ONLY ONE〜できること〜 #40

第5章 ONLY ONE〜できること〜  5.PRAYER-祈り- act2


 命日、夜のレクイエムライヴを控えたなか、FATEによる“ONLY ONE”の配信情報は(またた)く間にネット上で広がった。
 唯子を筆頭に事務所が手を尽くした甲斐があって、多少の回線パニックは避けられなかったものの、大きなトラブルはいまのところ回避されている。
 どちらかというと相乗効果で、ユーマの“ONLY ONE”を求めて買いに走った人のほうが混乱していた。


 身内での法要は葬儀のあった寺院で執り行われた。
 前日に美佳から連絡を受け、あの日以来、はじめて両親と対面した。
「このまえは……ごめんね。云いたい放題で……」
 おずおずと昂月が云いだすと、芳樹と美佳はぎこちなくはあったが少しほっとした表情を浮かべた。
「いや……おまえたちが手のかからないのをいいことに、私たちは甘えていたんだろう」
「昂月、伊東さんから連絡があったの。帰っては……来ないのね?」
「うん……結局、あたしも甘えてる。だから、独りでやっていきたいと思ったの。当分は祐真兄の遺産に頼っちゃうけど……」
「たまには……帰って来てくれる?」
「……うん」
「ありがとう」
 そう云って昂月を抱きしめ美佳の腕は、その感触を覚えているほど、小さい頃はあたりまえのようにそうされていたんだと知った。幼かった昂月自身の、もっと、という欲がわがままになって、美佳との間に壁を作ったのかもしれない。
 いつのまにか失くした、美佳に対する素直さをいつか取り戻せたら。
 そう思った。


 昂月は夕方近くになって特設された屋外のライヴ会場へ行った。
 昨日は雨が降っただけに心配されていた天気も問題なく、空はライヴの成功を歓迎している。
 高弥たちは午前中から会場に詰めてスタッフとともに準備に余念がない。
 予約で整理券を手に入れた人たちがすでに並んでいるなかを横切り、警備員にバックステージパスを見せて客席側から会場に入った。

 足を踏み入れたとたん、ステージのバックに飾られた祐真の大きな写真が否応もなく目に入る。
 胸の痛みはとれず、やっぱり欲張りな自分が顔を出し、様々な感情が交差して、昂月はそれ以上に進めず立ち尽くした。
「昂月」
 どれくらいそうしていたのか、気づくと高弥がすぐ傍に立っていた。
 高弥に向いた昂月の顔からは微笑みが消え、混沌とした畏れがあった。
 それでも一年前のように無理やりに笑っているよりはいい。
「つらいよ」
「わかってる。急がなくていいんだ。おれだってまだ整理がついたわけじゃない。祐真を失った虚しさは苦しい。けど昂月がいるから強くいられる。おれは昂月に守られてるんだ」
 昂月の表情が少し緩む。
 守られていることを自覚すると同時に守り抜きたいという気持ちが、高弥の足もとにたしかな地を踏んだ感触をもたらす。
「ここに来れたこと自体、少し前進してるよ」
「……うん」
「来て」
 高弥は昂月の手を取ってステージのほうへと導いた。
 裏口から階段を上ってステージに上がると、そこからは三千人ほどの客席が並ぶ最後尾まで見渡すことができた。
「すごい」
 思わず漏らした単純明快な感想に高弥が笑う。
「こんなところでよく歌えるね。順調に行きそう?」
「もちろん、そうするよ」
 高弥は請け合った。
 ステージの後方では、有志のもとに集まったアーティストがそれぞれ調整を重ねていた。
「良くんは?」
「授業終わらせてから来るそうだ」
 ふたりは戒斗たちのところへ向かった。
「昂月ちゃん、テレビ見た?」
「法要で暇がなくて、今日はまだ全然……?」
 唯子は半分心配そうに、あとの半分はおもしろそうにして昂月を見ている。
「明日発売の週刊誌、出るわよ。覚悟しておきなさい。今日の取材陣も予想を超えてる」
 高弥を見上げると、昂月にうなずき返した。
「“ONLY ONE”は思ったとおり、ダブルで反響いいし、憶測も飛び交ってるから」
「憶測……って?」
 怪訝に問い返すと、航がしてやったりと笑う。
「航にやられた」
 高弥が渋い顔で云った。
「どうしたの?」
「“ONLY ONE”、高弥がチェックしたあとに“セリフ”追加したんだ」
 航がにやついて口を挟んだ。
 携帯にダウンロードはしたものの、ゆっくり聴く時間がなかった昂月は首をかしげた。
(こう)くん?」
「マイクって高性能なんだぜ。高弥の告白、拾ってやった」
 高弥が身をかがめて昂月の耳もとに、愛してる、と囁いた。思い至った昂月は目を丸くして高弥を見つめた。
「どうするの?」
「認めるよ。ヘンに云い訳したり隠したりするより、公言したほうが追っ手は少ないだろ」
「ファンの悲鳴が聞こえそう。事務所の悲鳴もね」
 唯子がからかうと、高弥は取るに足りないことと肩をそびやかした。
「不安?」
「……少し。でも大丈夫」
 そう返事した昂月を見下ろすと、高弥が手を上げて頬を撫でた。
 その時、昂月の携帯が音を立てる。非通知の着信だった。

