ミスターパーフェクトは恋に無力

第1部 PrimDoll
第4章 Bad sweet

1.欠点

 別の部屋から借りてきた小さな丸テーブルに、フルーツとケーキ、そして、自家製のチップスが並べられ、最後にジュースが置かれた。
「浅木さん、ありがとう」
「どういたしまして。ささやかなお祝いのしるしです。何かありましたらお呼びくださいね。足りなかった、とか」
 千雪のお礼を受けて浅木がおどけると――
「充分ですよ。逆に、これ以上食べちゃったら太りそうだから、おかわりって云ったらないって云ってほしいかも。いただきます」
 向かいで椅子に座った栞里がわくわくした声で応じた。
 浅木はにっこりと一礼して千雪の部屋を出ていった。

「お洒落なカフェに来てる気分。雰囲気が違うよね」
 千雪の部屋をぐるりと見回しながら、はじめて加納家に来た栞里は羨(うらや)んだ口調で感想を述べた。
 二月二十六日、千雪の誕生日という午後、外は春の前触れであるかのようにすっきりした青空が広がっている。部屋のなかは、ほぼ南に面した背の高い窓から日差しが注ぎ、空調と相まって心地よい。窓を開ければ身をすくめるほど冷たい風が入ってくるが。
「慣れたけど、わたしのものって感じはまだないかも」
「そうなの? でも、千雪の雰囲気と合ってるよ」
 栞里は顎のラインでそろえたボブスタイルの髪を揺らし、二重の大きな目をさらに丸くして首をかしげた。普段の栞里は、よくいえばきりっとして、悪くいえば気の強さが見える雰囲気だ。性格はさばさばしていて、だからなのか、男子よりは女子に頼られて慕われている。
「ドールハウス?」
「そうそう、そんな感じ。髪と目の色も特殊だし、何があっても千雪はあんまり感情出さないから」
「建留も似たようなこと云う」
 千雪が云うと、栞里は堪えたのに笑い声が漏れてしまったというように含み笑う。

「栞里、なんなの?」
「結局、建留さんはカレシどころか旦那さまになるんだなって思って」
「わたしだってびっくりしてる」
「そうかな? 最初に結婚するって聞いたときもそうだったけど、千雪はやっぱり平然として見えるよ。わたしのほうがびっくりしてたと思うけど。千雪は自己表現下手だし、人によっての感じ方が極端じゃない? 大抵の子は、合わないって敬遠しちゃってるよ。稀(まれ)にわたしみたいなのがいるわけ」
 栞里は云いにくいこともざっくばらんに指摘する。自分でもわかっていることであり、特に千雪は人から避けられて気にするタイプでもない。そんな態度をわがままとか気取っているとか云い掛かりをつけられたこともある。噂でも面と向かってでも、そう云われてなんともないと云えば嘘になる。その反面、くだらなさすぎてツンとしてしまう冷静な、あるいは攻撃的な部分もある。結果、やはり人を遠ざけることのほうが多い。
「“わたしみたいなの”、って?」
「千雪って可愛いじゃない。なんていうの。野生の動物を手懐(てなず)ける快感を味わえるの」
 喜んでいいのか、呆れるべきなのか、栞里の云い分は理解できない。千雪はため息をついて首をかしげた。
「よくわからないよ」
「あたりまえ。こっちの勝手だし。建留さんだってその口だと思う。三者面談で帰るときに一緒になったじゃない? わたしが千雪の立場だったら、重たい鞄なんてさっさと預けちゃうけど、建留さんが『貸して』って云っても千雪はためらってる。結局は預けてたけど、そのときの建留さん、んーなんていうんだろう……忍耐強く手を差し伸べてる感じ。千雪のことわかってるよね、って思った」
 栞里に云われると、たったそれだけのことでも素直になれていなくて、自分にうんざりしなくもない。
「困らせてることがあるっていうのはわかってる」
「べつに困っていないと思うけど」
 おもしろがって云いながら、栞里は膝に置いたバッグを漁(あさ)り始める。そして、四角い箱を取りだした。
「これ、誕生日のお祝い。わたしと色違いのペンケース」
「ありがとう。開けてみる」
 リボンをほどいて長方形の箱を開けると、ライラック色をしたクロコダイル調のペンケースだ。
「レザーは偽物だけど、いい感じでしょ。わたしのはカーマインレッド」
 栞里はバッグから取りだして見せた。
「うん、そっちは栞里らしい。わたしはこっちの色が好き。大人っぽい感じがする。ありがとう」
「でしょ。けっこうまえから準備してたの。千雪の誕生日はちょうど合格発表だし、だから、同じ大学に行けたらって願掛けみたいなもの。よかったよね。ふたりとも合格!」

