ミスターパーフェクトは恋に無力
第1部 PrimDoll
第4章 Bad sweet
4.ブライダルナイト
千雪はくるっとリビングに背を向けて、ベッドサイドに置いたスーツケースのところに向かう。
あらためて見たベッドは、セミダブルサイズを二つくっつけてあるのか、ごろごろと転がれそうなほど広い。小さな子供だったら――いや、豪華な部屋だけに、特別な日でなければ千雪でさえはしゃいでやるだろう。そうしないのは、建留に子供だと思われたくないことと、リラックスできるような状況にないせいだ。
「千雪」
スーツケースまでもう少しというところで建留が声をかけた。ふいをつかれて、千雪は飛びあがるようにしながら振り向いた。
「飲む?」
チョコレート色のバスローブを羽織った建留は、ドアの入り口に立って左手に持っていたグラスを掲げた。
「……何?」
「ジンジャーエール。好きだろう」
少し動悸がおさまるのを待ってから千雪は建留に近づいた。
「建留のは? シャンパン?」
グラスを受けとりながら、建留の右手にあるグラスを指差した。ジンジャーエールより薄い色をした液体が入っている。
「ああ。車だったし、夕食では飲めなかったからな」
建留は千雪が持ったグラスにコツンと自分のグラスを当て、「乾杯」とつぶやいた。
ワンテンポ遅れて千雪も「乾杯」と返して、互いにひと口だけ飲んだ。とたん、グラスは取りあげられる。
建留は千雪のくちびるを襲った。触れるだけではなく吸いついたせいで、建留の口に含んだシャンパンが千雪のあごを伝う。建留はかまわず、舌でくちびるを抉じ開けた。今度は千雪が含んでいたジンジャーエールがこぼれる。
二つの発泡水が口のなかでミックスされ、それを建留の舌が掻き混ぜる。くらくらして熱っぽくなるのは、建留の舌の熱なのか、アルコールのせいなのか。
怖いかと訊いたときのためらいは欠片もなく、突然のキスは強引だった。けれど、千雪の両手は自由で、建留のグラスを持った両手は不自由で、そんな条件の下でも避けようと思い至らない。
やはり、キスのときは呼吸の仕方がわからなくなる。苦しくてたまらなくなった瞬間、建留のほうが口を離した。
ふっといなくなる気配がして目を開けると、ちょうど建留がテレビののった飾り台の上にグラスを置いたところだった。
戻ってきた建留は千雪をじっと見つめて、それからため息をつくように笑みを漏らす。
「目も髪も……千雪の最大最悪の付属品だな」
ケチをつけたのか、称賛したのか、どっちともつかない。
「黒く見えるコンタクト……」
「必要ない」
建留は云い終わらないうちに口を挟む。きっぱりとしていて、だとしたら、少なくともケチをつけたわけではないのだ。
「大学では目立たないと思うけど。逆に、カラーしてる……」
またもや云い終わらないうちに建留がさえぎる。目のまえでかがんだかと思うと、いきなり千雪の膝の裏をすくった。
「建留っ」
バランスを崩して、とっさに建留の肩につかまると、そのまま抱えあげられた。
「下着、まだ穿(は)いてない!」
「いらないだろう」
建留は忍び笑う。次には――
「それとも、だめだっていう遠回し表現なのか」
と、真剣に聞こえる声音で問う。
自分でもおかしな云い分だったと思う。バスローブは膝丈で、躰の奥が見えそうだと思ったすえのことだった。建留が抱いている以上、だれに見られることもないのに。
千雪は返事のかわりに、建留の背中にしがみついた。笑っているのが躰からも感じとれる。千雪の鼓動も建留に伝わっているかもしれなくて、ますます心音がうるさくなった気がした。
「無駄に広いんだよな」
ベッドに膝をついて、千雪を中央におろしながらつぶやく。
「逃げまわらないでくれると気分的に助かる」
建留は皮肉っぽく云う。千雪に対してではなく、自分に対してそうしているようだ。それに――。
「建留……緊張してる?」
そんなふうに聞こえた。
「してない――とは云わない」
足掻くような云い方だ。
素直に認めなかった建留は自らのバスローブの帯をほどく。千雪の手を取ると、胸の真ん中辺りに触れさせた。少し盛りあがった胸は、千雪よりもずっと硬く引き締まっている。
