ONLY ONE〜できること〜 #8
第2章 PLACE 1.重篤の季節 act1
穏やかに季節は通り過ぎ、あの日以来、昂月と高弥は急速に互いの距離を縮めた。
「戒斗はあたしと音楽とどちらを優先してくれるのかな……ってときどき不安になる」
昂月の隣で八掟叶多が不安そうにつぶやいた。
ミザロヂーは夕方からFATEの貸切りとなって、内輪で二カ月近く遅れてデビュー二周年パーティが開かれている。二週間後の七月の半ばからリフレッシュを兼ね、イギリスへレコーディングに向かうまえに、なるべく友人を含めて関係者全員が出席できる日を選んだ結果、ミザロヂーは満杯状態でざわついている。
思い思いのグループができ、昂月は奥のコーナーで女性陣のなかに加わっていた。
「そんなの叶多に決まってる」
「でも、気が散るってレコーディングに連れて行かないってなんだかへん。一カ月いないんだよ? 実那都ちゃんは同行するのに!」
実那都がきっぱり云っても、叶多は納得ができていないようで不満を打ち明けた。
FATEのデビュー直後に再会した叶多と戒斗は、再会したとほぼ同時に世間体そっちのけで叶多が押しかけるようにして同棲をはじめた。
「戒斗さんはいろいろ考えてやってるんだから、叶多は信じて待ってればいいの」
「男の人は男の人の事情があるんだよ。特に戒斗さんは。それは叶多もわかってるんでしょう? 見てるあたしたちからは戒斗さんが叶多を大事にしているのは一目瞭然なのに、当の本人はわからないよね。あたしもそうだったから」
伊原万里のあとを継いで説いたのは弥永亜夜だった。いろんな障害を乗り越えていまに至っただけに亜夜の発言には説得力がある。
叶多もそれを知っているので反論はしなかった。
亜夜は昂月が通う青南大の一年先輩に当たる。隣にいる万里は亜夜と同い年だが一年遅れて受験したために、専攻は違うものの昂月と同じ学年だ。
彼女たちとは、亜夜が云う『そうだった』相手、弥永聖央と小野和也とともに、FATEを通して知り合った。
結局は女性陣全員が青南大学出身のFATE繋がりで、メンバーとともに同窓生になる。
今日参加できなかった聖央はプロのサッカー選手で、現在はイギリスのチームに所属して活躍している。前回のワールドカップで日本代表の中心となり、ベスト8まで率いた実力が評価された。
聖央と亜夜は日本がW杯出場権を獲得した直後に入籍していたが、イギリスへの移籍が決まったあと右往左往した結果、亜夜は日本で勉学を続けることにした。それ以来、ふたりは離れて生活している。
今回のFATEの渡英に合わせ、亜夜も同行して向こうで聖央と合流する予定だ。
和也は事故で右半身に麻痺を負った万里のリハビリ医であり、“彼”でもある。同じく、万里と同時期に事故で右足を傷めた亜夜のリハビリ医でもあった。
畑はまったく違うものの、そういうことはまったく関係ないようで、和也はいま戒斗と熱心に語り合っている。
「音楽バカな人たちだけど、あたしたちがいなかったらラヴソングなんて書けるわけないんだから大丈夫……って思ってないとやってられない」
実那都が云うには、メンバーに想い人ができれば詞に表れるからわかりやすいということだ。
「一カ月って長いのに……」
先月二十才になったばかりの叶多はさみしそうにため息を吐いた。
「亜夜が云ったように戒斗さんはいろんな立場で考えてるから。あたしは時機を待ってるんじゃないかと思う。大事にされてるんだよ。わかってるよね?」
叶多は実那都に云われて安心したのか、少し切り替えができたようにうなずいた。
実那都は隣にいる昂月に目をやった。
「高弥くんもすごく昂月ちゃんを大事にしてる。いちばん難しい人だから一年前は想像もしてなかったんだけど」
「ホントに。あたしはいつもあてられっ放し。高弥さんがあんなに話しやすい人だとは思わなかった。これも身内の特権!」
慧が驚きの発見をうれしそうに云った。
昂月が高弥といることが多くなってから、以前から見知っていた実那都の誘いもあって、慧は昂月とともにこういう場に顔を出すようになった。本来、物怖じしない慧はうまく溶け込んでいて、どちらかというと昂月のほうが心強く思っている。
慧が云った発見は昂月にも通じる驚きであった。当初の印象が信じられないくらいに高弥は自分を見せる。
高弥はピュアな人で、その感受性の豊富さが音楽に功を奏し、また容易に心を開いたりしないという負の面をもたらしていると知った。ふたりの時間を重ねるごとに昂月に対してはその垣根も取り除いてくれた。
この場での昂月は高弥の彼女として迎えられている。
昂月の居場所はたしかに高弥の隣だが、それが“彼女”としての立場か――ということに至っては当の本人が定かではない。高弥が否定することはない。
いまだに中途半端な昂月の気持ちと、高弥が最初に為した宣言は、何時のときも昂月に不安定な立場であることを気づかせる。
ただ一つだけ事実が存在している。高弥が昂月とこうなる以前からラヴソングを書いている、ということ。実那都の見解が正しいのなら昂月は余計者でしかない。
「昂月、電話」
背後から高弥の声がするとともに置き忘れていた携帯が目の前に下りてきた。震えている携帯がだれからの電話かを示すと昂月はため息を吐いた。
