ミスターパーフェクトは恋に無力

第1部 PrimDoll
第5章 Prison Doll

1.恋人同士

 ちょっとお洒落な和風テイストの居酒屋は、カウンターを除いて一つ一つ個室になっているが、顔が見えないというだけで、にぎやかな声は筒抜けだ。
「みんな合コンやってるのに、なんでわたしたち、いつも女子会?」
 シーザーサラダを啄(ついば)みながら、向かい側にいる栞里がぼやいた。千雪の隣に座った相川美耶(あいかわみや)はおどけて肩をすくめる。
「合コンは千雪が除け者になっちゃうじゃない。相手側には結婚してることを隠せるとしても、建留さんが飛んできそうだし」
 美耶は全面的に千雪のせいにした。千雪が見やると、ごめん、とアイコンタクトで送ってくる。

 美耶は大学に入ってできた、はじめての友だちだ。千雪と同じ英米文学を専攻していて、美耶から話しかけてきた。ゴールデンウィーク間近という三年生になったいま、ちょうど二年の付き合いだ。
 美耶は女性から見ても羨むくらいきれいな子だ。二重のくるっとした目から鼻、口までバランスよく整っている。
 そんな外見は瑠依にも云えることだが、雰囲気が違う。瑠依は呼ばれなくても一歩も二歩もまえに出ていきそうなほど積極的だが、美耶は気づかれるまえに退くという消極型だ。男性に対してはそれが顕著(けんちょ)に表れる。
 美耶をそんなふうにしたきっかけは高校時代にあったという。つい最近になって千雪は知った。建留と普通に話せていることを思えば男嫌いとまではいかず、苦手というところだろう。だから、合コンは美耶にとって論外のことなのだ。
 男の子と仲良くしたい――それよりはゲットしたいという女子大生は多い。そのなかで、美耶によれば“群れることのない千雪のストイックさ”に安心したという。栞里を紹介すると、やっぱり千雪の友だちって感じ、と云って一緒に行動するようになった。
 結婚している、としばらくして打ち明けたら、まったくそうは見えなかったらしく驚愕していた。既婚者の女子大生なんてめったにいないのは確かだ。

「飛んできたくても、いまは無理だから」
 千雪は肩をすくめ返した。
 すると、栞里は箸を止めてテーブルに肘をつくと、わずかに身を乗りだす。
「千雪、一年も離れてるとか、新婚さんでどうなのって感じするけど」
「クリスマスからお正月まではこっちに帰ってきてたし、夏休みと春休み、二カ月ずつはロンドンで一緒にいたよ。それに、もうすぐ帰ってくるし」
「大企業ってそういう長期の出張とかよくあるの?」
「美耶、出張じゃなくて出向」
「期限不明の転勤じゃないだけマシかもね。美耶、建留さんの場合は大企業だからじゃなくて、次期後継者候補っていう肩書きがあるからだよ。“たぶん”だけど。自分の会社って隅々まで知っておくべきじゃない?」
「そっか。千雪もたいへんだね」

 たいへんではなく、さみしい、のほうが合っている。
 去年の三月、海外事業部で主任という辞令を受けた建留に、ロンドン支社への出向命令が出た。
 一年間、日本に帰らないと告げられたときには、心細くてショックだった。世界中が知る業平だけにあってもおかしくないことなのに、千雪は考えたこともなかった。
 四月というすぐの出発を控え、建留はこっちの引き継ぎもあってますます忙しくなり、ふたりでいられる時間は眠る間だけとなり、千雪の春休みという空き時間はなんにもならなかった。
 離れ離れになってから、電話は毎日欠かさずあっても、傍にいるのといないのとでは気持ちの在り方が違う。どれだけ自分が建留を当てにしているか、そのこともショックだったかもしれない。このまま離れてしまったらどうしよう、というばかげた想像をして千雪を心もとなくさせた。
 窮屈な加納家で孤軍奮闘した四カ月後、建留が、夏休みはロンドンに来ないか、と云ってくれたときはほっとして、うれしくてたまらなかった。
 ふたりきりという生活ははじめてで、あまつさえ、場所がロンドンという異世界であり、夏の滞在では、半分は楽しむよりもあたふたしていた。春休みは、時差ぼけを治すのと環境に慣れるのに数日要しただけで、純粋に幸せな時間だったと思う。
 外見の色だけ見れば千雪はロンドンに融けこんでいる、と建留はからかった。それが心地よくて、蜜月旅行(ハネムーン)をすごしている気分でいられた。
 けれど、そういう時間は呆気ない。思う、と云うしかないのは、千雪だけ日本に帰るときの気分が幸せの時間を色褪(いろあ)せさせたからだ。
 建留の出向は一年の予定で、本来なら春休みが終わるのに合わせて千雪と一緒に帰るはずだったが、四月の中旬に入ろうとするいまも、“いつ”という予定がなく少し伸びている。二週間まえ、千雪だけ大学が始まるのに合わせて帰ってきた。

