ONLY ONE〜できること〜 #9

第2章 PLACE  1.重篤の季節 act2

   

 昂月がその言葉を発したとたん、彼女と高弥の空間だけ音が消えた。
 高弥は眉宇(びう)をひそめる。
「……妹?」
 高弥は訊き(とが)めた。
「そう。あたしにとって祐真兄はお兄ちゃんだよ?」
 昂月は責められていることに気づかないふりをしてからかうように笑っている。
 口にした約束がかえって事を複雑にしていることを高弥は知った。
「……なんで……」
 思わず口に出た疑問詞だったが最後まで言葉にしなかった。いまそうするには時間が足りない。
 高弥は顔をかすかに歪め、やりきれないように目を逸らした。
 それを見た昂月の口もとから笑みが消え、瞳は見える一切のものを通り越す。
 その彼方に映るのは群青(あお)い空。まもなく梅雨は明け、あの群青(あお)い空が廻ってくる。

「どうかしたのか?」
 久しぶりにこういう場に顔を出した良哉が高弥の脇に立って昂月を見下ろした。
 FATEは表立つ四人と専属の作曲者一人という、ほかとは少し違った形態の五人で活動している。バンドにありがちな内紛もなく――それは一人一人が自信を持っているからだろう、それぞれが仲間を大切にしているのが伝わってくる。歌唱力も楽器のテクニックもさることながら、その楽曲は人の心を捕らえる。
 五年前のFATE結成時からその大部分の作曲を手掛けてきた良哉は、祐真の死から活動を全休止したまま、いまはもう一つの顔、高校の教師という仕事に専念していた。
「ううん。もうすぐ帰るんだけどそのときは声をかけていくね」
 高弥は身を(ひるがえ)して戻っていく昂月の背を追った。
 なぜ祐真に限らず、昂月までもが認めようとしない?

「高弥、おまえはどこまで覚悟してる?」
 高弥は良哉に目を移した。
「……なんの話だ?」

「最後に祐真に会ったとき、祐真はおれに訊いたんだ。おまえがどんな奴かって……祐真はずっと自由になりたがってた。あいつが云うのは思うとおりに生きたいってことだ。そうすりゃいいのに…………あいつは結局、いちばん疑問に思っていた世間とか常識とかに囚われすぎた。祐真を縛っていたのはずっと祐真自身だ。だから余計に自分を身動きとれなくさせていた。高弥……おまえならどうしたって訊きたいことがある」

「なんだよ」
「おれの質問もその答えもおまえが見つけるべきだ」
 高弥は顔をしかめて良哉に不満を向ける。
「良哉、おまえが云うことを半分でも理解できる奴がいるのかって思うことがある」
 良哉はクッと可笑しそうに笑った。

「これでも教師だ。若干(じゃっかん)二年目で生意気だと云われようがなんだろうが、おれが関わったからには最後の一人まで落第者は出さない主義。合格点取るまでいくらだって課題を与えてやる。それを(ひね)くれてるっていう奴もいるけどな」

「おれの合格ラインは高そうだな」
「おまえには合格点じゃ不足だ。答えのさきまで要求する。優秀な生徒だし、期待してるよ」
「はっ。上等だ」
 口の片端を上げて笑みを見せ、高弥は良哉に応じた。
 良哉は昂月がいるほうへと視線を向ける。
 高弥もそれを追った。
「高弥……昂月のこと……祐真はおまえに譲るつもりだったんじゃないかと思ってる」
「……どういうことだ? おまえは何を知ってる?」
「あまり驚かないんだな。少なくともある程度は状況を知って……覚悟があるわけだ」
「答えになってない」
「おれは知ってるんじゃない。辻褄(つじつま)を合わせているだけだ。航にもおまえのことを訊いたらしい」
「……祐真は……気づいてたのか……?」
 高弥は自分に問うように、ようやく聞き取れるくらいの声でつぶやいた。
 良哉が高弥に視線を戻す。
「なんだ?」
「いや……」
「高弥、おまえが半端な気持ちで拘っているとは思っていない。けどあえて忠告しておく。よりによってこの時期に昂月を置いていくことがかなりのリスクを含んでること、覚悟しとけよ」
「わかってる」