「もしもし?」
『……昂月さん?』
 その声を聴いたのはたった一度のことなのに、一年経ったいまも忘れることのできない声だった。
 声を聴いた瞬間、表情が止まった昂月を高弥は案じるように窺う。
「……待ってたの。“ONLY ONE”はあなたが……?」
 昂月が訴えるように高弥を見上げると察したようで、唯子たちに手を上げて下がらせた。
『……はい。祐真の遺言です。一年経ったら昂月さんも受け入れてくれるかもしれないって……あたし……迷いました。祐真がどう解決するつもりだったのかはわかりません。ただ『妹』という言葉は……もし昂月さんを守る人がいなかったら……だから消したほうがいいと思って……もとのMDは真貴さん宛てに送りました』
「ありがとう、祐真兄のこと……真貴さんから聞いたの。祐真兄を幸せにしてくれてありがとう」
『違います。そうしてもらったのは……あたしのほう……もう一つの……FATEの“ONLY ONE”を聴きました。あれは…………いま……幸せですか……?』
「はい」
『よかった。祐真が昂月さんの幸せを見届けてほしいって……約束したんです。いろいろ考えました。あたしが昂月さんの立場だったら……って。もしかしたら……昂月さんが祐真の言葉を聴き取れなかったんじゃないかって……誤解してるんじゃないかって思った』
「誤解?」
『はい。昂月さんへの最後の言葉を。あたし、祐真の云った言葉は全部覚えてます』

 ――おれを愛した昂月の心は連れて行くけど、おれが愛したことを、愛した昂月を忘れないで。

 祐真兄……。
 昂月の瞳から涙が溢れだす。
 忘れないで。
 いま、その言葉の真の意味がわかった気がした。
 後悔しないで。

『祐真は自分に縛られないで自由に……昂月さんが何より幸せになれるようにって望んだんです。だからずっと幸せでいてください』
「……あなたも」
『あたしは……』
「あたし、ずっと待ってる。祐真兄もそう願ってるはずだから。祐真兄のかわりに、幸せですっていうあなたからの報告を待ってる。あたしもあなたの立場だったらって……あなたの気持ち……少しはわかるから……いまは無理でも、いつかそうなれるように」
『ありがとう……でも、期待しないでください。じゃあ……』
 電話が途絶えた。

 高弥の腕がつかの間、昂月を強く包んで離れた。昂月の顔を覗き込むと、高弥は手でその涙を拭った。
「大丈夫か?」
「うん……高弥の手……ハンカチの役目ばっかりさせてる気がする」
「抱きしめる口実ができるからいいんだ」
 昂月の顔にここに来てはじめての笑みが零れた。
 高弥は広がったくちびるの端に素早くくちづけた。
「高弥!」
「だれも見てない」
 そんなはずないとわかっていて断言した高弥は、少年のように悪戯(いたずら)っぽい目をしていた。


 太陽と月が光の役目をバトンタッチしかけた頃にはじまったレクイエムライヴは、ステージと客席が一体となって祐真を(しの)んだ。
 昂月はステージ裏で唯子と実那都、そして叶多とともに進行を見守った。
 高弥の歌う“Rising Moon”が最後を知らせ、音が止むと同時に場内の光がすべて消え、空に輝く月だけが辺りを照らした。
 高弥がメッセージを送る。
「祐真が教えてくれたことを覚えていてほしい。嫌なことがあったら苦しめばいい。行き詰ったら悩めばいい。歌えなくなった祐真が乗り越えてまた歌をはじめたように、ただ、そのさきになんらかの答えがあることを忘れないでほしい。また一年後に、祐真を、そして祐真と、語り合えることを願っている。ラストソングは祐真から。RisingMoon に捧げる歌、“ONLY ONE”を」
 一筋のスポットライトがユーマの大きな遺影を照らし、曲が流れはじめた。
 ステージから降りて、高弥が昂月のところへとやってくる。
 あの少女と話せたことで、昂月は欲張りな自分への拘りが和らいだ気がした。
 真の腕の中で聴いた祐真の“ONLY ONE”が素直に心に入ってきて、また少し昂月の痛みが安らいだ。