夏場の風呂あがり、上半身が裸という建留を何度か見てきた。腕がそうであるように、腹部にはおうとつがあって背中は広い。タキシード姿のように、服を着ているときのほうが細身に見える。
触れるのはいまがはじめてで、胸板が厚いことを示すかのように、その下の鼓動を探すまでに時間がかかった。感じとりやすいように目を閉じると、やがて手のひらに脈が触れた。一秒に一回よりは早い気がする。
目を開けると、建留は自分の胸から千雪の手をどけた。バスローブをはだけたまま、千雪の腿の上を跨がる。そして、千雪のバスローブの帯をほどいた。
建留はまえのめりになると、千雪を真上から見下ろす。首もとに手が添うと、そこから、バスローブの縁に添ってゆっくり胸へとおりていく。耳もとには自分の鼓動しか聞こえない。建留の両手は胸の間に忍びこみ、おへそに下り、息を呑んだ瞬間、脇腹へと方向を変えた。
バスローブがはだけ、建留の下で、まるで捧げるように千雪の躰があらわになった。
心臓が弾けそうなくらいどきどきしている。隠そうという気がまわらないどころか、建留の視線を受けて躰はすくんでいた。
「千雪、手を」
建留は這うように千雪の上半身を眺めたあと、囁くように要求した。どういうことかわからないまま、ためらうように右手を上げると、建留は左の手のひらを合わせて交互に指を絡める。
「反対も」
両手を合わせると、絡んだ指から建留の脈動が伝わってくるように感じた。
絡めたまま、建留は千雪の肩の傍に手をつく。同時に顔が近づいた。とっさに目をつむると、建留が触れたのはくちびるにではなく顎で、かまえた気持ちが削がれる。そこから発砲水の痕をのぼり、千雪のくちびるにたどりついて舌で裂いた。
舌が触れ合い、千雪が反射的に避けると、追うように建留はもっと奥を探ってくる。息切れと相まって、そうされる心地よさに思考がぼんやりとしていく。
んっ。
やがて呻き声が漏れて、限界を察したように建留は千雪のくちびるを解放した。キスは首筋におりて鎖骨の間を通り、息も整わないうちに胸のふくらみに差しかかる。撫でるキスからやわらかく吸いつくキスにかわり、千雪の神経を敏感にさせた。
「建……留……」
なんのために建留を呼んでいるのか自分でもわからない。その答えが出ないうちに――
ん、あ……っ。
胸先が熱い口のなかに含まれた。自然と背中が反れ、ふるえが躰を突き抜ける。
セックスの形は知識としてある。けれど、セックスで得られるもの全部が千雪にとっては未知のもので、この感覚は何にも例えられない。
口へのキスと一緒で、建留のキスは胸の上でも千雪を陶酔させる。胸先を巻きとるように舌先が動くたびに躰がよじれて、下腹部の奥が熱くなる。
「建、留……ん、ふっ」
口を開けば抑制できずに、自分でも聞いたことのない声が飛びだす。
建留は応じることなく、硬くなった胸先をくちびるで挟み、緩く吸いつきながら離れると、反対側のふくらみに移った。同じことが繰り返され、たまらなくなって千雪は逃れるのにせりあがろうとしたが、絡めた建留の手が引きとめる。
胸先は表面だけではなく内部からも熱くなっていく。
「建留っ」
その悲鳴に、建留はやっと顔を上げた。
「千雪、はじめて?」
訊ねるというよりは確かめているといった声音だ。うなずいて目を開けると、真上に建留の顔があった。千雪の呼吸は余韻でふるえている。建留が刹那、くちびるの端に軽くキスをした。
「どんな目に遭うか知ってる?」
「……どういうこと?」
「はじめてだと痛いって云うから」
「わかってる。でも……」
「何?」
「逃げまわらない……と思う」
建留は目を細めて千雪をじっと見下ろし、それから薄く笑った。
「教会でもそうだったけど、千雪が笑ったり素直だったりすると調子狂う」
笑ってくれたら、そう云った建留自身の言葉とは矛盾した発言に思えた。拗ねるべきなのか、きまりが悪いのか、千雪は複雑な気分で建留を見上げる。
「おれには、千雪はそのくらいでちょうどいいのかもしれない」
「どういう意味?」
「千雪は知らなくていい」
片方の口角を歪めた建留は右手を緩めながら――