 零時を過ぎて店員から依頼していたタクシーの到着を知らされると、昂月と慧は席を立った。
 お酒のペースは少し落ちたものの、パーティのお開きはまだ程遠い様子だ。なかにはテーブルに伏せって眠った人もいるが、大方は陽気に騒いでいる。
 女性陣と挨拶をすませて抜けだしたところへ、すかさず高弥が来た。
「帰る?」
「うん」
 二人とも何事もなかったように言葉を交わした。
 何事かあったのかと訊かれて答えられるわけでもない。
 風も流れもない水面に石を投げただけのこと。その石は沈んだ。
 店を出るとまだ雨が降っていて、慧は道路脇に待機していたタクシーに急いで乗り込んだ。
「昂月」
 続いて乗ろうとした昂月を高弥が引き止めた。
「これ、持ってて」
 手渡されたのは鍵だった。
 ドア先の軒下で昂月は問うように高弥を見上げる。
「出発するまでいろいろ打ち合わせとかあって時間どおりには帰れないかもしれない。いないときは勝手に入っていいから」
「うん。ありがと」
「それと……聞いてほしいこととか気になることとかあるなら話してほしい。すぐには時間取れなくてもちゃんと聞くよ」
「高弥はいつもそうしてくれてるよ?」
 笑った昂月に高弥も笑みを返して肩をすくめた。
「しばらく傍にいてやれないから念のため、だ」
いてやれ(・・・・)ない?」
 少し大きく目を見開いた昂月が首をかしげ、わざと責めるように確認を求めた。
「……いたいのにできないから、が正解」
 そう訂正した高弥の瞳がまた深くなる。
 昂月はその意味を見ないふりして笑った。
 昂月が車に乗り込むと、
「じゃ、気をつけて」
と高弥は身をかがめて奥にいる慧にも声をかけた。
「お邪魔しました!」
 窓越しに手を振ると同時にタクシーが走りだす。

「高弥さん、いつも昂月のことを見てるのね」
「そう?」
「気づかないわけじゃないでしょ? 帰ろうとしたとたん来てくれたじゃない」
「うん……知ってる。でも……」
「何?」
「それが疲れるときがあるの」
「……昂月?」
「……贅沢(ぜいたく)よね。鍵……もらっちゃった」
 昂月は鍵を目の前に翳した。車の振動で揺れ、鈍く光る。その先のワイパー越しに見える濡れた路面は、街灯と車のライトが反射して余計に行く先を見え難くしている。
「雨は嫌い。でも……晴れた空はもっと嫌い」
「……昂月……」
 昂月の言葉に祐真が離れていった季節がすぐ目のまえであることを慧は思いだした。
 慧がつぶやくように呼びかけると、昂月の無だった表情が笑みを象った。
「ごめん……さみしいのかな……」
「……そうね。会ってなかったのってツアーのときくらいでしょ? そう考えると一カ月ずっとって長いから。ついていけたらいいのにね」
「叶多みたいに気が散るって云われちゃうよ」
「高弥さんは云わないと思うけど」

 慧が云うとおり、高弥はまったく逆のことを云った。けれど昂月がそれに甘えたら、真の意味で邪魔になる。
 音楽が好きなんだ。それがFATEのすべて。だからこそ、彼らは落ちることを知らない。立ち止まることもない。傍にいるとFATEがどんなに音楽を楽しんでいるのかがよくわかる。
 けれどそれだけではやっていけない。どんなに才能があろうと。
 高弥はどこまであたしを受け入れてくれるのだろう。

 一カ月なら待てる。でもそれ以上なら――。

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