月の裏側〜幸せの続き〜

第4章 promise the Moon -果たせない約束-
6.抱きしめて眠らせて

 鈴亜はぷるっと躰をふるわせる。日高のせいじゃない、裸のせいだ、と自分をなだめてリビングに行った。
 バッグを見つけてスマホを出すと、ココアと一緒にベッドルームに持っていった。
 佳乃に外泊するとだけメッセージを送ったあと、ココアを両手でくるんで窓際に寄った。
 窓の外を覗いてみたが、せっかく南向きなのに雨のせいで十日夜(とおかんや)の月を見ることはかなわない。この時間ならきっと目のまえに見えるはずなのに。
 それとも、今日は見えないことのほうが救いなのか。鈴亜にとっても、月の裏側の住人にとっても。

 自分がすることの結果は、やっぱり鈴亜には見通せない。日高が鈴亜に何を求めているのかもわからなければ、自分が日高に何を求めているのかもわからない。
 ただ、祐真に対して感じていたように、日高は裏切らない人だとなんの保証もないのにそう思える。
 それなら、日高が求めていることは関係なくて、鈴亜が何かを求めているわけでもなく――ただ、日高にまたFATEという居場所に戻ってほしいと思った。

 FATEに会いたいと思ったのは、日高がRYOでなくなった理由を知りたくて、そして、祐真を心配して怒るほどだった友だちを知りたかったからだ。
 彼らは気取るところがなくて、それはカノジョたちを見ていればすぐにわかった。日高がいなくなっても、鈴亜が部外者のような気分にさせられることはなかったから。
 日高が休止していることにも理解を示していて、それは彼ら全員が、日高と同じように祐真を喪失した虚しさを抱えているからだと思った。
 そんな場所を捨てないでほしい。

「鈴亜」
 ふいに呼ばれて鈴亜はびくっと肩を揺らした。何かに迫られたような呼び方だったせいかもしれない。反動で、手に持ったまままた飲みそびれたココアが、カップのなかでこぼれそうに揺れる。
 ベッドサイドのテーブルにカップを置いて鈴亜は振り向いた。
 下半身はハーフパンツ、上半身は裸という恰好で日高は入り口に立っている。鈴亜の顔を見ておもむろに息を吐いた。

「家には泊まるって連絡したから」
「早起きできるんだろうな?」
 日高はゆっくり近づいてきた。
「休まないで学校に行けってこと?」
「当然だろ。教師ならずる休みを勧めたり黙認したりしない。少なくともおれはノーだ」
「教師のくせに生徒にキスとか、そっちのほうがノーって感じだけど」
 鈴亜のまえに来て立ち止まり、日高は首をひねって見せた。くちびるに薄く笑みが浮かぶ。
「キス以上のことをした」
「無理やり」
「誘ったのはおまえだ」
「今日は?」
「抱きしめて眠らせてくれるなら」
 うなずくと同時に日高は躰をかがめて、顔を傾けながら鈴亜のくちびるをふさいだ。

 日高のキスはぶつけるようで、荒っぽく鈴亜のくちびるを割いた。一気に息苦しくなって、喘いだ隙に舌が割りこんできた。
 顔を斜めに向けた日高の舌は口の底へと潜りこみ、鈴亜の舌をすくいあげる。戯れるようにくるりと纏わりつき、舌はだんだんと痺れていく。緩く吸いつかれて、奪われそうな心もとなさに鈴亜は呻いた。
 すると、日高は鈴亜の舌を甘咬みしながら離れていく。伴って伏せた目を上向けていくと、顔が近くにありすぎて、うまく焦点が合わせられない。それとも、鈴亜がキスにのぼせているだけなのか。