席を立って高弥に向き直るとうんざりした様子の昂月を見て笑う。
「他人事でしょ」
「早く出たほうがいい」
また笑った高弥に昂月はむっとした表情で抗議をしてから、騒音を避けるために化粧室へ向かった。店内の時計を見ると十一時を過ぎていた。
呼び続ける電話は諦めることを知らずに昂月が出るのを待っている。
「もしもし、大丈夫なの?」
長い呼びだしに痺れを切らした母、美佳が咳き込むように心配して訊ねる。心配というよりは強迫観念かもしれない。
「お母さん、小学生じゃないんだし、慧とも高弥とも一緒って云ってるでしょ。いちいち電話かけてくる必要ない」
「昂月が起きるのが遅かったせいよ。帰りも遅くなるんでしょ。一日話す機会がないと落ち着かないの」
「もう話したから大丈夫よね。ちゃんと帰るから心配しないで。じゃ、明日ね。おやすみ」
携帯を閉じるとまたため息を吐いた。
両親は、特に美佳は祐真を亡くして以来、昂月の行動に少し神経質になっている。仕方のないことだとは思う。
けれど……。
それは昂月の中のノイズをさらにざらつかせる。云いそうになる言葉を何度も閉じ込めなければならない。
目の前にある鏡の中の昂月が冷たい眼差しで自分を見返している。昂月はそんな自分から目を逸らし、化粧室を出た。
「昂月ちゃん、はい」
呼び止めたのは唯子だった。差しだされたウーロン茶を受け取った。
「事務所とうまくいってないみたいね」
柔らかな口調で唯子はいきなり本題に触れた。
唯子と高弥は高校からの同級生で大学も同じ青南大に進んだ。高弥はメジャーデビューした関係で一年を残して休学しているが、唯子は順当に卒業したあと、アマチュア時代のFATEのマネージャーという伝手から斉木事務所に勤めている。
唯子は祐真と大学時代にFATEを通じて知り合った。
「……唯子さんならどうしますか?」
「何を?」
「祐真兄のベスト盤を一周忌に出す話……知ってますか」
「知ってるわ」
「事務所は……祐真兄が納得してなかった曲まで新曲として出そうとしてて……遺した曲を提供してほしいって云われて……それを断ったんです」
昂月がためらうように話しだすと、唯子は複雑な表情でうなずいた。
「気持ちはわかる。でも、それが高弥の立場を悪くするとは思わない?」
「……あたし……」
思い至らなかったことを唯子に指摘され、昂月は自分の幼さに気づく。
「事務所は高弥と昂月ちゃんが付き合っていること自体を認めてない。そのうえで昂月ちゃんが祐真のことで揉めるということは、高弥にプレッシャーがかかるってことなの。気をつけたほうがいいわ。今度の渡英だってメンバーには一カ月って云ってるけど向こうで引き延ばすつもりよ。露出は中継ですむことだし、少なくとも九月まではこっちでの仕事を入れるなって云われてる。長すぎると思わない?」
事務所は引き離しにかかっているということ?
唯子はかすかに蒼ざめた昂月の腕に触れ、身をかがめて覗き込んだ。
「ごめんね。云わないほうが――」
「いえ。教えてもらってよかった。あたし、高弥に甘えすぎてるから」
唯子はふっと曖昧に微笑んだ。
「昂月ちゃんはいいわね。いつもだれかに守ってもらえて」
「唯子さん……」
あたしはこの人に謝ることがある。
「いいのよ。独り言」
云いかけた昂月をさえぎって笑むと、唯子は事務所スタッフのもとへ戻っていった。
「どうした?」
唯子が離れるとほぼ同時に高弥が傍に来た。
昂月の表情がわずかに動くだけで何かに気づき、高弥は問いかける。
「どうもしてないよ。お母さんがしつこいから閉口してるだけ。祐真兄がいなくなって、出かけることが多くなったから」
「おれのせい?」
「決まってる」
おもしろがっている高弥を睨み返すと、クッとさらに笑った。
「来月からしばらくはいなくなるし、その間に落ち着くんじゃないか?」
昂月の表情がかすかに歪む。
「……さみしい?」
それを見逃さなかった高弥が訊ねた。
「……叶多が連れて行ってもらえないって拗ねてる」
「おれは連れて行ってもいいと思ってる。大学は休みに入るし」
「……だれの話をしてるの?」
「そのまま返すよ」
高弥の真剣な眼差しから逃げるようにして見上げていた視線を下ろし、そのまま昂月は目を伏せた。
「これ以上にくっついて回ったら木村さんにますます嫌われる」
「気にすることじゃないだろ?」
けれど唯子が仄めかしたことを考えれば、昂月がついていくということは事務所側にしてみれば半分は意味のない渡英になる。
「それでも簡単なことじゃないの」
巡らした視線の先から木村が見返していた。
ここはけっして昂月が歓迎される場所ではない。
「もうすぐしたら慧と帰るね」
それほど気にしていないと伝えるために口もとに笑みを浮かべ、高弥を一度見上げてから席へ向かった。
「昂月」
すぐに呼び止められて昂月は振り向いた。
「何?」
「おれはさみしいよ」
高弥の瞳が深くなっている。
「……酔っ払ってるの?」
昂月はちゃかした。
高弥の顔が不機嫌に変わる。
「真面目に云ってる」
それでも昂月は素直に受け取らなかった。
「妹に云うセリフじゃないよ」