れもまともになく、ただ消えてしまったから、人の死も別れも同じことと感覚が鈍感になっているのかもしれない。
 はじめて死の場面に遭遇したのは一カ月まえのことだ。強烈すぎて目を背けたあたしは、血と銃声と静寂にしか触れていない。両親がまだどこかで生きていると思ってきたあたしは、報道がなければ、京蔵はどこかで生きている、といまでも思っているかもしれなかった。

 “あたしの死”はどこかのお寺でひっそりと埋葬されたらしい。
 そして十日後の五月十四日、あたしは病院以外ではじめて和久井家の外に出た。

「一寿、どこ行くの? ただの散歩?」
 一寿が連れてきたのは広い公園だった。駐車場に車を止めたあと、一寿はあたしを連れて遊歩道を黙々と歩いている。一寿はちらりと振り向いた。
「楽しみにしておけばいい」
 素っ気なくそれだけを告げ、目的は教えてくれない。けれど、一寿が『楽しみ』というからにはきっとそうなんだろう。わくわくしてきた。それでなくても久しぶりの外出で、しかも公園などいつ来たのが最後かも憶えていないほどで、一寿に誘われたときから浮かれている。

 平日の昼間だから、一寿はわざわざ休みを取ってあたしを誘いだしたんだと思う。
 和久井家は、親類の瀬尾家とともに和瀬ガードシステムという警備会社を経営していて、一寿はそこの常務だという。人を警護する仕事が主らしく、勤務時間はルーズだ。その要素を除いてもたぶん一寿には休みがない。というよりも、休みを取らない。

 ワーカホリックだと莉子は呆れている。『まあ、一族の男たちはみんなそうだけど』と云ったことがあって、訊ねることはしなかったけれど、“一族”というのが“和久井組の組織員”と同義語とは思えないニュアンスがあった。
 丹破一家とは違う、と漠然と思ってきたけれど、やっぱり違うのだと確信した。そもそも、やくざがボディガードをやっているというのがぴんとこない。社会的地位がどんなものか、そこを省いてしまえば、怖いもの知らずのやくざはボディガードに打って付けだろう。ただし、たまに家に乗って帰る社用車は、見るからに高級車で、それだけの要人を乗せているということになる。要人がやくざと繋がっていては世間的にまずいだろう。

 そんなことに気づいたのはごく最近だったが、妊娠していることと違って、だれにもなんの支障もない疑問だから、一寿に訊けないでいる。
 こんなふうに黙ってしまうのも、人の消失に対する感覚と同じで、訊いても聞こえてもいけないというこれまでの習慣が染みついているからだろう。

 途中で男女のカップルを追い越すと、あたしはなんとなく振り返ってしまった。あたしと一寿くらいの年の差がありそうなカップルで、あたしの目を引いたのは、彼女が脚を不自由そうにしているからだった。厳密に云えば、彼女の歩調に合わせて、彼がゆっくりと添っている雰囲気に惹かれた。
 いつもついていくのが精いっぱいという気持ちであたしは吉村を見ていた。会えない間もそんな気持ちで“その時”を待っていた。
 あたしは彼女みたいに待ってもらえるという経験がなくて、きっと惹かれたのはうらやましいからだ。

「アオイ」
 ふと名を呼ばれてまえに向き直ると、一寿にぶつかりそうになった。寸前で止まり、あたしはびっくりした表情を貼りつけた顔で見上げた。
「何?」
「よそ見してる。ただでさえ、おまえは転びそうになるだろ。ちゃんとまえを向いて歩け」
 一寿はあたしが見ていた方向にちらりと目を向けてまた戻した。
「わかってる。でも、公園なんて来たのは久しぶりだから、めずらしくて……えっと浦島太郎だったよね、竜宮城の話? いまあたしは浦島太郎の気分かも」
 一寿は応えることなく、ただあたしをじっと見ている。不自然な沈黙のまま、あたしと一寿は通行人の邪魔をしている。一寿はやっとそう気づいたように周囲に目を向け、それからあたしの手を引いた。
「行くぞ。もう少しだ」
 もう少し行けばそこに何があるのか、ちょっとざわめいた気配にだんだんと近づいていた。

 散策しているのか人も多くなって、ぶつかりそうになってよけたとき一寿が振り向く。すると――
 あ、そうなんだ――と、あたしは急に認識する。

 あたしは老いた人間みたいにつまずくことが多い。それは、走ることは愚か、歩くことさえ室内に限られていたからだろう。
 一寿の云うとおりで、それとは別に、あのカップルの彼のように、一寿もあたしの歩調に合わせていると気づいた。だから、あたしの手を引きながら振り返りもしないくせに、さっきはあたしがカップルに気を取られたとたん、一寿は気づいて立ち止まったし、いまも気にかけているから振り返ったのだ。
 云い方は以前の素っ気なさに増して冷たいけれど、勉強を教えようとしてくれたように、あたしのことをないがしろにしているわけじゃない。

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