ONLY ONE〜できること〜 #5

第1章 ノイズレス-無音-  3.約束 act1

   

 玄関を出ると車に背を預けていた高弥が長身の躰を起こす。鍵を閉めてからためらうように玄関前の階段を下りてくる昂月を待って、高弥は助手席のドアを開けた。
「乗って」
 促されるまま昂月が乗り込むと高弥は車の前を回って運転席に乗り、エンジンをかけた。高弥は行く先も告げないまま、濃紺の左ハンドルの車を走らせる。
「あの……」
「スタジオ。音録りに付き合って」
 昂月の質問を察して最後まで云いきれないうちに高弥が答えた。
 こっちの都合におかまいなしの誘いはぶっきらぼうで優しさも感じ取れない。むしろ質問は(うるさ)いと云われているような気がした。
 昂月の苦手意識がますます高まる。
 伊東高弥はバンド、FATEのメインヴォーカリスト“鷹弥(たかや)”という顔を持っている。
 FATEは二年前にメジャーデビューをしてすぐにトップまで上り詰め、彼らの(すき)のない容姿も手伝ってか、尋常でないほどの人気を得て売れ続けた。
 テレビ画面で見る高弥は鷹弥としての装いを徹底して登場する。普段はサラサラの短めの髪を少し固め、愛想笑いをすることもなく無表情な顔を通して、それは端整な顔だからこそ余計に近寄り難いイメージを与えた。
 そんな鷹弥にインタヴューする司会者はいつも困った顔をしている。すかさずベーシストのリーダー、戒斗がフォローしてはいるが、高弥はまったく我関せずといった様だ。
 家に何度か来たときを見る限りでは、高弥は笑ったりもしながら祐真と語り合っているので、少しだけ人よりはクールなのだろうというイメージを持っていた。
 たまに祐真に引き込まれて昂月が同席することもあったが、こっちから話しかけたことはなく、あまり語らない高弥ゆえにほとんど会話という会話をした覚えがない。
 それでも重なる視線の先の瞳が笑んでいることに気づくことはあった。
 けれど、いまの昂月にとってはまさに高弥というよりは鷹弥が隣にいる。
 息が詰まりそうになった頃、十階くらいのビルが建ち並ぶ通りの地下駐車場に入って高弥は車を止めた。
「こっち」
 昂月は端的な言葉で奥を指差す高弥の後ろを追った。
 エレベーターで五階まで上がって連れて行かれた音楽スタジオでは、FATEのメンバーとスタッフが揃って打ち合わせをしている最中だった。
 高弥が入るなり顔を上げた彼らはその背後の昂月に気づき、やあ、と笑みを見せて歓迎の意を示した。
 挨拶を返したものの、はじめて経験する場所にさほど見知ってもいない高弥から、半ば強制的に連れて来られた昂月はただ臆する。
「昂月、こいつ、強引だったろ」
 逸早(いちはや)く声をかけた(わたる)に気づくと昂月は少しほっとした。
 航は高弥の肩に手を置く。
 高弥は眉間にしわを寄せた。
「なんだよ」
「怖いだろうけどさ、いい奴だから長い目で見てやってな」
 航は高弥の抗議を完全に無視し、二人をかわるがわる見ている昂月に高弥のことを頼んだ……のだろうか――。
(こう)くん……良くんはやっぱり……?」
 良哉の不在に気づいて昂月が訊ねると、航の瞳が少し翳った。
「あいつは……もともと、FATEに無理やり引っ張ったのはおれだしな……」
 航は理由にならないような曖昧(あいまい)な云い方をした。
「良くんは……大丈夫?」
「あいつはきっかけを探してるんだと思う。時間かかっても必ず還ってくるさ。昂月が心配することじゃない。良哉はそんなヤワじゃねぇよ」
 航が力強く応じたので昂月も少し安心してうなずいた。
 そして昂月は自分と航に視線が集まっていることに気づいた。
「ああ……バレたか。はじめてだっけ」
 航がため息まじりにフッと笑った。
「そのとおり。おれと良哉のステージネームを命名したのは昂月なのさ。はじめて会ったとき昂月はまだ小学生でさ、おれらの名前をうまく読めなかったってわけ」
 航と良哉が福岡からはじめて祐真を訪ねて遊びにやってきたのは、彼らが高校一年生、昂月が小学六年生になる春休みのことだった。
 そのとき祐真も共謀して昂月をからかうために名前の当てっこをした。漢字を上手に読めなかった昂月が答えた呼び方を彼らは正解だと嘘をつき、その日しばらくの時間、昂月の前ではそのとおりに呼び合っていた。が、呆気(あっけ)なくボロが出る。
 その意地悪の報復として昂月は彼らの名を正しく呼ぶのはやめたのだ。
 それは(のち)、FATEが結成されたと同時に、“KOH”と“RYO”というステージネームに使われた。
「これでFATEの七不思議が一つ減っちまったわけだ」
 航はクッと挑戦的に笑い、高弥を見やる。
「おれらの妹を盗ろうってんなら相当の覚悟をしな。良哉も黙っちゃいない。そうだな……おれより、良哉のほうが手強(てごわ)いことは受け合うぜ」
「てめぇらに干渉させるつもりはねぇよ」
 高弥は乱暴に応戦した。
 昂月にはほとんど喧嘩(けんか)に見える。
「ということだ。みんなが証人だ。さぁ、練習はじめようぜ」
 航は意気揚々として自分の持ち場に行った。
 航は明らかに高弥に宣言を仕向けた。
 高弥は不快感を顕わにしている。
 昂月は昂月で自分のことながら、事態の成り行きが理解できないでいた。
「座ってて」
 高弥はいままで打ち合わせをやっていたコントロールルームのソファを指し、そっけなく云うと、スタジオルームに入っていってメンバーとの練習を開始した。
 航がドラムのスティックでリズムを取りだす。
 昂月は戸惑ったままポツンと一人で座ってFATEの曲を聴いた。
 スタッフの二人は音響設備のスイッチやらをその都度調整している。
 メンバーは意見を云い合い、納得がいくまで論じてやっと次の段階へ進むということを繰り返している。傍から見たら荒っぽい口喧嘩のようだった。
 いまや昂月の存在は完全に忘れ去られている。その曲が完成する頃には昂月も曲と歌詞を覚えてしまい、高弥に合わせて小さく口ずさんだ。
「昂月ちゃん」
 小さく呼ばれて顔を上げると、いつのまに入ってきたのか実那都が立っていた。差し入れをテーブルに置いて薄手のコートを脱ぐと、彼女は昂月の隣に座った。
「曲、うまくいってるみたい?」
「うまくいってるのかな。一曲にすごく時間がかかってるのにびっくりしてる」
「妥協がきかないのよね。仕事だから当然かもしれないけど。もういいんじゃない?って云ったことあるけど一睨(ひとにら)み。それ以来、口出ししないことにした。勝手にやってくれって感じ」
 FATE結成時からずっと彼らと付き合ってきた実那都は笑って云った。
「でも、そんなんだからFATEは文句なしのトップを誇ってるんだね」
「祐真くんもそうだったでしょ」
「祐真兄はこんなところに連れて来てくれたことがないからわからないけど、スタッフと意見が合わなくて曲を(ぼつ)にしたって怒って帰ってきたことが何回かある」
「そう、そう。そういうところが似てるの」
 実那都はコンビニの袋から缶コーヒーを二本取りだして一本を昂月に渡した。
「……昂月ちゃん、祐真くんのこと……航が云ったけどあたしも力になれたらと思ってる」
「……あたし、そんなに頼りなく見えるのかな」
「そうじゃなくて。平気そうに見せるから無理してほしくないだけ」
「平気じゃないんだけど無理してるわけでもない。ただ……」
「ただ?」
「なんて云ったらいいのかな……」
 昂月は説明しきれずに言葉に詰まると首をかしげた。
 実那都はカールした肩までの髪をふわりと揺らし、わかっているようにうなずく。