 ライヴのあとは高弥たちとともに祐真が眠る地へと向かった。
 ファンが来てくれたに違いなく、法要のときよりさらに花束で埋め尽くされ、外灯の薄明かりのなか、華やかに見える。
 高弥たちがそれぞれに持った缶ビールを開けて墓石の前に置いた。

「祐真、おれらの音、どうだった。届いたか?」
「祐真、おまえの歌は最高だ。もっと聴かせてくれよ」
「おまえが遺したもの、おれらが守ってやる。祐真、ちゃんと見届けろよ」
「祐真、あたし、マネージャー復活したのよ」
「ここに祐真がいればまえのままなんですよ」
「ガキの頃みたいにバカ騒ぎやりてぇよ、祐真っ」

 それぞれが語りかけると、だれもが涙を堪えきれなかった。

 全員で乾杯したあと、座り込んでエピソードを語っているうちに笑みが戻っていく。
 一時間くらいそうしていただろうか、戒斗が立ちあがったのを機にだれもがそれに(なら)った。
「昂月、大丈夫か?」
 ほとんど泣きっ放しだった昂月を気遣って良哉が声をかけた。
「大丈夫。一年分、泣いてるだけ」
「そうだな」
 良哉は笑って云うと、昂月の躰をくるりと回して高弥に向き直らせた。
「高弥、祐真からだ。妹をやるよ」
 そう云って、良哉が昂月の背を押した。高弥が前のめりになった昂月を受け止める。
「祐真に報告してやれ」
「ああ」
 高弥の返事に良哉がうなずく。
「じゃあ、祐真、またな」
 戒斗は宙に向かってそう声をかけると、昂月と高弥を残し、みんなを引き連れて帰っていった。
 高弥が昂月を見下ろして頬を両手で包む。
「目、また腫れそうだな」
「不細工になってる?」
「キスしたい」
「ここ、神聖な地だよ?」
 昂月の瞳が可笑しそうに輝く。
「だからこそ、だろ?」
 高弥はこの上ないほどの真剣な眼差しで昂月を見つめた。
「ここで誓うよ、祐真に」
「……うん」
 昂月も真剣に応じると、高弥は昂月を腕の中に引き寄せた。
「祐真、おまえとした約束。“ONLY ONE”を……」


【ONLY ONE 〜できること〜】

  無音に(なび)く風の(かげ)
  (そら)から降る(あめ)の音がこの鼓動を突き刺し
  旋律を奏でて篤く絡んでいく

  廻り逢ったのはふたりの魂
  そこには 僕のために君がいて
  ここには 君のために僕がいる

  君が触れてきたもの 幾億の想いを捨てないで
  すべては いまを映しだし たどりついた この(PLACE)

  溢れることを畏れずに 傷つけばいい
  泣いていいから 隠さないで伝えて
  流す涙ごと 抱きしめていたい

  ふたりがいま 並んで歩いていく道の未来(さき)
  重なる鼓動がすれ違っても 降り注ぐ涙が繋ぐ手を引き裂いても
  廻り触れた魂を 何度でも繋ぎ止める

  君であることに理由なんか探しだせない
  ただひたすらに君を(ねが)
  それが叶うのなら

  僕にできる ONLY ONE
  ()をさえぎる雲を追う 愛という誓い溢れた風になる

  君にできる ONLY ONE
  Feel and Answer my True Eyes.

  偽りのない眼差しに気づいて そして応えて


 腕の中で聴いた“ONLY ONE”は鼓動とともに深く昂月の中に響き廻った。世の果てにやっと安穏(あんのん)とした居場所を見つけたような感覚が溢れる。
 高弥が腕を解いて再び昂月の頬に触れ、篤い瞳を向ける。

「……祐真、OnlyOne はおまえが云いだすまえからおれの中にあった。おまえが何度も語る女の子に恋したんだ。はじめて会わせてくれた瞬間に()が離せなくなった。そしてあの日、昂月が腕の中に飛び込んできたときから、欲しくて堪らなくなった。おまえがいても……おれはいつか昂月を奪ったかもしれない。いまは……おまえのまえで堂々とそうしたかったって思う。祐真、おまえが大事にした最愛の妹を、おれ、もらうよ。昴月を愛してるから……それだけはだれにも、おまえにも負けない」

 昂月の瞳が潤んでいく。

「祐真兄、ありがとう……高弥を連れて来てくれて」

 高弥が笑みを見せる。
 昂月は両手を上げてそのくちびるにそっと触れた。
 愛してる。
 触れた指先にくちびるが囁いた。

 風が煌めく雫を攫う。

 いまずっと感じている高弥とふたりであることの、泣き叫びたいほどの溢れる気持ち。
 これに名前をつけるのなら、幸せ。たぶん。

 (さち)を願う、愛しい兄(あのひと)に、どうかこの幸せが届けられますように。

― The story will be continued in ' 終章 いま幸せですか '. ―

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