 結婚すると決まってから進路をはっきりさせると、苦手な数学を受験する必要はなく、なんとか千雪は合格まで漕ぎつけた。千雪は文学部、栞里は商学部と選択は離れていても、そろって慶永大学に行けるのは千雪としても心強い。そういう意味では、ほかの子たちと同じように千雪も栞里を頼っているのだろう。
 ジュースで乾杯をすると、大皿に並ぶ小ぶりのケーキを好きに取り分けた。ひと口頬張った栞里はちょっと仰向いて、美味しいー、と叫ぶ。笑いながら千雪もケーキをつついた。

「入籍はいつ? 合格したんだから、もういつでもいいんでしょ」
「うん。今日」
 千雪が答えると、栞里はびっくり眼になり、口に運びかけていたフォークが途中で止まった。
「……今日、っていつ!?」
「ほんとは午前中の予定だったけど、建留にすぐやらなくちゃいけない仕事が入って、それをすませたら帰ってくるから、それから一緒に出しにいくって」
 栞里は唖然としたかと思うと、考えこんだ面持ちになった。
「学生と違って社会人になると、そういうのもしかたないのかもしれないけど、なんだか手続きっぽい。結婚するんだよ? それに思ってたんだけど。結婚式とか披露宴とかしないって、建留さん、もしくは加納家としては社交上どうなのかって疑問」
 栞里の意見はもっともで、千雪はいまはじめて、婚姻届を出すだけという結婚を疑問に思った。もちろん、結婚式も披露宴もしなければならないことは頭にあったけれど、そうはしないと聞いて、千雪は疑問を持つよりもさきに、畏まらなくていいということに安堵していた。
「わたしはほっとしてる」
 千雪が肩をすくめると、栞里は呆れたように首を振った。
「わたしはドレスとか憧れるけどなぁ。千雪は本当にドールっぽくなって似合いそうだし。でも、ちゃんとふたりで婚姻届出しにいくのっていい感じ。もとからして覚悟を感じるよね」
「覚悟?」
「だって。今日は千雪の誕生日だよ?」
「だから? 合格発表の日だし、お祝い事が一回ですむからってだけだよ。わたしもいちいち、おめでとうって云われるよりもマシ」
「普通、逆じゃない? いちいちお祝いしてもらったほうが断然いい」
「ここはわたしにとって普通じゃないから」
 千雪があっさり切り捨てると、栞里はため息をついたかと思うと首をひねった。

 首をひねりたくなるのは千雪も一緒だ。
 結婚が決まった日から、茅乃は千雪に対してつんけんしなくなった。喜ぶべきことかもしれないが、素直にそう思えない。千雪から話しかけたときに返事をもらうことはあってもそれだけで、茅乃のほうから話題を振ることはない。それがいびつだと思うのは勘繰りすぎだろうか。
 そのうえ、建留の両親の反応もよくわからない。傍観者のように、受け入れる、といった感じだ。
 そんなふうだから、無理やりお祝い事をいくつも押しつけたいとは思わない。むしろ、重なってよかったとほっとしている。

