ONLY ONE〜できること〜 #6
第1章 ノイズレス-無音- 3.約束 act2
「そうよね。航から高弥くんが昂月ちゃんを連れて来るって聞いたときは、あたしだってびっくりしたから。高弥くんはだれとでも気軽に喋る人じゃなくて、そうね……情熱を内に秘めてる人って感じかな」
「うん」
実那都が云うように奥にはきっと深い思いがあるのだろうということは、たまに高弥からまっすぐ昂月に向けられることのあった瞳の中に感じ取れた。
昂月が素直に答えるとクスッと実那都は笑う。
「高弥くんなりに思うところがあるんだろうけど、昂月ちゃんも戸惑ってあたりまえ。いいかげんな人じゃないことは保証する。昂月ちゃん、いまはだれかを頼ったほうがいいと思う。それが高弥くんでもいいじゃない? まだ一カ月ちょっとしか経ってなくて混乱するかもしれないけど、こういうことは早すぎることも遅すぎることもないと思うから」
「……こういうこと……って?」
昂月が思い惑って問うと、実那都は答えずに微笑んで肩をすくめた。
そのとき、大きな紙袋を提げた四十前後くらいの男性がスタジオに入ってきた。
実那都がそれとわからないくらいに顔をしかめる。
「木村さん、お疲れさまです」
口調は至って明るく、実那都は声をかけた。
「ああ、実那都さん」
木村は笑みを浮かべてわずかに頭を傾け、そして視線を隣にいる昂月へと向けた。
「ご存知だと思いますけど祐真くんの妹の昂月さんです。昂月ちゃん、FATEのマネージャーの木村さん」
木村は目を細めて訝しく昂月を見たが、すぐにそれを消し去った。
「こんにちは。お邪魔してます」
昂月が立ちあがって会釈すると木村は応じてうなずいた。
「はじめまして。祐真くんのことは本当に残念です。お元気そうでよかったですよ。ごゆっくりどうぞ、昂月さん」
言葉とは裏腹にその目には不愉快さが見える。
木村は紙袋をソファの横に置くと、ガラス窓越しにFATEの様子を見てから中へ入っていった。
「木村さん、航のまえではそれほどでもないんだけど、一緒にいないときはすごく辛辣だった。航が守ってはくれたけど。入籍してからやっとあたしのことを認めたんだよ。できるなら入籍なんてしてほしくなかったんだろうけど……だから、いまだに苦手」
実那都は苦笑して昂月を覗き込む。
「昂月ちゃんもめげないでね」
そう云われても自分の立場がよくわかっていない以上、どう返答しようもなくて昂月は曖昧に笑った。
「あ、休憩入るみたい。昂月ちゃん、手伝ってくれる?」
中の様子を窺っていた実那都はそう云って、木村が持ってきた紙袋を開けて中から弁当を取りだした。昂月は実那都が持ってきたお茶と一緒にテーブルに並べていく。並べ終えて時計を見るとすでに六時を回っていた。
仕切りのドアが開いて木村に続いてメンバーが出てきた。
彼らが思い思いの場所に座っていくなかで、高弥は昂月の存在を思いだしたように近づいてくる。
「送ってく」
「……はい」
高弥は変わらず要件のみしか云わない。無駄なことは一切口にしない人なのだと昂月は思った。
それから高弥は戒斗を振り返った。
「何時からはじめる?」
「おれらは一時間くらいで再開するけど、おまえは喉を休めてこい。二時間後くらいで充分だ」
高弥はうなずいて、行こう、と昂月を促す。
「お邪魔しました」
「また、来いよ」
「昂月ちゃん、またね!」
実那都たちの声に送られて部屋を出た。
ちらりと見た木村の眉間にしわが寄っている。
マネージャーとして穏やかでないことは理解できる。ユーマのマネージャーだった石井は妹だと認識している昂月さえも疎んじていたのだ。相手がだれであろうと仕事に支障をきたす人間関係はできるだけ排除したい。それが事務所として、マネージャーとしての本音だろう。
昂月はそっとため息を吐いた。
「航とよりも良哉とのほうが仲いいってことか……?」
車を出して通りの流れに乗ると、高弥はなんの前触れもなくとうとつにつぶやいた。少し険悪な様子で。
質問とも独り言とも取れない呟きに、答えるべきなのか判断がつきかねて昂月はまごつく。
「……良くんは……こっちに来てすぐの頃は住むところが見つかるまで家にいたから……」
長くなりそうな沈黙に耐えかねて昂月は口を開いた。
