魂で愛する-MARIA-

第2話 調教

# 10

 浴槽はアパートのそれより四倍はあるほど広く、ただの石なのか大理石なのか、特注品だというのはあたしでも見当がつく。
 なかには段差があって、横向きに抱いたあたしが沈まないようにだろう、吉村は一段高いところに腰かけていた。湯はあたしの肩が浸かるか浸からないかのところで揺らめいている。

 込められている真意は何か、可愛いという言葉を吐きながら頬に添えた吉村の手は、ケガをしているわけでもないのにかばうようにそっとしている。
 それをやさしいと受けとっていいのかどうか、あたしはわからない。手とは裏腹に、眼差しはきつく射るようだ。残忍さも冷たさもない。そのかわりにあるのはなんだろう。
 易いと可愛い。反対のことに聞こえるのに、同じ吉村の口から飛びだす。あたしが吉村のなかでどんなふうに存在しているのか知りたくなった。

 そんなふうに惑わせるのも吉村のやり方で、その向こうにはなんらかの結果が、あるいは報酬が待っているのかもしれない。
 どうであっても、あたしには失うものはもうない。ひどい言葉のあとにいまのような瞬間があるのなら、それだけで生き延びられそうな気がした。

「吉村さんにはあたし、何をされても――殺されてもいい。だから、ずっと近くに――いるってわかるところにいてほしいです。一週間、お母さんがいなくて怖かった。独りでいなきゃいけないくらいなら逃げて――」
 殺されたほうがマシ。その言葉は声にならなかった。

 吉村からの二度めのキスは、ちゃんとキスとわかった。
 煙草の香りが薄れて、そのかわりに熱がくっきりと伝わってくる。顎に貼りついた舌を吉村の舌がすくう。ぐるりと何度も回転して、あたしの舌が踊らされる。
 その感覚にのぼせていくなか、ふと吉村が動きを止めた。離れるのでもなくただじっとしている。物足りないあたしは、ほぼ無意識に吉村の舌に絡んだ。されたようにやってみる。あたしが感じたように感じさせられているか。そう疑問に思うことすら滑稽なくらい、あたしにキスの技術はない。
 キスに限らず、セックスでもなんでも、あたしは吉村を動かすことはできない。そんなよけいなことまで浮かびあがった。
 それを裏づけるように吉村の舌が引っこむ。さみしさを覚えると同時に、本能的に舌は吉村を追った。すると、その舌を吉村が咥え、次には吸いついた。舌が痙攣するのは、吸引された反動なのか、気持ちいいせいか。脱力すると、吉村があたしの舌を解放し、またさみしくなった直後、口のなかに吉村の舌が入ってくる。吉村を真似て、あたしは咥えて吸いついた。
 それからは戯れるように、吉村にされたことをあたしが吉村に返すというキスを交わした。
 吉村が顔を上げたときは、あたしだけではなく吉村の呼吸も普段と違って不規則だった。

 吉村はあたしの躰を起きあがらせ、一緒に立つと浴槽を出た。
「もう一度だ。やるか、やらないか?」
 吉村は顎で洗面器とそれに浸かった注入器を顎で示す。
 ためらいはある。けれど、あたしはうなずいていた。
 今度は椅子に固定されることなく、あたしは云われるままやわらかいタイルに肘をつき、四つん這いになってお尻を差しだした。拘束なしというのは、自分の意思でやっているのだ、とそんな奴隷志願の意識を植えつけるためかもしれない。
 お尻のなかにお湯が入ってくる間も、ローターが埋められるときも呻き声が漏れ、あたしは、ともすれば心地いいと受けとれるような嬌声を漏らしていた。

 吉村は背後からあたしの正面にまわってくると、おもむろにかがみ、床に座り、そしてあぐらを掻く。
「そのままここに来い」
 そのままというのは四つん這いということなのか、あたしは肘を上げて手をつくと吉村に寄った。
「咥えて、おれを逝かせてみろ」
「やったことないから……」
「さっきやったとおりに舌を使え」
 さっきのキスはこのためだったのかと思うと、ざらついたさみしさを否めない。拒否権などなく、けれど、自分も躰の中心にキスをされたこと、吐きだしたものまでなんでもないことのように呑んでいたことを思えば、あたしが吉村にそうすることも当然のような気がした。
 あたしは吉村の股間へと顔を伏せた。

 上向いた吉村の男根は太く、一瞬あたしの口におさまるのかと不安になる。まずは舌先で先端をつついた。男根がぴくりと振れる。顔をおろして根もとに口づけると、ぐるりと一周しながら舌を這わせていく。吉村はあたしみたいに声こそあげないものの、それを堪えたようなこもった声を聞きとった。
 先端に戻ると、吉村ははっきり唸った。ちょっとしたしょっぱさはなんなのか、それよりも感じさせられていることにほっとしながら、あたしは先端を口に含んだ。やわらかくて硬い、そして舌やくちびるとは違う、そんな感触を確かめながら、限界まで顔をおろしてみる。すると、半分が精々だった。かわりに舌を絡めながら顔を上下させた。くびれたところであたしは吸いつく。男根がびくびくと口のなかで暴れる。
 反応を得られているのがわかると、あたしは何もされていないのに満ち足りた気分になる。逝ってもらいたくてたまらなくなった。

 そうして繰り返していくうちに、あたしのおなかは限界へと向かっていた。吉村が逝かないとあたしは解放してもらえない。そんな暗黙のルールは感じていて、あたしはひたすら吉村を食(は)む。根もとからはじめた吸着するキスが先端にのぼり、心持ち強く吸いつくと吉村が呻いた。直後、頭がつかまれると吉村の手によって無理やり上下させられた。
「逝くぞ」
 絞りだすような声は至福という魔力的な効果を伴う。嘔吐(えず)きながらも吸引した。
 とたん。
 くっ。
 短く咆哮し、吉村は座ったまま腰を突きだすように動かして逝った。そのしるしが口のなかに溢れていく。
「呑め」
 そうすることに抵抗はなかった。吉村のものなら。

 吉村の荒い呼吸が落ち着いた頃、あたしは逆に躰をよじるほどの解放を求めていた。
「吉村さん、あたし……」
「逝きたいか」
 云いかけている途中で吉村は立ちあがる。うなずくあたしを抱きあげた。
 トイレのところまで連れていかれたものの、吉村がおろす気配はない。
「吉村さん」
「まだ耐えろ」
 そうやって横抱きで躰を締めつけられる一方で、あたしは吉村に縋っていた。
「も、無理!」
 横抱きという体勢がお尻になかなか力を入れられない。
 吐出されるのはもうほぼお湯だと云われても、トイレ以外の場所では受け入れられない。
「あ、だめっ! 出ちゃ、う」
 必死で精悍な躰にしがみついた。
「逝けるか」
「わから、な――」
「逝けるか」
 あたしは少しためらってからこっくりとうなずいた。
「いい子だ」

 三度め、強烈に逝くということはなく、ただ、吐出行為が快感に変換されたのは確かだった。その感覚に首をのけ反らせ、そのさきに見えた吉村は、逝くまでに至らなかったことを咎めるでもなく、じっと見下ろしていた。
 そのとき、表情を動かさない裏で吉村にもなんらかの感情は確かに動いているのだ、とそんなあたりまえのことに気づいた。

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