ONLY ONE〜できること〜 #24
第4章 迷宮の行方 1.パンドーラーの壷 act1
「……祐真がなんに拘っていたのか、ずっとわからなかった。それが……」
高弥は何かを否定するように一度だけ首を振って、再び絶句した。それほどの事実に違いなかった。
「……祐真兄のこと……聞いておきたい?」
「……話してくれるなら……聞きたい」
昂月はうなずいて高弥から視線を外した。
「祐真兄が生まれて四日目に、祐真兄の本当のお父さんは亡くなったの。建設会社に勤めていて、仕事中の事故だったって。そのせいでお母さんは錯乱して、精神的に子育てができる状態になくて……お母さんは両親を早くに亡くしていたし、祐真兄のお父さんは結婚を反対されて勘当されてた。実家は資産家らしくて、お母さんと結婚しなければ事業を継いでたはずなのに、結婚しなければするはずのなかった仕事で命を落とした。だから、祐真兄を預かるどころかお母さんの子を育てる気はないって拒否された。祐真兄をどこにも預けることができなくて。かといって、施設なんて……病院も元気な赤ちゃんをいつまでも入院させておけない。そんな状況で心療内科の担当医だったお父さんが、子供ができなかった自分の弟夫婦に祐真兄を預けたの。お母さんが完全に立ち直るまで二年くらいかかって……祐真兄は叔父さんたちを親だって信じていたから、引き離せなかったんだと思う。でも――」
そのさきはうまく言葉を紡げなかった。
運命の歯車は複雑にかみ合って祐真を翻弄した。昂月はそれを解くどころか、さらに絡み合わせてしまった。
「もういい。だいたいわかった」
高弥はおよその経緯を理解し、納得したようだった。
「うん…………ねぇ……高弥ならどうした?」
祐真兄と同じようにあたしを……棄てた?
昂月は高弥を覗き込むように首をかしげ、答えられないと知りつつもあえて訊ねた。
すると、高弥は難題を問う昂月を責めるように見返した。
「……いま、昂月が欲しい答えを云ったとしても信用しないだろ?」
「高弥の答えはいつも的確だね」
昂月がクスッと笑うと、高弥は顔をしかめた。
そのとき、不意に昂月の携帯が鳴った。
『昂月お嬢さま、真貴です』
通話ボタンを押すと、めずらしく慌てた様子の真貴の声が急くように名乗った。
「真貴さん? どうしたんですか?」
『あのお嬢さまから電話が入っているんです。祐真さまと最後にいた……』
「……あの少女が?」
ずっと待っていた。なんのために捜そうとするのか、その目的さえ自分でもよくわからないまま、もう会うこともないのだろうと諦めていた。
「真貴さん、あたしに電話をいれるように云って! 携帯番号を伝えてください」
真貴が電話の向こうで話している声がわずかに届いた。
お願い――祐真兄の心が知りたいの。
そうだ。あたしは祐真兄の最後の真実が知りたかった。祐真兄の心が安らかに終わったのかをずっと知りたかったんだ――。
携帯を握り締めて、昂月は祈るように目を閉じた。
『昂月お嬢さま、お伝えしましたが期待しないでほしい、と……』
やがて真貴が申し訳なさそうな声で返事した。
やるせない思いに昂月は深くうつむく。
「……真貴さん、ありがとう。それで、あの少女はどうして……?」
『遺品の整理をしてほしいそうです』
「どういうことなんですか?」
『私にもわかりません。ただ、もう一つ、昂月お嬢さまへの伝言を預かりました』
「はい……?」
ためらいつつ告げる真貴に、昂月は縋るように訊ねた。
『いま、幸せですか――と』
「……幸せ……ですか――――?」
どうして?
昂月には責められているように聞こえた。
幸せって何? もう幸せなんて求めない。幸せは壊れるものだから……壊されるくらいなら自分で壊したほうがいい。
「どうした?」
真貴からの電話を切るなり、ぼんやりとした昂月に高弥が問いかけると、彼女はかすかに首を横に振った。
「真貴さんて?」
「祐真兄とあたしがお世話になった人。いろんなことから祐真兄を守ってくれた人なの」
真貴の配慮がなければ、祐真の死はもっとスキャンダラスに報じられているはずだった。
「あの子っていうのは?」
「わからない……わかってるのは、祐真兄の最後を知ってる子ってことだけ。祐真兄が具合悪いって電話をくれたのが彼女なの。あの日、気づいたときはいなくなってて……」
「祐真が……女を連れてたって……ことか……?」
愕然とつぶやくと、昂月は目を逸らしたまま笑った。
高弥にはその笑みの裏に二重に傷ついた昂月が見えた。
祐真……ここまで昂月が傷つく必要があるのか? 昂月がこうなることを考えなかったのか? 祐真、おまえは何を決断した?
そして、高弥は自分に問う。
おれならどうした?
