ミスターマシーンは恋にかしずく

第2章 恋愛講座おーぷん

3.ケンカorコミュニケーション?

 旭人が車で迎えにきて加納家に向かい、家が間近になったときは六時半をすぎ、日も暮れていた。
 家の外観をくっきりと見ることはできなかったが、「ここからうちだ」と旭人に教えられ、敷地を囲むロートアイアンのフェンスが目に入っただけで南奈はわくわくして、助手席のシートから身を起こした。
 南奈は自分が「わあ」と感嘆詞をこぼしたことにも気づかなければ、旭人が「子供の反応だな」とつぶやいたことにも気づかず、照明と影のコラボレーションを楽しんだ。
 門扉に施された模様は花の形のようで、細部まで手が尽くされている。そして敷地内に入ると、外灯にライトアップされた洋館が視界に広がった。
 とんでもなく大きい家は、外壁はブラウン系で、白っぽく太い柱にはやはり優雅な模様が入っていて、レトロとモダンがうまく融合していた。

「加納主任、すごいですね」
 車を降り、車庫を出ていったん立ち止まった南奈は家を見上げ、ため息混じりで感想を述べた。称賛を受けた旭人は薄く笑う。
「おれはいま、南奈をすごいと思ってる」
「え? わたし、ですか」
 南奈は横に立った旭人を見上げた。首をかしげると、旭人は上体をかがめてきたが、何をするつもりだったのか、思い直したようにまた背筋をぴんと伸ばした。
「ほんとに物怖じしないなってはじめて感心した」
 揶揄されていることははっきりしている。けれど、皮肉っぽいくちびるの歪み方でも笑っているとわかって、不快さはない。むしろ、心的に距離が近いところにいる気がして居心地がいい。
「直せないです」
「直さなくていい。いまからもその調子でいてくれ」
 いまから、という言葉に南奈は急に緊張を覚える。
「気をつけないといけないことあります? 云っちゃいけないこととかやっちゃいけないこととか」
「そういうことを遠慮してたら窮屈になるだけだろ。結婚して一緒に暮らすんだ。自分を隠す必要はない。そのままでいい」
「あ!」
「なんだ」
「そのままでいい、って云ったから。恋愛講座満点ですね」
 直後の呆れたような吐息は、なぜか南奈をうれしくさせる。これまでも何度も呆れさせてきたけれど、いまはその意味合いが異なって感じた。

「恋愛じゃなくて結婚するんだってことわかってるんだろうな」
「だから、結婚と恋愛を一緒に始めたいと思って。恋愛、苦手だし、でも結婚だったら安心」
「苦手? 好きな奴、いるんだろ」
 そう云った旭人はわずかに眉をひそめている。
「片想いで終わりですってば。成就したことないんです。加納主任とは結婚するんだから、遠慮なく好きになれそう」
 旭人はひそめた眉を解いたかと思うと、今度は目を細めて南奈をじっと見下ろした。そうして何を思っているのか。ちょっとした警戒感に見えるのは気のせいか。
「気をつけてほしいことが一つある」
「なんですか?」
 南奈が慎重に問うと――
「会社を離れれば上司と部下じゃない。旭人、だ」
「……難しいですね」
 旭人は口角を片方だけ上げて可笑しそうにした。
「おれは満点二つリードだ。競争は独走じゃおもしろくない。期待してる」
 期待されるのは苦手だけれど、旭人の宣言はやはり満点だろう。本気で期待しているわけじゃないのは見え見えだから、ちょっとずるいという不満はあって、マイナス十点というところだ。
「行くぞ」
「あ、荷物!」
 南奈は、さきに歩き始めた旭人に手を伸ばした。小さめのボストンバッグにもう少しで届きそうというとき、旭人は方向転換して南奈の手はすかされた。
「これくらいどうってことない」
「どうってことないから自分で持とうって思ったんですけど」
 旭人はかすかに気に喰わなさそうな面持ちになる。
「仕事もそうだし……些細なことでいえば昨日のハンカチ落としたときもそうだ。恋愛だけじゃなくて人を頼るのも苦手なのか」
「あー……そうかもしれません」
 南奈は考え考えしつつ認めると同時に首をすくめた。
 すると、旭人は何やら思案げにして、南奈を見ているはずが素通りするような眼差しになった。
「でも、どうしてもやれないことはやりませんよ」
 南奈の言葉に旭人はため息をつく。
「あたりまえだ」
 素っ気なく吐くと、旭人は南奈のボストンバッグを持ったまま先立った。