「でも、離れたぶんだけ、ラヴでいられる期間も延びるかもね」
 栞里は可笑しそうにした。
 千雪がなんとも答えられずにいると、タイミングよく電話がかかってきた。いや、着信音は建留を示していて、果たしてグッドタイミングなのか。
 訳知り顔の栞里と美耶に断りを入れて電話に出た。

『千雪?』
「うん」
『どこにいるんだ? ちょっと周りの感じが違う』
 耳ざとく、建留はこっちの気配を察したらしい。問いかける声は、すぐそこにいるんじゃないかと思うくらい近い。
「居酒屋にいる。栞里と美耶と一緒」
『三人で? 電話、大丈夫か?』
「うん、大丈夫」
 電話の向こうから脱力したようなため息が聞こえてくる。それとも、千雪の傍らで栞里と美耶がそうしているように忍び笑ったのか。
『“うん”ていうのは、三人のほうにもかかってるのか?』
 それが大事なことなのだろうか。千雪にはどうでもいい質問に思えた。
「いつものとおりの三人。お酒は飲んでるのは栞里だけ」
『ならいい。帰りは松田かタクシーを使えよ』
 何がよくないことになるのだろうと考えながら「わかってる」と千雪が答えると、気が小さいな、と独り言のような言葉が漏れる。
「建留?」
『ああ。来週末、日本に帰る』
「……ほんと?」
『千雪に嘘吐きだと思われてるとは思わなかった』
 おもしろがった声は遠回しに本当だと答えた。うれしいという言葉では足りない気持ちが込みあげる。
「もしかしたら、あと一年、てなるのかなって……ちょっと思ってたから」
 図らずもこぼれてしまった本音は気が緩んだせいだ。悟られてしまう、と思ったとおり。
『おれが必要らしいな』
 核心をつく言葉と一緒に含み笑いが届いた。
 結婚しているのだから突っ張ることもないのに、千雪は云いたかった言葉を呑みこんだ。とたん。
『空港で待ってる』
 建留が代弁した。
 待っているのは千雪のほうなのに。
「そうする」
 同じぶんだけの片想いをしている証(あか)し? そんなことを思ったら、意識する間もなく素直な返事が出た。
 建留の低い笑い声が耳をくすぐる。
『時間がはっきりしたらまた連絡する』
 建留に応えて千雪が返事をしようとした矢先、建留、と呼ぶ女性の声がした。短い吐息にはどんな気持ちがこもっているのか、すぐあと建留は『ああ』と応じている。
「建留?」
『ああ。邪魔して悪かった。栞里ちゃんたちにもよろしく云ってくれ。またな』
「……うん」

 長々と電話するのも、栞里たちのまえでは小恥ずかしいが、あっさりと切られるのもがっかりする。もともと会話が弾むことはなく、それは概ね千雪のせいであり、わがままな気持ちだと自分でも思う。
 携帯電話を見つめて思わずため息をつくと、ふと上向けた目が栞里の目と合った。にやにやした笑い方に千雪は身構えた。
「夫婦っていうより恋人同士の会話みたいだよ。離れるのもいいかもね。千雪もちゃんと甘えられてるみたいでほっとする」
 栞里は保護者みたいな感想を口にした。
「甘えてる?」
「本音を云えてるし、見せてるってこと」
「そうだね。千雪、いまうれしそうにしてた。建留さん、帰ってくるの?」
 うれしそうに――そんなに露骨にしていたのか、少し不安になる。そうなる必要はないと思うけれど。自分の性格は自分でも面倒くさい。
「来週になるけど」
「いいなぁ。よかったね、千雪」
 栞里は羨んだ口調だ。
「栞里、合コン参加すれば? わたしと美耶に合わせてることないよ。美耶はもっと年上の人が似合うと思うけど、栞里はそういうハードルなんて関係なさそうだし、カレができるきっかけになるかもしれないし」
「あ、そういうこと? 美耶はそうだよね。千雪は人を限定するけど、美耶はだれが見てもちょっかい出したくなる感じだから、年上の人からガードされたほうがいいかも」
 美耶が少し顔を曇らせた。すぐに笑顔にすり替えたから、気づいたのは千雪だけだろう。栞里はその気になったらしく、誘いがきている合コンをあれこれとチェックし始めた。
 栞里の気を逸らせたことにほっとしつつ、その後、千雪は気もそぞろで彼女たちのお喋りを聞いていた。
 栞里が云う、“ラヴな期間”は延びるのではなく増えているという感覚で、これからの一週間、そわそわして身が持たない気がした。

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