「わたしにとっても、ここはやっぱり別世界って感じがするし、千雪の気持ちがわからなくはないけど。千雪が駅まで迎えにきてくれなかったら入る勇気なかったかも」
「うん。いまだに遠慮した気持ちあって、だから、栞里を今日まで呼べなかったんだよ」
「建留さんと結婚するんだったら、本当に千雪の家になっちゃうんだし、そしたら遠慮なくできるね。慣れなくちゃ」
 慣れた自分をまったく想像できないのが現状だが、千雪は肩をすくめて栞里の進言をかわした。そういう不安を口にしても、千雪の気の持ち様であり、だれにもどうしようもない。
「話、戻すけど」
 栞里はそう云いつつ、喋るよりさきにポテトのチップスを摘んで口に入れた。
「誕生日って変えられないじゃない。そういう、一生忘れられない日に結婚て、調子のいい男か、覚悟をした男か、二つに一つじゃない?」
「……そう云われればそうかも」
「千雪、悩んでないよね」
 悪いことをしているみたいに栞里は千雪を指差した。
「何を?」
 話が繋がっているのか、疑いながら千雪は問い返した。
「建留さんはどっちだろうって考えることすらしてないってこと。千雪、建留さんの欠点てわかってる?」

 栞里は千雪が思ったこともない疑問をぶつけてきた。
 建留の欠点はなんだろう。
 栞里はわかっているふうに云ったが、千雪はすぐには思いつかず、しばし考えこんだ。
 建留はなんでも着実にこなしている感じがするし、シニカルな笑い方はするけれど、人をばかにする感じではなく、しょうがないなといった、例えば仁愛に見える。得てして警戒心を解かせてしまうという、それは欠点どころか、人格として建留の最大のメリットだ。
 ――と思えば、さっき栞里が千雪について『野生の動物』と云ったけれど、だいたいにおいて人に寄りつくことをしない自分が、好きという気持ちまで持てたことも、建留の人徳かもしれない。

「これっていうの、ない気がするけど。お喋りじゃないところ?」
 伏せていた目を上げて千雪が考え考え云うと、「お喋りじゃないのは千雪も同じ」と、栞里はくすっと笑うと――
「とどのつまり、ないのが欠点、じゃない? ってわたしは思うんだけど」
 その判断を千雪にゆだねるように栞里は首をかしげてみせた。
「……長所じゃなくて?」
「短所と長所は相対してるよ」
「それが欠点になるとして、何か気をつけなくちゃいけない?」
「よくわかんないけど、いろんなこと考えてそうだし、そのぶん、よけいなこと云わなさそうだし、だから……なんていうんだろう……とにかく千雪が訳わかんなくなりそう」
「栞里の云ってることもわからないよ」
「じゃあ……意思疎通は大事ってこと、でどう?」
 いいかげんな回答だ。
「それって、家族とか友だちとか、だれとでも云えることだと思うけど」
 千雪が指摘すると、栞里は肩をそびやかして惚けた。
「裏を返せば、千雪は贅沢な旦那さまをゲットしたってこと」
「わたしが捕まえたんじゃないよ」
「もちろん、結婚てフィフティフィフティだと思うけど、そこは置いといて。もう、ほんと千雪は素直じゃないよね。そういうとこ、さっき云ったみたいに、千雪の可愛いところじゃあるんだけど、やっぱりさっき云ったみたいに、欠点にもなるんだからたまには素直になったほうがいいよ。それが千雪の気をつけるところ」
 栞里は、巡ったすえに千雪の問いに答えられたことに満足していそうな様子でアドバイスをし終えた。