「そうね……あたしでもまだ混乱してる部分があるから。その反面、普通に時間は過ぎてて普通に生活してる。それがきついことがある。あたしだけじゃなくて航も、良哉くんも高弥くんたちもそのギャップに苦しんでる。うまく隠してるけど。昂月ちゃんは……それ以上だって思うから……」

「……たぶんいろいろと煩くてゆっくりできなかったせいかもしれない。母もふさぎ込んでたし、しっかりしなくちゃって思ってるうちに悲しいのが通り過ぎたのかな」

「取材のこと?」
「それもある。ある意味、それが気を(まぎ)らわせてくれたのかも……やっと落ち着いた」
「それね、戒斗さんが動いたんだよ。警察に公表を早くさせたのは戒斗さん」
 昂月が驚いて実那都を見ると、彼女は声を落とした。

「あたしも詳しくは知らないんだけど、戒斗さんは良くも悪くも裏に手が回る人で、警察にも報道関係にも圧力をかけたの。健朗さんところの権力を表って云うなら、戒斗さんの場合は裏の裏。つまり、世間体は表なんだけどね。そういう裏の伝手(つて)はあっても戒斗さん自身はあまり使いたがらない」

 ピアノ兼ギターを担当している健朗の父親は、日本を代表する企業、貴刀グループの最高経営責任者でいろんなところに顔が利く。健朗もまたよほど思うところがない限り、その権力を利用しない。
 戒斗についてはメンバーにも語ることのない影の部分があると祐真から聞いている。
「それなのにどうして……?」

「いちばんに動いたのは高弥くん。事務所がいつまで経っても介入しないことに我慢できなくて、高弥くんが戒斗さんに相談したの。もちろん戒斗さんもかなり不快感を持ってたし」

「高弥さんが……」
 スタジオルームでは休憩を入れることもなく完成に向けて高弥が歌い続けている。
「戸惑ってる?」
「……え?」
「高弥くんのこと」
「……よく状況がわかってなくて……」
 困惑している昂月を見て実那都は可笑(おか)しそうに笑った。

BACKNEXTDOOR