魂で愛する-MARIA-
第5話 夜鷹−裏切りの遊戯−
# 28
「どうしてそんな理由があると思う?」
「理由があるから一緒にいてくれないし、会いたくても会えない」
「それはアオイの気持ちだろ」
カズは極めて冷静に指摘した。あたしはそう云われるまで気づかなかった。
「……どういうこと?」
泣きそうになりながら怖々訊ねた。
吉村の言葉一つ一つをあたしは好きという気持ちで聞いているけれど、吉村からすれば単なるなぐさめにすぎないのかもしれない。
朝方あった電話での母との会話を思いだす。
吉村さんを頼りなさい。
吉村さんは母のことが好きで、単に母の願いを聞き届けているだけ?
そうしたら、『生き延びろ』は母のための言葉で、『可愛い』もあたしが母の子だからこそそんな言葉が出てくるのだ。
しばらくじっとあたしを見下ろしていたカズは口の端で薄く笑った。
「おまえ、本当に一月さんのことが好きなんだな」
呆れているふうでもあり、同情のようにも聞こえた。
「吉村さんが一緒にいたくて会いたいのはお母さんなの?」
「半年まえは確かにおれはそう思ってた」
「……いまは?」
「わかるわけないだろ」
カズは力づけてくれるような言葉を発する気はさらさらないらしく、素っ気なく応じた。
「それで。脳みそが空っぽのラブドールのくせに、立場なんていう高度な発想はどこからきたんだ?」
思考力のなさに自虐することはあるにしても、ひどい云い様だ。
最初の頃、カズは気を遣うように接していたが、だんだんと飾らなくなっていった。けれど、いまの冷ややかさのほうがたまにポーズではないかと思うときがある。カズが慕う吉村から依頼されたことを差し引いても、いまみたいに貶すことはあるが、監視を兼ねてあたしに付き合うことをけっして面倒がっている様子はない。むしろ、この参考書みたいに頼んでもいないことをあたしのために考えてくれている。
そんなカズがいなくなったら、だれがあたしのことを考えてくれるだろう。
「今日、お母さんが電話でそう云ってたから。吉村さんは意志とは違うこともしなくちゃいけないときがあるって」
カズは何が引っかかったのか、その瞬間を境に、自分のほうがよほどドールみたいにして不自然に躰までをも沈黙させた。
それはあたしが首をかしげるまで続いて、やがてカズは外れかけたネジを締め直しでもしたのか、動くかどうか試すように首をかすかに上下させた。
「おまえのお母さんはよく見てるな」
そう云われると、あたしはずっと母には勝てないどころか追いつけない気がする。
「あたしも勉強したらよく見れるようになる?」
「その気なら。するか?」
あたしはこっくりとうなずいた。
「なら、座れ。まずはどこまでできてるかテストだ」
「……中学生レベルは無理かも」
あたしは椅子を引いて座りながら、おずおずとカズを見上げて云った。
「点数をつけるのが目的じゃない。小学生の高学年レベルから段階的に問題を作ってる。視力検査みたいに、ここまではわかるっていうのが見えればいい」
「よかった。ちょっとわくわくする。勉強とか久しぶりだし」
あたしがおどけて肩をすくめるのを見て、カズは一度首を振って皮肉っぽく笑った。紙を数枚渡されて見てみると、問題はそう多いわけでもない。
「カズが作ったの?」
「レベルの低い問題作るほうがたいへんだって気づいた」
返事はストレートではなく、しかも嫌みったらしい。
「そういう云い方、子供っぽいのはあたしと一緒だね」
「おれの倍近く生きてる一月さんと比べられても説得力はない」
カズは吉村を引き合いに出してぴしゃりと云い返してきた。ともすれば跳ね返すようで、何かにこだわっているみたいだ。
「あたしと吉村さん、親子みたいに見える?」
「親子ではやらないことやってるくせに?」
すかさず問い返す形で返事を聞き遂げると、また最初の疑問が復活する。
「最後までやってない。あの日が最初で最後だし、抱かれてないってあたしが嘘を吐けないからだめだって。嘘はなんのために必要なの? だれが気にするの?」
カズは、そこに答えがあるようにつと目を参考書に落とし、考えこんだすえため息を大きくついた。
「丹破総長は一月さんの存在を脅威に感じている。一月さんは如仁会総裁のお気に入りだ。いずれ、如仁会総裁を継承されることになるかもしれない。丹破総長の妻、艶子は総裁の一人娘で、もともとは一月さんの妻になるはずだった」
「……え?」
あたしは目を見開いた。
「それを丹破総長が横取りしたんだ。おれを差し置いて総裁の座は渡さない、ってとこだろう」
そう聞くと、また微妙に吉村の事情は違ってくる気がした。
「お母さんのことも?」
「最初に寝取ってやろうって気持ちはあったかもしれない。それ以上に、お母さんは総長に気に入られたらしい。云っておくと、丹破家に出入りする女はそれだけで総長にとって特別だと暗に知らしめている。つまり、総長の許可なくしてアオイを“横取り”するようなマネは吉村さんにはできない。そういう世界だ」