魂で愛する-MARIA-

第5話 夜鷹(よたか)−裏切りの遊戯(ゆげ)

# 29

 丹破家の佇まいといい、そこに集う男たちといい、仰々しさにもずいぶんと慣れた。
 まもなく自分に待ち受けていることを思うと、ため息を呑みこんでしまうほどおののく。はじめてのときは何がなんだか混乱して考えられなかったけれど、ここに来るたびに逃げだしたくなるのは、二回めにやってきた日の衝動となんら変わりない。

 一週間の間隔で開かれていた宴が唐突に中止になった日から二週間がたち、つまり、丹破家を訪れるのはおよそ二十日ぶりだ。
 今日、特に不安な気がするのはそればかりではなかった。
「カズ、お母さんに会えない?」
 カズの車を降りて一緒に歩きながら訊いてみた。
 去年までは、カズと吉村をうんざりさせるくらい口にしていたことだ。案の定、わかっているだろう、と云わんばかりの流し目が向かってきた。

「じゃあ、せめてあたしからも電話ができるようにして。お母さんから連絡がないの」
「メールできてるんだろう」
「できるようになったけど、元気? とか、風邪ひかないようにとか、そんなことばっかり。それに、メールと電話は違う」
「おれは、一月さんに進言することはできるけど、それ以上のことは立場にない」
 カズは云い聞かせるような口調で遠回しに無理だと告げる。
「あたし、吉村さんとお母さんが一緒にここを出ていったのかって思ったの」
 すっと息を呑む音がしたかと思うと、カズは足を止める。躰を九十度回転させ、釣られて立ち止まったあたしと向き合う。
「なんでそういうことを思う?」
「二週間まえ、いつもじゃないことばっかりで、それが偶然じゃないって思うようになったから」

 声が聞けないことが怖い。母と話したのは二週間まえが最後だ。その日、いろんなことが符合していると気づいたのは、やっぱり母から連絡がないと思ったときだ。
 吉村が、毬亜、と呼んだように、母もあたしのことをそう呼んだ。クラブで働いていたときと同様、この半年、本当の名前で呼ばれたことなどまったくないのに。
 もしかして、と思った。
 思いついたとたん、泣きたくなって虚しくなって、焦ったあまり何度も操作ミスをしながら吉村の携帯電話を呼びだした。いつものようにちょっと迷惑そうな雰囲気で吉村の声が応じたとたん、ほっとしたあまり気を失いそうになった。
 そのとき、いまカズに云ったように吉村にも母と会えないかと訴えたら、まだ母親が恋しいか、と子供扱いをして、そんなんじゃない! とあたしはむくれたけれど、あとになってかわされたんだと思い至った。

 よくよく考えてみればその日、母から電話があったと知ったときの吉村の反応は寝耳に水といったふうで、少なくとも、一緒に逃亡するため、ふたりがあたしへの別れを云おうなどという打ち合わせをしていたわけではなかったのだ。
 めずらしいと云えばもう一つ、宴が中止になったこと。いや、それだけではなく、カズが電話ではなくわざわざやってきたことも不自然だった。
 それらを偶然と処理してしまうには、楽観する力がいまのあたしには抜けている。
 何より、その日以来、母の声を聞いていない。

「そういうことを一月さんがするわけないだろ。もしそうするとして、一月さんがおまえを置いていくわけがない」
「……ホントに?」
「一月さんがどれだけおまえを守ろうとしてるか、わかってないのか」
「わかってるけど、疑わせたのはカズ。あの日、ヘンなこと云うから」
「ヘンなこと?」
「憶えてないの? 会いたいっていう気持ちを持ってるのはあたしのほうだけってカズが云うから、すごく不安になったの!」
 カズが考えこむような面持ちで黙ると、あれがからかうだけの発言だったと知らされる。
「ああ……」
 と思い当たったらしいカズは、つと目を逸らした。「あれはおまえがあんまり単純なことしか見てないから、少しは考えろって促したつもりだった」
 悪びれることもなく、カズはあたしに目を戻す。

「あたしはずっとそのことで悩んでるのに!」
「救いだしてやろうかっていうおれの手をはね除けたのはおまえだ。ここにいるって選択したんなら、とことん一月さんに従ってついていけ。疑うとか、感情のロスだ」
 救う奴がいるなら。その言葉がカズの申し出だったことに、あたしはいま頃気づく。
「お母さんに会えるようにできないのに、吉村さんだって総長には逆らえないって云ったのに……何もできないカズが、どうして、どうやってあたしを救えるの?」
「おれは出入りしているだけで、丹破一家の一員じゃないからだ」
 それでも、やくざのくせに大学生という、どこかお坊ちゃまのようなカズに救う力があるとは思えなかった。そうして、見つかったらどうなるのだろう。

「……もういい」
 カズの横をすり抜けて家に向かった。
 すぐに追いついてきたが、カズは何も云わなかった。

 この頃思うようになったのは、あたしの疑問にまともに応えないとき、それは期待させたすえ嘘になってしまうのを避けるためだということ。吉村にもカズにも共通する。
 得てして、生き延びたさきが思うようにならないこともあるという覚悟も強いられている。

 二人の男たちが両脇に待機する玄関をくぐり、家のなかに入るとまずはキッチンに向かった。そこにも男が二人いる。そのうちの一人、アツシはあたしとカズを目視して、にこりともせずわずかにうなずく。
 ちょうどコーヒーができたようで、あたしは食器棚の下段からトレイを取りだした。アツシは無言でソーサーにコーヒーカップをのせ、あたしが持ったトレイに置く。
「どうぞ」
「はい」
 あたしはうなずいてキッチンをあとにする。出る途中でカズを見やると、かすかに顎をしゃくった。ここからさきはカズではなくアツシがつく。

 コーヒーくらい淹れられるが、毒などを盛らないよう用心のためにあたしにはそうする許可が下りない。
 そう思うならあたしに運ばせなければいいのに、まず家に来たときは挨拶がてらコーヒーを持ってくるよう、艶子から云いつかっている。きっと、あたしの立場が奴隷であることをはっきり知らしめるためだ。
 世話にも邪魔にもなりたくないのに、お世話になりますと云わなければならないことは苦痛だ。そうわかってやらせているのだろう。

 二階にある洋室のまえに立つと、アツシがノックしてドアノブを握る。
 何か聞こえる。そう気づいて、アツシの名を呼びかけるも囁き声では届かなかったのか、アツシは頓着せずにドアを開いた。
 そうして、室内に動くものを捕らえると、自然とそこに目が行く。

 テーブルを置いた向こうにあるベッドの上で、二つの肉体が躰の中心で交わっていた。

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