 バッグには、一泊するのに必要な分だけの着替えとか洗面道具が入っている。
 午後になってかかってきた電話で、送るとなると酒が飲めないし面倒だからと、旭人は理不尽ともいえる理由をつけて加納家に泊まるよう提案した。
 明日は日曜日だし、南奈からは断る理由が見つからない。二つ返事で了承した。
 物怖じしないことに感心していると云われたけれど、その実、まったく緊張しないわけがない。ただ、自己主張をすることもそうだが、考えこまないで行動に移すことのほうがずっとらくだ。
 そんなふうにずうずうしくあれば、自分について幻想を抱かれることがない。

「そういえば子供、苦手って云ったな」
 旭人は歩きながら唐突に後ろを振り向いた。
「……はい。云ったらダメですか」
「いや、兄夫婦も来てるから、赤ん坊を連れてる」
「……それくらい大丈夫です。子供が怖いわけじゃないし、危害加えるようなこともしません」
 南奈はむっとして、くどくどと諭すような口調で云い返した。
「確かに」
 旭人は薄らと笑って正面に向き直った。

 その背中を見ながら、南奈はふと、旭人はその赤ちゃんとどんなふうに接するのだろうと想像してしまう。すると、自分でも顔が曇るのがわかった。
 玄関へと続くアプローチはなだらかなスロープになっていて、両脇は様々な色合いの煉瓦で縁取られている。そこに添うように咲く小花を見て、ちょっと南奈の気分は浮上した。華やかな家でも、こんなふうにささやかさに目を留める余地を備えているのならきっと嘆くことばかりではない。

 玄関のすぐ傍まで行くと、旭人は何もしていないのに勝手に扉が開いた。
 ほぼ同時に、南奈たちの到着が見えていたかのようにエプロンを身につけた女性が奥からやってきて、上がり口で一礼をした。柔和な微笑には歓迎が見える。
「お手伝いの浅木さんだ」
 旭人の紹介を受けてひととおり挨拶を交わすと、浅木は南奈のボストンバッグを預かり、また奥へと消えた。
「うちの家族は仲が悪いように見えることがあるかもしれない。けど、裏を返せば、遠慮がないほどお互いに裏がないっていうふうに思ってほしい」
「裏がないなら裏に返せないと思うけど」
 旭人が云い終わらないうちから吹きだしそうにしていた南奈は、揚げ足を取った。旭人は首を横に振る。気分を害したふうではなく、おもしろがっているような気配だ。
「前言撤回だ。面接官として、おれに狂いはなかったな」
 南奈のどこに何を思って狂いがないのか。旭人はそこは口にすることなく、南奈の背中に手を添えると奥へと促した。
「加納主任、あとで家を見てまわってもいいですか」
 いざ家のなかに入ってみると、正面からの外観以上に奥行きがあって広い。
 玄関スペースはエントランスホールといったほうがふさわしいほど天井も高く、入ってすぐ左側にある扉は、その天井いっぱいの高さがある。靴箱ではけっしてない。扉の向こうには大きな部屋がありそうだ。