「痛いのを知るまえに、今日じゃなくても、いつか知るそのさきを憶えてくれ」
と云い、千雪の左手を離した。
建留は左の腿を持ちあげて千雪の脚の間に入る。右脚は建留の脚が押しのけて、千雪の躰を開いた。
「建留!」
建留が膝をついているせいで、脚を閉じることはかなわない。
「恥ずかしいなんて気持ちは、おれには必要ない。おれを見てればわかる」
建留がまた伸しかかるようにして真上に来る。絡んだ片手が重みでベッドに沈んだ。
建留を見つめる暇もなく、直後、躰の中心に指が触れた。
あっ。
胸よりもひどくそこは敏感だった。体内への入り口で戯れたかと思うと、すっと這いあがる。すると、さらに感度は鋭く上昇した。腰が自然とぴくりとしてしまう。くるりと花片に絡んだ指はまた下に伝う。建留は指先でゆっくり往復し始めた。
ん、は――っ。
自分の喘いだ声が耳につく。建留は見ればわかると云ったが、そんな余裕はない。目を閉じていると、建留の指がぬめっているのがわかる。正確には、自分の躰が建留の指をそうしているのだ。
そんなふうに考える余地はあって、恥ずかしい気持ちもなくなったわけではないのに、それよりも快楽に身をゆだねたい気持ちのほうが勝(まさ)っていく。
その気持ちが伝わったのか、冷静の欠片をも奪おうとしているのか、突然、ただ撫でるという触れ方ではなくなった。最もデリケートな突起をつついて、建留は千雪の快楽を強引に引きだし始めた。
「あ、あ、んっ……建留っ」
腰がぴくぴくと小刻みに跳ねる。何かを漏らしてしまいそうな感覚が生まれた。
「我慢しないで感覚を吐きだせばいい」
指先からこねるように刺激された直後――時間が静止したなかに閉じこめられ、息が詰まり、それから躰の奥でドクンと脈動したかのように感じたあと。
「千雪」
無意識に目を開けて呼びかけに応じた瞬間、経験のない感覚が弾けた。
あ、んぁああ――っ。
躰中に痙攣が走った。
「もう一度」
建留はびくびくする千雪の躰を見下ろしながらつぶやいて、指先を体内へと潜らせた。なじみのない異物感を覚えるよりも、これまでになく千雪は過敏に反応した。浅い場所から始めて、少しずつ奥へと摩撫(まぶ)していく。また違った感覚だった。水音と一緒になって千雪の悲鳴が部屋に響く。
「建、留……や……っ待って、また……あっ」
「同じことを十回もやったら憶えるって云ってたな」
そう云って含み笑うと、建留は体内に指先をうずめたまま、容赦なく親指で剥きだしの突起までつついた。腰が浮いた刹那。
あっ……んんっ――ぅ、くっ。
呼吸がままならず、最初のような悲鳴も出せずに千雪は激しく喘いだ。
はじめてだからこその敏感さなのか、建留の指が抜けだすのにも身ぶるいをするくらい、神経が鋭くなっている。躰から力が抜けないで、痙攣(けいれん)に身を任せているしかない。繋いでいた手が離れたのにも、建留が裸体を晒したことにも気づかなかった。
「千雪」
目が潤んでいて真上に来た建留の顔がよく見えずに瞬きをした。
「建留……十回、無理。死にそう」
「憶えたのならいい」
どう? そんな問いかけが含まれているのだろう。
「憶えた」
即座に返事をすると、建留は皮肉っぽく笑う。同時に、躰の中心に硬くて、それでいてしなうような感触が触れた。
建留はゆっくりと千雪の体内に自身の慾を沈めてくる。
「今度はおれがどうなるかを見てるといい。そんな余裕がないくらい、気持ちよくなってくれるならいいけどな」
次の瞬間の千雪の痛みは、建留のその言葉が軽減してくれたかもしれない。
そして、悲鳴を呑みこむ建留のキスは、躰からショックを解いていった。
痛みのピークがすぎると、こわばっていた躰が弛(たゆ)んでいく。くちびるを覆っていた建留は顔を浮かせ、つつくようにキスをして、それから舌先でくちびるに触れると、下から上へぐるりと一周した。くすぐったくて、それでいて、ごく親密なしぐさに感じる。
ゆっくりと顔を上げた建留は千雪の手をそれぞれ取って繋いだ。まぶたをふるわせながら千雪が目を開けると――
「きつい?」
そう訊ねた建留の声は何かを耐えているかのように聞こえた。