「高弥、いままで付き合ってくれたついでに、もう少し嫌なことに付き合ってもらっていい?」
自分がとる行動を、祐真はけっして望まないだろう。けれど、昂月はらくにさせておくつもりも、らくになるつもりもない。
高弥は気に入らないとばかりに不機嫌な表情になった。
「最後みたいな云い方だな」
「本当のあたしを見てほしいだけ。いい?」
「何度でも云う。仕向けたのはおれだろ? どんなことでも昂月に付き合う覚悟はある」
昂月は高弥が運転する車で家に戻った。
「あとでまた送ってもらっていい?」
ダイニングキッチンのテーブルに着いた高弥へ、昂月はコーラを渡した。
高弥は憂慮するように目を細めた。
「帰ってきたんじゃないのか?」
「……うん。着替えとか載せてたいんだけど?」
部屋の片隅に用意していた二つのバッグを指差すと、高弥はかすかにうなずいて返事に変えた。
昂月がいまどこにいるのかがわかるだけでもよしとした。
昂月は夕食の準備をしながら、対面式キッチンのカウンター越しに高弥と話した。
いままで封印していたぶん、高弥が驚くほど昂月は祐真のことを多く語った。
「祐真兄はなんのために生まれてきたんだろ……。祐真兄は生まれてよかったって、本音で一度でも感じたことがあったのかなって思うの。生きるってバカみたい」
「そんなことを笑いながら云うなよ」
むっつりと高弥が叱責した。
「だからって、泣いても意味ないから」
「祐真の最後を教えてくれないか?」
「あたしはほんとに最後しか知らないの。はっきりしてるのは、答えをくれるはずだった日に祐真兄は逝ってしまったってことだけ。行ったときにはもう意識は……あたしは祐真兄を疑ったの、もしかしたら……って。あたしが行くとわかっててそんなことするわけないのに。躰は温かかったのに……人の死ってなんて呆気ないんだろう」
痛みを隠しているつもりが、逆に堪えようのない悲しみを曝しているとも知らずに昂月は淡々と語る。
「どこで?」
「……英国ホテル」
「……いま、そこに?」
昂月はうなずいた。ここまで話したいま、もう高弥には隠す必要ない。
「いまになってわかった。祐真兄とのことは全部が嘘のうえで成り立ってた。隠して、逃げることばかり。唯子さんと祐真兄が付き合ったのだって隠すためだったし、英国ホテルも逃げ場所だった。さっきの電話の真貴さんは支配人なの。大まかな事情だけ知って場所を提供してくれた。お母さんたちは祐真兄が家を出てから、偶々そこにいたときに死んだって思ってるけど……云えなかった。あたし独りでは批難に耐え切れる自信がなかった。祐真兄は答えを出そうとしたのに、あたしはいまだに逃げてる」
でもそれも今夜で終わりにする。全部を壊したい。もう自由になりたい。
昂月はふと包丁を止めて、手で目を押さえた。
「どうした?」
高弥は立ちあがってカウンターの前で訊ねた。
「玉ねぎ」
そう云いつつ、昂月は後ろからティッシュを取って目に当てた。
「なるべくこうならないように冷蔵庫で冷やしておいてって云うけど、お母さんはいっつも忘れてる」
「はは、小姑みたいだな」
「笑い事じゃない。ほんとに痛いんだから」
昂月はうつむき、目を閉じて痛みを凌いだ。
いっそのこと泣いてくれたら。
その姿を見て、高弥はそう思わずにはいられない。
「昂月……泣きたかったら泣いたほうがいい」
冗談では返せないほどの響きが高弥の声から聴き取れた。
「そうだね……泣こうと思えばいくらだって泣けるかもしれない。でも泣いたからって何も変わらないの。同情はもらえても。そんなもの必要ない」
「何かを変えるために泣くんじゃないだろ? 吹っきるためでもない。自分に素直になって在るものを認めるためだろ。そうじゃなきゃ、次へ進めない」
昂月は拒否を表すように、丸めたティッシュをゴミ箱に落とした。
「いまは無理。泣く理由がないから」
「そうじゃない」
「そうなの」
高弥はやりきれないように顔を背けた。
「高弥、あたし……今日はお父さんとお母さんに話そうと思ってる」
高弥は昂月に視線を戻して真意を確かめる。そこに決心が見えた。
「わかった」
「そこまで高弥を付き合わせていいのか迷ってる。でも、あたしが高弥のことを信頼してるって信じててほしいから。高弥に後悔してほしくない。これまでのこと、ほんとにうれしかったんだってことを疑わないでほしいの」
「そのまま、その言葉を返すよ」
昂月は素直に偽りのない笑みを見せる。
突きあげてくるものを堪えるように、高弥は手を握り締めた。
昂月から帰宅の連絡を受けていた両親は、揃っていつもより早めに帰ってきた。カレーピラフをテーブルに並べていた昂月を見て、二人ともほっとしたように笑んだ。
美佳は結婚して以来、芳樹が勤めている病院で事務職についている。芳樹の美佳に対する愛情は傍から見ても明らかであり、入る隙がない。昂月さえも。
食事の間中、会話に引き込もうとする両親に適当に相槌をうちながら、冷めた感情で昂月は向かいに座った二人を眺めた。
ねぇ、なんで笑ってられるの? 何事もなかったみたいに。祐真兄がいなかったみたいに。
貴女の弱さのために貴女の産んだ子供がどれだけ苦しんだのか、貴女は知ってるの? 貴女はそれでラクになれたの?
あたしは認めない。貴女が母親だなんて絶対に認めない。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
美佳が食の進まない昂月に気づいて心配そうに声をかけた。
こんなふうに昂月のことを気にするようになったのは、すべて祐真がいなくなってからのことだ。
今更、だ。
昂月は口を歪めて笑みともつかない笑みを浮かべた。
「鬱陶しい」