「親戚の仲村さんが建留のこと、ミスターパーフェクトだって云ってた」
「ん! それ、ぴったり表現!」
 ケーキを食べた栞里は、口をもごもごさせながら何度もうなずいた。無理やりといった感じで呑みこむと、「仲村さんていくつ?」と唐突な質問をした。
「建留と同じだけど」
 何が興味を引いたのだろうと思っていると――
「カノジョいる?」
「……何?」
「美味しそう、と思って」
 突飛な発言の連発の果て、千雪はその意味を把握するまでに一瞬、考えこんだ。
「瑠依さんの話だけど、仲村さんは、カノジョはいなくてもトモダチは途切れずにいるらしいよ」
 千雪でさえ意味がわかるのだから、栞里がわからないはずはない。案の定、栞里はがっかりした様でため息をついた。
「旭人さんもカッコいいし、親戚ならって期待したんだけど。千雪がこんなに早く結婚するとは思わなかったし――わたしはそこまでは考えてないけど、なんとなくカレシくらいほしいって感じ」
「旭人くんはだめなの?」
「ピンとこないかも。もしそうなったとしても、千雪の立場としては微妙じゃない? うまくいく間はいいけど壊れたら気まずくなりそう」
「付き合うまえから――」
 云いかけていると、めずらしく部屋のドアがノックされた。
 千雪はいったん口を閉じたあと、「はい」と応じた。ドアが開いて入ってきたのは建留だった。

「あ、こんにちは! お邪魔してます」
 千雪よりさきに栞里が声をかけながら立ちあがって、建留にちらりと頭を下げた。
「こんにちは。合格おめでとう」
「ありがとうございます!」
「これ、おれからのお祝いでドキュメントケース。千雪と色違いでおそろいだ」
 建留は持っていた紙袋から、平べったくて四角いものを取りだすと、「色はどっちかわからないけど」と栞里に差しだした。
「え! わたし、もらっていいんですか」
 と云いつつ、栞里はうれしそうに顔を綻(ほころ)ばせてすでに受けとっている。
「プレゼントする権利はだれにでもある。そうしたくてやってることだから遠慮なく受けとればいい」
「そうですよね。カレができたときの参考にしちゃおう」
「参考になるかな」
「そうしたくなるかならないかって、愛情度に比例していそうだから」
「なるほど。おれも参考になった」
 建留はちらりと千雪を見て云い、それを見ていた栞里もまた、したり顔で千雪を見る。それからふたりは顔を見合わせて笑った。
「ありがとうございます。うれしい!」
 建留は栞里のお礼にうなずくと、千雪にも手渡した。
「ありがとう」
 建留はわずかに首をひねって応えた。栞里と段違いに落ち着いたお礼を受けて、不満を持つのではなく、おもしろがっているのがわかる。
「あ、わたし、帰るね。これから――」
「追いだすつもりはない。栞里ちゃんのほうが先約だ」
「でも」
「暗くなったら帰るだろう? それで充分だ。おれもちょっと片づけることがあるから」
 建留は可笑しそうにしたあと、「栞里ちゃんが帰るときは声かけてくれ」と千雪に云うと踵を返した。
「いいよね」
 ドアが閉まったとたん、栞里がつぶやいた。
「なんのこと?」
「建留さん、気取ってそうなのに、話してみると気軽にできるから。遠慮なくなっちゃう。でも、旭人さんはその逆かな。話せば話すほど遠くなっていく感じがする」

 栞里は千雪が普段から感じていることを的確に表した。
 旭人だけでなく瑠依もそうだ。結婚について、旭人は『おめでとう』と云ってくれたものの、祝福というよりはまるで勝者への祝賀といったふうで、瑠依もまたお祝いの言葉をくれたけれど、何か別のことを気にしながら云っているようで儀礼的に聞こえた。
 結婚することにいまだに戸惑う千雪がばかに見えるくらい、周囲はあっさりしているのが現状だ。だから、数時間後には加納千雪になるという実感がよけいに湧かないでいた。
 栞里はその後、やはり気を遣ったのだろう、四時すぎという早めのうちに帰ると云いだした。

NEXTBACKDOOR