「受け身だな」
「だから……」
「憶える暇がなかったってのは聞いた。おれは積極的な女しか知らないからな」
 最初はそれ以上はいいとシャットアウトするような云い方だったが、あとの云い分がどういう意図で発せられたのか、鈴亜の反発を招く。
「だから何」
 わずかにくちびるを尖らせた鈴亜とは対照的に、日高のくちびるはにやりとして広がる。
「怒ることじゃない。新鮮だって感動してる。育て甲斐がある」
 数学の教師らしく、言葉を発するにもまるで方程式があるかのようで、日高は不可欠な答えを弾(はじ)く。
「嫉妬してるのかと思った」
「頭いいな」
 からかいのもと意地悪心で云ったつもりが、日高があっさりと認めたことに鈴亜は目を丸くした。日高はくちびるを歪めて笑う。
「忘れろなんてことは云わない。話すなとも云わない。けど、寛容でいるのには限界がある」
「……あたしのこと、好き?」
 日高は力尽きたように吐息混じりで笑った。
「生徒に手を出すなんて面倒になることは目に見えてる」

 日高は遠回りの答えを吐くと、ハーフパンツをボクサーパンツごと下にずらしながらベッドに腰かけた。片脚ずつ上げて脱ぐしぐさは計算しているように男っぽいしなやかさを見せつける。
 鈴亜がそうであるように、裸体を晒すことに羞恥心はないようで、日高は欲情した自分を隠そうとはしない。
 日高の手が伸びてきて鈴亜の腕をつかむ。そのまま引かれ、鈴亜はつまずくように足を踏みだす。日高の脚の間に立つと、腰にまわった左の腕にぐっと引き寄せられた。右手は首もとに添い、鈴亜の顔をうつむけさせた。
 成り行きで鈴亜はわずかにかがみ、すると日高はすくうようにくちびるを合わせてくる。その瞬間、そのキスの仕方は鈴亜に祐真との時間を思いださせた。やさしくて、それでいて熱情がこもるキスは、日高と祐真、ふたり似通っていた。祐真との記憶が、塗り替えられていくような気がして鈴亜はもがく。

 日高は拒絶をわかっているはずなのに無視を決めたのか。ウエストに置いた手が滑るようにお尻へとおりて、脚の間に潜ってくる。
 あっ。
 花片の先端に指が触れたとたんの短い悲鳴は、日高の口内に呑みこまれた。舌が無遠慮に鈴亜の領域を侵犯してくる。
 躰の中心は見知らぬ男たちが触れるとひりつくことしかないのに、日高はキスだけで鈴亜を濡らしている。そのうえピアノを奏でる指は繊細なタッチで刺激を送ってくる。指はなめらかにうごめき、こねるような摩擦は痛みもなく快楽しか生みださない。
 んくっ……。
 腰が身ぶるいするようにひくつき、発した悲鳴は日高の口のなかへと蜜を伴って流れていく。拒絶しかけた気持ちは快楽に侵食されていった。

 キスから解放されると、溺れかけている水中からやっと抜けだしたように鈴亜は喘ぐ。呼吸が整う間もなく、日高のくちびるは顎からのどもとを伝って、胸のトップにおりた。胸先が熱く含まれ、軽く吸いつかれる。
 あっ、んふっ。
 首もとから離れた手が背中を支えていなかったら、鈴亜はよろけて倒れていたかもしれない。おなかの奥が蕩(とろ)けるような感覚がするとともに、それが体内から流れ出た気がした。
「せんせ……ああっ」
 日高は緩く吸引しながら胸から離れた。その摩擦で鈴亜の上半身がわなないた。終わりかと思えば、また顔を寄せてくる。今度は色づいた部分を丸ごと口に含んだ。そうやって日高は吸いついては離れる。繰り返されたのは何度めか、快楽の導火線は躰の中心と胸先で繋がった。脚も、日高の肩をつかんだ手も頼りなくふるえている。これ以上されたら立っていられない。
「せんせ、だめっ」
 それは拒絶なのか、自分でも曖昧だ。躰は少なくとも拒んでいない。

 日高はそれを知ってか知らずか、胸のトップを大きく含んで吸いついた。日高の舌がうねり、鈴亜の訴えとは逆行して、これまでになく胸の粒に刺激を送る。指は花片の先端をめくるように弄った。
 あっ、やぁっ……。
 叫びかけた声は途切れ、すべてが静寂したような感覚のあと、快楽は頂点まで昇りつめた。びくびくと腰は跳ねて、それは躰の隅々まで及ぶ。体内で収縮が起きるたびに、快楽のしるしがとくんとおりてきて、日高の手を濡らした。

