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DOOR|オフリミット〜恋の僭主〜
Chapter2 This is my life.
1.恋の身の丈 #5
円花はにっこりと航に笑いかけた。おざなりの愛想笑いではなくて、本当にうれしくて笑っていることを、航は気づいているだろうか。
「憶えててくれてるんだ。藍岬くんは西崎さんしか見てないんだと思ってたけど」
円花はちらりと実那都を見やってから、からかう素振りで首をかすかにすくめた。くるくるに巻いた、彼女の長い髪が跳ねるように揺れる。
円花は高校に入って急に大人びて、いまはメイクまでしているからよけいだ。際立ってはいないけれど、実那都よりは遥かに美人だ。
航も円花に合わせて、片方の眉を上げておどけたような様で応じる。
「中学とか高校は人数多いからな、同じクラスになんねぇと知らねぇって奴が多いけど、小学校んとき一緒だった奴は憶えてるぜ」
「よかった。あのね、ずうずうしいかなと思ってたから云わなかったけど、フリーダムに藍岬くんのことを教えたのはわたし」
思いもしなかった言葉に目を丸くしたのは、航にかぎらず実那都もそうだ。
「え、工藤が?」
「そう。明菜(あきな)と――」
塾が一緒なんだけど、と云いながら円花はボーカルのカノジョを指さした。
「カレシのバンドが高校生のドラマー探してるって明菜から聞いて、わたし、藍岬くんがいるって思いついたの。でもわたしの紹介だって云ったら、藍岬くんがバンドに合わないって思っても断りにくいかなって思って、はっきり藍岬くんが助っ人するって決めるまで黙ってることにしてたんだよ」
「そういうことか。中学んとき以来、こういうバンド活動はしてないからさ、感覚が戻っていい感じだ。気ぃ遣わせたみたいで悪(わり)ぃ。紹介してくれてありがとな」
ここに来るまでフリーダムについてぴんと来ないと云っていた航との会話を思いだしながら、実那都は航を見上げた。その眼差しに警告が宿って、実那都は笑いそうになり、下くちびるを軽く咬んでこらえた。
円花に目を戻すと、一瞬だけ目が合って、その視線は航へと移っていった。実那都と航のアイコンタクトはどんなふうに受けとられただろう。円花は至って普通に航に笑いかけた。
「藍岬くんが悪いことないよ。わたしが勝手にやったことだし。今日はわたしもちょっと見てくね」
「ああ」
「じゃあ西崎さん、こっちに一緒にいない?」
円花は返事を待つことなく、戸惑っているうちに実那都の手を取って引っ張った。
受動的に足を踏みだしながら後ろを振り向くと――
「実那都」
と、ちょうど航が呼んで、実那都は足を止めた。円花もその呼びかけに反応したのだろう、実那都の手をつかんでいた手を放した。
航はコンビニの袋を差しだし、実那都はそれを受けとった。おどけたようにわずかに笑みを見せながら首を傾けて、それから円花を見やる。
「実那都をよろしくな」
「もちろん」
円花は航に軽く受け合うと、今度は手を取ることはなく、あっちね、とさっきまで彼女たちがいた方向を指差しながら実那都を誘った。
機材の邪魔にならないところで折り畳み椅子を三つ開き、円花を真ん中にして座った。楽器の調整音が聞こえ始めると、円花越しに、明菜が身を乗りだすように前かがみになって実那都を覗きこんだ。
「円花から聞いてて、藍岬くんのカノジョってどんな子だろうって思ってた。藍岬くんてカッコいいよね」
その言葉に刺はない。見た目のことだろうと性格であろうと、航が『カッコいい』のは傍にいることに慣れてもそう思うけれど、カノジョとして褒めちぎることはおろか肯定するには、円花がいることを思うとはばかられる。実那都は曖昧に笑った。
加えて、明菜から実那都が『どんな子』に見えたのかを聞けていない。彼女は円花の友だちなのだとあらためて思った。円花のみかたであっても、実那都にそうとはかぎらない。
「小学校の頃は悪ガキって感じで目立ってたけど、中学になってから違う意味で目立ってたよね」
実那都のかわりに円花が答えた。
「違う意味って?」
「だから、明菜が云ったこと。カッコよくて目立ってたんだよ。バカみたいに騒いだりするけど、バカじゃなくて、何やらせても軽くやっちゃうから先生たちも文句が云えないって感じだった」
「わかる気がする。高校は同類が集まるけど、中学まではいろんな子がいるし、だから何やらせても大丈夫っていう飛び抜けた子がいるよね」
「そう。うちの中学は、藍岬くんと仲のいい男子二人もカッコよかったから人気は別れてたけど。その三人を独り占めしてたのが西崎さん。ね?」
急に話の矛先を向けられ、しかも聞こえがいい云い方ではなく、実那都は驚きつつ、怯みそうになりながら首を横に振った。
口を開きかけると――
「独り占めってどういうこと?」
実那都より早く明菜のほうが問い返した。
「ううん、そうじゃなくて……独り占めなんてしてなくて、航の友だちだから自然と一緒になるし、それで友だちになったってだけだから」
「中学の文化発表会で、四人でオフリミットっていうバンド組んで西崎さんがボーカルやったんだよ。アイドルって感じだったよね。別格だって雰囲気でいつも四人一緒にいたの」
実那都の弁明はまったく無視されてしまう。
一方で、円花の言葉に明菜は目を丸くした。
「西崎さん、歌えるの?」
「普通にカラオケと同じ感じ。バンド組むっていっても一回だけだったから」
「その一回で決定的になったんだよね。西崎さんは普通に友だちのつもりでも、西崎さんがいるからよけいに日高くんや神瀬くんに近づけないって云ってた子、多いよ?」
おそらくそれは実那都がいたからではなく、良哉や祐真がそういうオーラを出していたにすぎない。あえていうなら、実那都がいることでふたりは万人ではなく特定の人間しか受け入れないというテリトリーを周知させていたんだと思う。
だから昨日も良哉は真弓との会話のなかで、真弓にカレシができないのと同じで、真弓がいるからよけいな人間が――この場合、女子だろうけれど――寄ってこなくて面倒くさくないというようなことを云っていた。
それはともかく、中学時代のことはもう終わったことでどうしようもない。近づけないまま、そこを突破しなかったのは本人たちで、実那都には責任の持ち様もない。とはいえ、そのまま云えば角が立つ。
「そんなつもりはなかったんだけど……でも、わたしも航とこんなふうになるまえは全然近づけなかったから、その子たちの気持ちもわかるかも」
実那都は少し逸らしてみた。円花が引き下がるとは思わなかったけれど、明菜は納得したようにうなずいていて、それ以上に追及すれば円花の体面が保たれなくなる。航を好きという円花の気持ちが事実だとして、なお且つそれを明菜に打ち明けていないならという前提だ。
「そのふたりと会ってみたいな」
という明菜に、一人は東京に引っ越してしまったことを実那都が話している間にも、円花が口を挟むことはなかった。
実那都に対する敵がい心は、円花にはあっても明菜にはないことがわかって少しほっとした。