「月曜日には主任という肩書きはない」
 旭人は質問を無視して、注意すべきことを南奈に思いださせた。
「気をつけます。旭人……さん?」
 念のため、ためらいがちに『さん』をつけてみると旭人は首をひねった。
「結婚は対等だと思ってる」
 南奈の返事を期待しているふうでもなく、旭人は肩をそびやかす。
「加納主任て……あ、じゃなくって……旭人、って意外に……」
 じろりと見下ろされて云い直したすえ、南奈はなんとなく尻切れトンボで終わった。
「なんだ? おれについてマシーンだとか呼称するのは勝手だ。けど、期待はするな。応えられないから」
 結婚を対等だとか口にするなんて意外に気を遣える人だ、と南奈はそう思ったのに、旭人のさっきの言葉を借りれば『前言撤回だ』だ。
「結婚するまえに云う言葉じゃないと思います。満点は一個取り消しです!」
「まだリードしてる」
 旭人は堪(こた)えることなく平然と云ってのけた。そして。
「あとで加納家巡り付き合ってやる」
 と、南奈の不機嫌な顔を見取って付け加えた。
 恩着せがましい云い方は芳(かんば)しくないけれど、このままけんかするよりは仕返しを考えるほうが楽しい。南奈はそう思い直してにっこり笑った。
「お願いします!」
 旭人は吐息を漏らして笑うと、一つのドアのまえで立ち止まる。
「必要なくても、おれがついてる」
 旭人はつぶやくように云って、南奈が何も応えられないうちにドアが開けられた。

「旭人、おかえりなさい」
「おかえり」
 南奈が室内の様子を窺う間もなく、仲が悪いとはとても考えられないくらい、いくつもの挨拶言葉が旭人を迎えた。
「ただいま。紹介する。藤本南奈さんだ」
 それは流れに沿っての紹介ではあるが、南奈にはひどく唐突に聞こえた。
 緊張のボルテージが一気に上がった瞬間。
「あら。会社の部下だって云うからてっきり三沢さ……」
「おばあさま」
 旭人は、だれかが――それは“おばあさま”に違いないが、云いかけたことをさえぎるように呼びかけ、続けた。
「すぐにでも南奈と結婚したいと思っているのは昼間云ったとおりです」
 旭人の云い方はどこか剣呑として聞こえた。
「おまえがやっと結婚する気になったんだ。歓迎する。南奈さん」
 半ば呆気にとられているうちに呼びかけられた。旭人の父、つまり、業平不動産の現社長、加納孝志(かのうたかし)だ。南奈は我に返り、慌てて一歩まえに踏みだした。
「はじめまして、藤本南奈です。今日はお世話になります。よろしくお願いします」
 立て続けに云い、一礼してから顔を上げると、加納家だから不思議でもなんでもないのだが、そうそうたる顔ぶれに合った。

 旭人に導かれて入ったリビングもまた、藤本家の一階部分がすっぽりおさまるんじゃないかと思うくらい広かった。ソファだったりテーブルだったり、くつろぐというにはゴージャスすぎる家具が配置されている。
 加納家の面々は待ちかねていたような様でソファに集まっていて、挨拶をしたとたん、一斉に南奈へと視線を浴びせてきた。
 貫録充分といったふうにソファの背にもたれ、どっしりとかまえた孝志は、将来、旭人はこうなるんだろうかと思うくらい顔立ちが似ている。その横に座る名誉会長の滋(しげる)は第一線を退いたせいだろうか、会社で遠目に見るよりも意外に温和な気配だ。
 そして、旭人の兄である建留は、仕事中にも見かける雰囲気のとおり、嫌う理由が見つからないタイプの人だと思う。そういう意味では、旭人よりもさらに隙がなく、ミスターパーフェクトとだれが命名したのか、その呼称に違わない。
 彼らにはじめましてと云うには微妙にずれている気がするけれど、いままで目のまえにいても素通りされていたに違いない南奈が南奈として認識されたのはいまがはじめてだろうし、そう頓珍漢な挨拶ではないはずだ。目が合うたびに三者三様のうなずき方で迎えられた。
 そして、南奈は女性陣に目を向けた。
 すると、孝志の隣に座った、妻であろう女性がすっと立ちあがった。南奈たちのほうへ近づいてきて二歩分くらいの間を置いて止まった。背の高さが同じくらいであることにも、にっこりした笑みを向けられたことにも安堵感を覚える。