 よろけてその場にくずおれそうになる寸前、日高が左脚をすくって持ちあげた。ますますよろけると、日高はしっかりと背中を抱き寄せて固定した。持ちあげた脚は自分の太腿に引っかけさせる。反対もそうすると、今度はお尻を持ちあげられた。力が入らないながらも、本能で鈴亜は日高にしがみついた。
 躰の中心に硬いものが当たる。鈴亜はぷるぷるとその刺激にふるえながら、それは日高の慾だと悟った。直後、日高のモノが鈴亜の入り口を探し当てた。

「あ、せんせっ、まだ……んんっ!」
 日高は腕の力を弱めて、必然的に鈴亜の躰は落ちていった。鈴亜と日高の体格の差は明らかだ。見知らぬ男たちとの間に感じたことのなかった快楽はひどく鈴亜を濡らしている。それなのに摩擦は緩和されず、日高のモノはいっぱいいっぱいで狭い通りを抉(こ)じ開けた。
 ふ、はっ、んっ……ぅっぁああっ。
 最奥がつつかれたとたん、鈴亜は叫ぶように喘いだ。腰が痙攣して、日高までもが唸るように喘いだ。
「あまり耐える自信はない。しばらくやってないから」
「……せんせ?」
 日高は含み笑う。抱きしめられた鈴亜の耳と日高の口は近く、呼吸が触れてくすぐったい。躰からは笑みから派生した振動が伝わってくる。鈴亜が呻けば、日高も応えて呻いた。

「このまえも持たなかっただろ。だからまたイケるなら我慢するなよ」
 日高はお尻を支えて鈴亜の躰をわずかに上下させ始めた。躰が落ち、最奥をつつかれるたびに悲鳴が飛びだして、そこから躰中に快楽から及ぶ痙攣が走る。
 一週間まえもそうだったが、いまもまた違う場所で久しく遠のいていた感覚に襲われ、鈴亜は脳内まで快楽に蝕まれていく気がした。
「せんせ……来そう」
「イって、いい。すぐ、追うから」

 日高の声が途切れがちなのは、それだけ日高も感じているということなのか。確かめたいのにその余裕はない。
 日高のモノが抜けそうになるぎりぎりまで鈴亜は持ちあげられた。そして、すっとおろされる。
 ああっ。
 二回め、抜けだす寸前のところでもうだめだと鈴亜は予感した。そのとおりに躰が沈んで最奥を穿たれ、吸着するような感覚がした刹那。
 あ、あ、あああ――――っ!
 鈴亜は仰向いて嬌声をあげた。お尻はびくびくとひどくふるえ、日高は頭上で呻いたかと思うと、躰をねじるようにして鈴亜をベッドに寝かせる。体内から抜けだした日高は、鈴亜の腹部に慾心の痕を散らした。
 熱のこもった呼吸と喘いだ声が絡まる。

 鈴亜は二度も快楽の果てにたどり着き、躰は満足しているのに、何かが足りなかった。その不足しているものは、まもなく日高が教えてくれた。
 鈴亜のおなかをきれいにした日高は、鈴亜の下から掛けぶとんを引きだすと隣に横たわり、ふたりの躰にかける。そして、日高は望んだとおり鈴亜を引き寄せて抱きしめた。
 その瞬間に、不足していたものが埋まった。
 けれど、それは苦しい。
 日高のために何かできたら。そう思う以上に、鈴亜は二度めの恋をしているのかもしれない。だったら、また離れるときが――離れなければならないときが来る。そんな怖れが生まれた。

「急がなくていい」
 ぷるっと躰がふるえた直後、日高がなだめるように囁いた。
「ピアノ……FATEはやめないで。先生は教壇よりステージのほうが似合ってる」
 無自覚につぶやいたかもしれない。日高の躰が笑みに揺れる。
「戻れそうな気はしている。おまえに迫られてステージに立てたことは確かだ」
「うん」
「それは約束の返事なのか」
「約束は嫌い」
 呆れたような吐息が鈴亜の髪をそよがせた。
「明日は五時起きだ」
 日高の胸に額をつけたままうなずくと、抱きしめる以上に締めつけられた。

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