建留が問うように、躰のなかは少しの身動きも怖いくらいにいっぱいで、ただ建留を大きく感じる。
「……でも、大丈夫」
「おれもきつい。けど、大丈夫じゃない」
建留は笑って云ったが、その言葉のとおり、表情はどこか余裕をなくしている。やはり、何かを耐えているように見える。
かすかに首をかしげると、建留は気勢が削がれたように口もとを歪める。
「千雪がどう思ってるか知らないけど、おれはそう経験があるわけじゃない。千雪が反応してほっとしてるくらいだ。だから余裕ないし、つらくさせるかもしれない」
いままでもいまも、そう見えなかっただけに建留のそんな告白は千雪を驚かせた。返事のかわりに取られた手をぎゅっと握り返すと、建留は片方だけ口角を上げて笑んだ。
そして、建留はぐっと腰を押しつけてくる。千雪が小さく呻く間に、今度は腰を引いた。そのゆっくりとした繰り返しのなか、違和感は消えなくても痛みはなくて、だんだんと躰は建留の慾に慣れていく。
んっ……はっ……んっ……。
躰の最奥を突くときの戦慄(せんりつ)と、そこから離れていくときの引きずられるような摩擦。指とは全然違う。そのたびに躰がわなないて、千雪はその感覚に喘いだ。
そうなることに恥じらいは感じても、隠そうとまでは思わなくなった。なぜなら、建留も同じだからだ。見たらわかる、とそのとおり、見上げた建留は余裕というずるさを失って、ただつらそうにしている。口を強く結んでいながらも、時折、千雪と同じようにこもった呼吸を漏らす。
「もう……無理だ」
建留は律動を止めると、呻くように吐いた。荒く息をつきながら、しかめた顔で千雪を見下ろす。めずらしく無防備に見えて、好きだ、という気持ちが増えた。
「我慢しないでも大丈夫」
立場が逆転して、建留は可笑しそうに笑う。その振動がふたりの接点から千雪へと伝った。体内はすき間なく密着しているから、微弱なせん動でも影響を及ぼす。千雪が躰をよじると、すかさず建留が唸った。
「悪い」
建留はつぶやくと同時に、いままでよりもずっと力強くストロークを始めた。それが何度めか、建留が声にならない声で呻いた。
千雪の手が痛いほどに握りしめられて、建留が腰をふるわせる。直後、躰の奥がくすぐったいような熱に侵された。
しばらく荒々しい呼吸が部屋を占めたあと、建留は千雪のなかから抜けだした。その瞬間、躰がこわばってしまったのは、また異質の感覚に襲われたせいだけではなく、さみしいと思ったからかもしれない。
呻いた千雪のこめかみに建留の手が添う。
「大丈夫か」
「平気」
建留は脱力したように千雪の傍に横たわると、深く息をついた。
「寒くない?」
「うん」
「じゃあ、しばらくこのままで」
チョコレート色のバスローブをふたりの躰にかけて、建留は千雪の左手を取った。親指で撫でるようにして薬指のリングに触れると、横向きのまま頭をベッドにつけて千雪の躰に腕をまわした。
「千雪が合格してよかった。そうじゃなかったら、せっかくの計画も台無しだった」
そう云うも、安堵しているのではなく、ただ単に建留はおもしろがっている。
「結婚式も指輪も……思ってなかった。まえから考えてた?」
「ああ。牧師さんが云ってた、けじめ、みたいなものだ。披露宴は千雪にはプレッシャーになる。受験があるし、終わってからいろんなことを知って、そのあとでも披露は充分だ。けど、結婚式は違う。ちゃんと形は残しておくべきだと思った」
「ありがとう。今日はいろんなことあって……何日分もすごした感じ」
建留の躰が小さく揺れて笑っているのがわかる。
「そうだな」
相づちと一緒に、ふいにウエスト辺りをつつかれた。それが建留の手でないことを千雪は察する。
「建留!」
千雪は悲鳴をあげるように小さく叫んだ。
「無条件反射だ。千雪は慣れるしかない」
建留はくぐもった声で可笑しそうに云った。その実、直後に聞こえたため息の気配は、建留自身も戸惑っているみたいに感じて千雪は安心させられる。
今日は建留を感じるので精いっぱいでも、建留が憶えてほしいと云った『いつか知る』瞬間は、そう遠くないうちにやってくる気がした。