魂で愛する-MARIA-
第5話 夜鷹−裏切りの遊戯−
# 30
「あっ、んっ、愛してるって、云って。いつも――んっ……みたいに……っあ、あうっ」
寝そべった男の上で蛙(かえる)みたいな恰好でしがみつき、下から突きあげられて、女のお尻がぷかぷか浮いている。ふわりとカールした髪が弾んでいて、女はこの部屋の主、艶子に違いなかった。
男はだれ?
男は京蔵であるべきなのに、あたしはそんな疑問を無意識に浮かべた。
艶子の頭が男の顔を隠していて判別はつかないが、あたしは、艶子の背中にまわった右腕にそれを見いだした。
艶子を抱くのは夫ではない。
あたしの部屋ではじめて、そして最後にすごした日、右の肩に彫った鷹の入れ墨を間近で見せてもらった。鷹の翼は腕に伸びていた。その翼が艶子を抱いている。
男は吉村に違いなかった。
混乱して立ち去るという考えも及ばず、あたしは立ち尽くした。
吉村が艶子の要求に返事をしたのか、声はひっきりなしにあがる嬌声が邪魔をして聞こえない。
「もう逝くわ! あっ……一緒に……あうっ、お願いっ」
ぬちゃぬちゃとした音が耳障りに響く。吉村の手は艶子のお尻へとおりて双丘を鷲づかみした。動きが激しくなり、合わせて艶子の声が甲高くなって――やがて、お尻から背中へと伝うふるえがはっきりと察せられた。
「あっ、あう――っ……貴方のが、来てるわっ」
艶子が顔を仰向けて叫ぶ間、吉村はひと際強く何度か腰を押しつけていた。そして、その精悍な躰はまもなく脱力したようにベッドに沈む。
ふたりの息遣いは生々しく、ひどく親密に聞こえた。
艶子は力尽きたように仰向いた顔を伏せると、次には横に向けて頬を吉村の肩にのせる。気だるいしぐさで頭の位置を吉村の鎖骨にフィットさせながら、艶子の目が開いていく。
艶子は快楽を得た直後とは思えない、強い眼差しであたしを射貫いた。くちびるが挑発的に弧を描く。
驚くまでもなく、艶子はあたしがここにいることは当然ながら知っていて、それどころか来るとわかっていて見せつけたのだ。
そう察することはできても、気分は少しも安まらない。苦しくてつらい。吉村が、妻となるはずだった艶子を抱いて、彼女が望むままに彼女の体内に快楽を吐いたのだ。
あたしが望んでも叶えてくれないのに。
「そこに置いてちょうだい」
艶子はかすかに顎を上げてテーブルを示した。
「今日は……お邪魔、します」
やっとのことで声を出し、痞えながら挨拶をするのとほぼ同時に、艶子の下になった吉村が身動きをする。
吉村があたしを見て、どういう反応をするのか見当もつかず、自責であろうと残酷さを見せられようと、半分は何も知りたくない気持ちで占め、半分は嘘でもその場しのぎでもいいから云い訳を聞きたくてたまらない。
艶子を躰の上から向こう側へとおろし、躰の中心と翼をおさめた腕を離しながら吉村が振り向いた。
「体調は問題ないか」
そこに驚いた様子はなく、交わしていたのはセックスではなく会話であったかのように、あたしがここに来たときに定例となった、いつもどおりの質問をする。
あたしはくちびるを咬んで首を横に振った。
吉村はベッドから脚をおろして立ちあがる。自然と吉村のオスに目が行った。弛んだそれは照明が当たっててかっている。
目を上向けると、あたしの気持ちを読みとろうとするような眼差しに迎えられた。その瞳が何か語りそうにした矢先。
「一月、貴方のがこぼれそう」
艶子が吉村の気を引いた。
「ああ」
艶子を振り向いてひと言応じた吉村はすぐに向き直り、「下で準備に入る」とあたしに声をかけ、背後へと視線を延ばした。
「アツシ、連れていけ」
「はい」
邪魔者を連れだしてくれと云わんばかりにあしらわれた気がした。
みんながみんな、知っていてあたしをこういう場面に遭遇させたのだ。
なんのために?
