ミスターパーフェクトは恋に無力
第1部 period
closing
独善
最後の賭け。
あの日のことをそう打ち明けたら、千雪は無責任だと怒るのか、それとも呆れ返るのか。
結局、自分の賭けに建留は敗れた。
独り善(よ)がりでやってきた戒(いまし)めだろう。
だからこそ、引きとめない、と、敗れたとわかったときにそう自分に誓いを立てた。
一つ一つ、千雪の物がふたりの部屋から消えていくたびに、いまではない、待つべきだ、とそう自分に云い聞かせてきた。
そして今日、加納家からも千雪のものは消え、千雪がいたという痕跡はもう一つも残っていない。
最後にキスを。
その言葉に、千雪からのキスに、どれだけの意味を建留が見いだしているのか――これもおそらくは独善だ。
見上げていた部屋から灯りが消えた。車外に出ると、春と冬の境目をさまよう冷たい風が躰に纏わりつき、温もりを絡めとられているような気がした。
灯りも影もなくなった部屋を見上げながら、長く触れずにきて慣れていたはずが、さみしさを訴えるように手のひらが空をつかむ。
その虚しさを紛らせるように胸ポケットに手を突っこんで、建留は携帯電話を出した。
いま、迷っていたことに結着をつけられた。すぐに手の届く場所では同じことを繰り返してしまうだろう。結婚、という契約があるかないかという違いだけで。
ここで電話するという性急さが、気が変わらないうちにという意志の弱さの表れであることは否めない。
「建留です」
『私は間違っていたか』
「歴然、でしょう。なぜ孫が貴方の後始末をしなくてはいけないんですか」
未練がましい問いかけを受けて無遠慮に放つと、電話越しにため息が届く。
その実、建留の云ったことは矛盾をはらんでいる。滋がいなければ、千雪との時間はなかった。ぬかるみに埋もれていくように苦しくても手放したくない。あの時間を知ってしまったこの期に及んで手放せない。
長い吐息が途切れるのを待って「ですが」と建留は続けた。
「ここからは、おれの――いや、おれたちの問題です。そうですね」
『私にも期待くらいさせてくれ』
その何十倍も何億倍も期待しているのはおれだ。迸(ほとばし)りそうな口もとを結び、呑みこみ、衝動を堪えた。
「例の件、出向先を根回ししてもらえませんか」
『どこだ?』
「東南アジアでも中東でもアフリカでもいい。ロンドンみたいに邪魔されない場所を」
『しかし――』
「危険なのはどこも一緒ですよ、偏見があるだけで。自分の身は自分で守れます。おれを独りにしてくれるならどこでもいい」
『……わかった』
渋々といった声が了承した。
通話を絶つと、建留は再びマンションを見上げた。
「千雪、また……」
また、帰る。最後のキスを取り戻しに。
信じている。おれたち、の時間を。
「行ってくる」