魂で愛する-MARIA-

第7話 籠妾(ろうしょう)−capture−

# 39

 内科クリニックに行くと、付き添っている丹破一家の男は受付をすませ、案内も待たずにあたしを奥へと連れていく。男は見た目をサラリーマンぽくしていて、特段浮くこともない。それに加えて、ここは如仁会の息がかかった病院であり、院長は宴に参加していた一人だから顔が利く。
 普段から腸内洗浄を目的としてここを訪れるが、その診察室は通り抜け、今日は初めて行く場所、二階へと階段をのぼる。
 なんのプレートもない部屋に入り、男と一緒に待っていると、まもなく医師が来た。
 医師はあたしをちらりと見たあと、預かりましょう、と受け合い、男は、終わる頃に来る、と云って出ていった。
 もし、男がずっと付き添ったらどうしようと思っていただけに、あたしはほっとした。

 あたしもタトゥーを入れてみたい。
 京蔵にそう云ってみたのは一昨日だ。

 三週間まえに見た男たちが一昨日もやってきた。一昨日に限らず、わりと頻繁に訊ねてきていて、あたしに会わせたからだろう、開かずの間に入ることはないが、その男たちの訪問のときはうろうろしても咎められることはない。
 そして、そのときに聞いてしまった。すべてを聞いたわけではなく、断片だ。
 如仁会、跡目争い、中国マフィア、取り引き、騙し打ち、艶子、そして、“吉村をやる”。
 あたしには何が起きているのかわからない。けれど、“やる”というのが“殺る”ということだとは見当がつけられた。
 艶子の父、如仁会の総裁はもう七十歳をすぎているだろう。その総裁に気に入られている吉村が、総裁の跡目争いに巻きこまれていてもおかしくない。上下関係を重んじる世界だからこそ、京蔵は最もおもしろくないはずだ。ましてや、妻を寝取られているのだ。

 吉村に伝えたくても伝えられる手段も隙もない。吉村がいなくなったら生き延びる理由はなくなる。会えないことがますますつらく、苦しくなった。

 その日が来るのは一週間後だ。

 一昨日は、報酬の一部は前日に払うと約束して京蔵は男たちを帰した。
 報酬の一部とはあたしというラブドールを提供することであり、前日とは今度の金曜日のことだった。京蔵がその金曜日まで来ないとわかって、タトゥーの話を持ちだした。
 もう時間の猶予はなかった。

 京蔵の背中にも牡丹(ぼたん)と羽根を組み合わせた入れ墨がある。“丹破”は組織名にするにあたり改名したものであり、戸籍は丹羽だという。その名からデザインされたカラーの入れ墨はきれいだと思う。
 かつてそう云って口づけたことを憶えているのか、京蔵は疑いもせず、入れてみればいいと許した。

 何を印すか、もう決めている。
 医師は簡単に手順を説明したあと、昨日打ち合わせをした女性のカウンセラーと入れ替わった。
 デザインと入れる場所を確認して、施術室に向かう。
 あたしが決めたデザインを見れば、京蔵は激昂するだろうか。
 そうして殺してくれればいい。
 京蔵の子供なんて産みたくない。
 吉村がいない世界なんていらない。
 父も母も失踪のまま、戸籍上だけで生きているのかもしれない。あたしもそうなるかもしれない。ただ、眠ったあたしが見つかったときにだれかが刻印を見つけたら、その記憶の片隅で、吉村とあたしが繋がっていられそうな気がした。

 施術の間の痛みも、吉村のことを考えていれば耐えられた。
 終わったあとは休憩室に連れていかれて、ソファの上に脚を伸ばして休んだ。施術を受けたくるぶしの上辺り一帯はずきずきとして、熱を持ったように感じる。いまはシートが張られていて、どうなっているのか確認できない。
 もう引き返せないことを実感しておののきながら、一方では解放感も覚えている。
 できるなら吉村に会いたい。

 テレビのドラマを見るともなく見ていると、ふいにドアが開く。付き添いの男か、医師か、そう思って目をやったさきにいたのは艶子だった。
 あたしは目を見開いた。艶子とは、吉村とのセックスを見せられた日以来の対面になる。変わらず、年齢不詳の美しさを維持していた。

「……ご無沙汰しています」
 京蔵とのことを知っているのかいないのかもわからず、あたしは無難に声をかけると座ったまま会釈した。
「何か変わったことないかしら?」
 艶子はじっとあたしを見据え、唐突に、なお且つ曖昧に問う。
「……変わったこと?」
「何かおかしな動きはしていないかってこと。だれのことを云っているかはわかるわよね」

 京蔵は隠密裡に進めているのだと思っていたが、艶子のいまの云い分からすると、何かあるということまでは気づいているのだ。
 それなら吉村さんも知っている?

「あるのね」
 あたしがすぐに答えなかったことで、艶子は答えを得て断定した。
「わかりません。でも……」
「でも、何?」
「……吉村さんとはいまでも?」
「だったら?」
「ほかの人はいないんですか」
「あなたみたいにだれとでもセックスできる娼婦と一緒にしないでちょうだい」
 艶子はぴしゃりと侮辱を吐いた。反論はできない。侮辱とも云えないのだろう、あたしは嫌悪さえ抱く京蔵から快楽を貪っている。
「吉村さんに伝えてください。気をつけてって。今度の土曜日、何かあるかもしれない」

 艶子は眉をひそめて黙りこんだ。じっとあたしのくるぶしを見て――というよりは心ここにあらずのなか、たまたま目に止まる一点がそこだったにすぎないのだろう、艶子は考えこんでいる。

「あの人、今度いつあなたのところへ行くのかしら」
「来週……」
 云いかけて早々、艶子が無言で明確に云うよう促してくる。
「金曜日だって云ってました」
 と、あたしは云い直した。

「わかったわ。ありがとう。あの女の子供として生まれたばかりに……あなたには同情するわ。吉村には伝えるから安心して。そのかわり、わたしと会ったことはだれにも云わないでくれるわね。それも吉村のためだから」

 ありがとう、とにっこりした笑みを添えたそんな言葉を気味悪く思うのはあたしの意地が悪いのだろうか。
 艶子が出ていったあと、彼女の残り香に呪いをかけられているみたいに感じた。

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