アツシはドアを開けるのに返事も待たなければ、なかの様子を知ったところであたしを連れだすこともなかった。ただ従っただけかもしれないが、だれの命(めい)によるのかはわからない。いや、艶子の命であるとしても、アツシが吉村に報告しないわけはなく、それなら吉村が承知のうえ、あたしをこの場面に招いた。
なんのために?
その答えは出ないまま、宴ではいつにも増してあたしは本物のラブドールみたいに意思に欠けていた。
京蔵は、吉村が云ったように母の身代わりにあたしの処女を奪ったことで満足していたのか、ずっと眺めるだけだったが、今日はだれよりもさきにあの日以来はじめてあたしを犯した。
ずっとだれかに犯されるのを見てきて知っていただろうに、あたしが感じないことをいざ体感すると、京蔵は不満を抱いたようで、調教が必要だな、と普段ならおののくようなことを漏らした。
もうどうでもいい。そんな投げやりな気持ちに占められている。
「アオイ? ……どうした」
カズに呼びかけられても返事をしないでいると、ふた言めが発せられた直後、断りもなく浴室の扉が開けられた。
あたしが家に帰るのに合わせて、とっくに丹破家から帰ったはずのカズがマンションにやってきたのはめずらしい。放心してしまうことを心配させていた時期以来のことだ。
浴室に入ってからどれくらいたったのか、いまカズがなんらかの異変を察知していることは確かだった。それとも、吉村の命があってこそわかっていることなのか。
めずらしいことが重なる異様さ。それらが偶然ではなく繋がっていることを、あたしは本能的に悟っている。
水滴一つない躰を眺めまわしたあと、カズはあたしの目に照準を合わせて首をひねった。
「話してみろ」
「……吉村さん……と艶子さん、結婚の話があっただけじゃなくて、恋人とかそういう関係だったの? いまも続いてるの?」
「なんでそう思った?」
「今日……コーヒーを持っていったときに……見たの」
カズはすぐには反応しなかったが、しばらくしてため息をついた。
「一月さんは個人的なことを話す人じゃないから事実はわからない。姐さんのほうは、総長を毛嫌いしていることは確かだ。姐さんは自分が子供はできにくい躰だとか云ってるけど、できないようにしてる可能性はある。古くからいる連中は少なくとも後者だと思ってる。まだ一月さんとのことをあきらめきれていないってこともあり得る」
「カズは、総長の許可がないとだめだって。吉村さんと艶子さんは許されてるの?」
「まさか。内々のことだ」
吉村は、知られたらまずいにもかかわらず艶子を抱く。そこにどんな意味が潜んでいるのか。
「ダメなのにダメなことをするって……吉村さんが結婚してないのは艶子さんのせい? 艶子さんのため?」
「おまえは本当に子供だな」
あたしは顔を背け、カズの視線を逃れた。
「云ってることが全然わからない。でも、わからなくてももうどうでもいい。カズ、帰っていい。会えるのはあと一回? あたしもカズも、きっとすぐ忘れちゃうね」
カズは浴室を出ていきもしなければ喋ることもない。少なくともあたしのほうは何一つ隠し事がなくて、沈黙がはびこっても気詰まりはしない。ただ、カズのまっすぐじゃなくひねくれた心配もうっとうしかった。
必要なのに指のすき間から漏れて失っていく感覚は少しも慣れない。
「おまえは、世の中、一月さんだけじゃないってことを学ぶべきだな」
動く気配に目を向けると、カズはシャツのボタンを外していた。何をするつもりか、息を呑んで見守っているうちに、すぐ傍でしなやかに起伏した上半身が晒された。