魂で愛する-MARIA-

第4話 哀恋−あいれん−

# 21

「確かに、おまえの母親はおれの情婦だったこともあるが、いま母親などかばっていない。おまえのために云ってる」
 かばっていない。それは無下に聞こえ、けれど、好きじゃないとも口にしない。
「あたしはこれからどうなるの?」
 あたしは三度め、口にした。じっと見上げるぶんだけ吉村も見下ろしてくる。

 このまま喋ることなく、ミイラ化してしまうかもしれないと思いかけた矢先。
「どうなるかじゃなく、時がくるまで、何があろうと生き延びろ」
 生き延びて、そうしたさきに何が待っているのか、吉村は曖昧な期限を敷いた。それがあたしのために云っていることなら、吉村はその時にあたしになんらかを示してくれるのだ。
「そうする」
 あたしは即答した。
 吉村のため息は、あまりにも簡単に返事をしたあたしに呆れたからだろうか。
「おまえは昨日みたいな目に遭う。それでもか」
 今度は即答できなかった。

 昨夜、あたしに起きた光景が脳裡に浮かぶ。吉村にされたことは恥ずかしくてもつらくても我慢……違う、つらくても受け入れて感じられた。
 けれど……。
 好意も何もないオスとしか称せない男に躰の中心が犯されたこと、醜穢(しゅうわい)な唾液に全身が塗れたこと、それらは耐えられるものではなかった。記憶に触らないようにしていたけれど、思い浮かべたとたん吐き気までもが甦って、あたしは両手を重ねてくちびるを覆う。

「昨日、おまえは窒息しかけてた。相手がどう醜悪だろうが受け入れなければまたそうなる」
 生きては逃げられない。それは漠然とわかっている。あたしは、生き延びられないことを覚悟で逃げるか、生き延びてその時を待つか、そのどちらかしか選択肢はないのだ。
「待ったら……生き延びたら吉村さんと自由に会える?」

 吉村は吐息を漏らし、そしてくちびるを歪めた。そうしていくら待っても返事はなく、沈黙を守っている。
 あたしに生き延びてほしいなら、会えると答えるほうが説得は易いと考えるだろう。そうはせず、会えない、と云わないことがかえってあたしに可能性を与えた。

「あたしはどうすればいいの?」

 そのさきに吉村がいるのなら、いつになるかわからない“時”をただ待ってはいられない。それまでの時間を訳がわからないまま経たすえ、吉村から『当てにならない』と思われたくはなかった。
 あのとき吉村は、あたしに向けたようでいて実はそうではなく、母に対する気持ちがあったからこその母を評価した言葉であり、呆れ果てていたのかもしれないと思った。

「どうもしなくていい。ただ、受け入れて耐えろ」
 あたしはそれをまっすぐに受けとっていいのかどうか迷ってしまう。母の何が吉村を呆れさせたのか。

「お母さんとはじめて会ったのはいつ?」
「二年まえの春だ。父親のかわりに掛け合いに来た」
 それはきっと、あの借金取りの男たちがアパートに現れた直後のことに違いなかった。
「それから……お母さんと?」
「おまえの母親は男を惹く」
 吉村は遠回しなようでいて率直に認めた。
「それなのに飽きたの?」
「総長が気に入っただけの話だ。母親が与えられなかったかわりに、娘の処女がほしいというほどにな」
 吉村たちの日常ではそんなわがままがまかり通ってしまうのだ。あたしは“耐える”ことに怖れを抱いた。

「……あたしは……気に入られてない?」
「一概に答えられる質問じゃない。当面、総長はある程度の保証をした。気に入っていないわけじゃない」
「保証?」
「おまえはクラブをやめて高級エステで稼ぐことになる」
「高級エステ?」
「ソープと云えばわかるか。不特定多数の男たちを相手に性的サービスをする」
「……」
 いや、そうつぶやきかけてあたしは口を閉じた。定まっていることはあたしの力では変えられない。わかっていても足掻いてしまうのはどうしようもなかった。

「男を喜ばせる場所だ。触られることもあるだろうが総長の意向で犯されることはない。おまえの真の役割は地位のある奴らを相手にする高級娼婦だ」
 あたしはやっぱり商品なのだ。
 受け入れる――どうやって?
「……昨日……みたいに?」
 吉村は首をひねってみせ、それは肯定にほかならない。
 呆然と昨日のことを思い返すにつれ、あたしはやりすごせない疑問に行き当たった。

「昨日……録画って……天井にあったのはカメラ? 撮られてたの?」
「おまえの値段を高くつけるためだ。付加価値は限定だからこそ吊り上がる。ほかに漏れることはない。おまえは十五歳だ。映像を持っているだけで犯罪になる。地位があるだけに下手なことはできない。こっちにとっては脅迫ネタにもなる、手堅い資金源だ」

 漏れなくても、あたしの知らないところであたしの痴態が見られているのだ。これからその時がくるまで、だれともわからない男たちを満たすという、獣欲の檻に閉じこめられることを考えれば些細なことかもしれず、混沌としたものが心底に集う。

「お父さんの借金は……それで返せる?」

 必ず終わりがくる。そんなことを望みながら訊ねたのに、吉村は肯定も否定もしなかった。
 曖昧なことに返事をしない。それは一見、嘘を吐かないという誠実さに見えるけれど、いまはずるいとしか思えなかった。

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