「ああ……そういや……」
高弥は思い当たったようだ。
「航くんには実那都ちゃんがいたけど、良くんは独りだったから……よく来てたんです」
昂月はなぜか云い訳じみた説明をした。
「悪い……云い方、きつかった」
その謝罪自体、あまり優しくは聞こえない。それでもお座なりの謝罪でないのは感じ取れる。
帰り道から逸れるとビジネス街に入って、高弥はその一角にある駐車場に車を乗り入れた。
「なんか食べて帰ろう」
高弥は独り言のようにそう提案した。
駐車場から歩いて五分もかからないところで高弥は足を止め、ドアを開けてさきに入ると昂月が入るのを待った。
通りに面した焦げ茶系グラデーションの壁は煉瓦が使われ、レトロな外灯が等間隔に温かく点っている。黒っぽい木製の大きなドアがポツンと中央にあった。ドアには小さく『ミザロヂー』と書かれたプレートが掛けられている。はじめてでは入り難いような場所だ。
中に入ると建物内はドアと同じく、黒っぽく塗り込んだ木材をメインにした和風モダンな造りで、高級であることが一目で見て取れる。
店員に案内されるまま二人は隅の席につく。
手渡されたメニューを見ると、和洋折衷のメニューが普通の三倍くらいする数字とともにずらりと並んでいる。
「決めた?」
「……あの、ビーフドリアにします」
「オーケー」
高弥は常連客なのか、店員は至って普通に注文をとる。
店内は間接照明が使われているために目立つこともないが、それでも高弥が醸しだす雰囲気は人の目を惹く。それほどの存在感があった。
けれど高弥は人目を気にしたふうでもなく普段と変わらない。
そんな高弥の様子は祐真とよく似ている。
祐真は露出度が低いぶん、高弥ほどすぐにユーマだとばれるわけではなかったが、それでもファンが多いだけに周囲がざわついたりしたこともある。
祐真には妹という体裁があった。といってもだれもそれを知るわけはなく、つまりは祐真であっても高弥であっても、当然のように同伴者の昂月はチェックされることに変わりない。
いまはそれに輪をかけて高弥とふたりでいることにかなり戸惑っていた。
料理を待っている間も高弥は何も語ろうとしないし、昂月は昂月でなんの話題も思い浮かばず、結果、二人はずっと沈黙している。
「明日……」
またもやとうとつに口を開いた高弥に驚いて、昂月はビクッと顔を上げた。
「明日も迎えに行くから」
その申し出はまた昂月を驚かせた。
「……あの……でも――」
「祐真のかわりをしてやる」
昂月をさえぎって宣言した高弥の瞳は真剣だった。
昂月の表情がかすかに歪む。
そんなのいらない。
その瞳があまりにもまっすぐで声にならなかった拒絶の言葉。
どうして――。そんなこと云ったらだめだよ。心が弱る。心が揺れる。
思いもしなかった言葉は麻痺していた心に痛みを甦らせた。囚われた瞳を無理やりに引き剥がして視線を逸らした。
「ここ、FATEの行き付け。貸しきってシークレットライヴやることもあるんだ」
返事を期待していなかったように高弥はまったく別のことを口にした。
少しだけ口調が柔らかくなったような気がして視線を戻すと、高弥の瞳から深さが消えている。
「……実那都ちゃんから聞いたことあります。ここだってことは知らなかったんですけど」
「ここは常連客しか入らないから気分的にラク。干渉されないから」
「……高弥さんも……周りを気にしたりするんですね」
「……失礼な云い方してること、わかってる?」
今日はじめて高弥の瞳が笑っている。
肩の力が少し抜けた。
その後、無言で過ごす時間のほうが長かったが気まずさは薄らいで、重大な宣言などなかったように緩やかに時が過ぎた。
次の日、大学の講義が終わって帰ってくると高弥は昨日と同じように待っていた。
昨夜は帰り着くなり高弥の言葉が思いだされて頭から離れず、よく眠れなかった。
そのなかで出した昂月の結論は当然の答えだった。
それにも拘らず。
「おかえり」
昂月がいちばん必要とした言葉が高弥の口から紡ぎだされた。
高弥は無駄なことを云わない人じゃない。必要不可欠な言葉を知っている人だった。
聞いた瞬間に、昂月は云うはずだった言葉を閉じ込めた。
祐真兄のかわりなんていない。要らない――。