「南奈さん、いらっしゃい。主人たちのことは当然知っているだろうから、女同士の紹介をわたしが」
「はい、お願いします」
「わたしは旭人の母親の華世(はなよ)。すぐ結婚したがっているみたいだし」
 と、からかった面持ちでちらりと旭人を見やり、華世の目はすぐまた南奈へと戻る。
「南奈さんがかまわなければ今日からでも『お母さん』と呼んでね」
 可憐という言葉が、これほど大人になっても似合う人はめったにいないだろう。そう思うくらい、華世は屈託がない。旭人は父親似だが、どこか繊細さを感じさせるのは母親から譲り受けたものかもしれない。
 旭人を振り仰ぐとかすかに首をひねる。南奈は華世に向き直った。
「ありがとうございます。そうさせてもらいます……お母さん」
 少しためらいがちに云い添えると、「二人も娘が持てるなんてうれしいわ」と華世はうなずいて微笑んだ。そうしている間に、若い女性が近寄ってくる。
「南奈さん、もう一人の娘よ。建留の奥さんで千雪ちゃん」
「南奈さん、はじめまして。会社ではわたしのあとを引き継いでくれてるみたい。旭人くん、厳しくない?」
 気さくな話し方にほっとするよりも、南奈は純粋に驚いた。南奈が入社する前年まで旭人と同じ部署で働いていたという千雪について、噂には聞いていたが、想像力が足りなかったようだ。生粋の日本人なのに、わずかにくすんだブロンドと同じ瞳の色は本物だという。全体的に透きとおったイメージで、本当にドールみたいな人だった。

「はい。いつも叱られてます」
「いつも? 一度だけだろ」
 千雪が答えるまえに、心外だといった渋い声が口出しする。
「みんなのまえで堂々とやられたのが『一度だけ』です。いつも、じっと睨んで監視してる」
「見守ってる、の間違いだろ」
「加納室長代理がそう云うんだったら信じますけど、加納主任が云ってもまったく似合いません!」
 南奈が云いきったと同時に室内はしんと静まり返った。
 なんとも云いがたい静けさを破ったのは、建留の吹きだすような短い笑い声だ。
 華世も千雪も、あまりにも快く歓迎を見せてくれたからきっと南奈の気が緩んでいた。その彼女たちも建留に釣られたように笑みをこぼす。
 そして。
「あらまあ。永都(ながと)、叔父さまは結婚するまえからけんかしてるわ。二十九になってもまだまだ子供ねぇ」
 旭人から『おばあさま』と呼ばれた人だろう、その婦人は、表向きその腕に抱いた赤ん坊に向かいつつ当てこすった。
 ちらっと旭人を見上げると、不快そうな気配を感じる。

「南奈さん、来て。南奈さんより七カ月早い加納家の新米を紹介するから」
 千雪は旭人の様子を察してか、南奈を誘い、“おばあさま”のところへ向かった。
 わずかにおののきながらも南奈は千雪についていく。
 千雪が身をかがめて祖母の腕におさまる赤ちゃんを抱きかかえると、きれいな白髪をした女性はソファに座ったまま南奈を見やった。女優のように年齢不詳の美しさを保ち、南奈のほうが見下ろす側にいるが、従わされているような感覚に陥るほど、毅然とした様が窺える。
「こんにちは。うるさくしてしまってすみません」
「謝ることはない」
 即座に旭人が口を挟む。婦人は南奈を通り越して背後のほうにいる旭人を見つめ、呆れたため息をつく。それから視線は南奈に戻った。
「ここにお座りなさい」
 三人掛けの真ん中に座った彼女は、千雪がいた場所とは反対側の空席をぽんぽんと叩く。そうしながら、「わたしは茅乃(かやの)よ」と名乗った。
「わたしのことはみんなと同じように呼べばいいわ」
「はい」
「南奈さん、わたしと建留のはじめての子供で加納永都。今年の二月に生まれたの」
 ソファに座るまえに千雪に促されて赤ちゃんを覗きこむと、言葉で自己主張できないほど小さくてもこんなに顔立ちがはっきりするものなのか、明らかに父親似だった。
「おめでとうございます! きれいな男の子ですね。将来が楽しみな感じ」
 それは本心で云ったことだが、旭人を振り向くと、鼻で笑うようなしぐさをする。
「男の子は千雪さんの遺伝子を引き継がないみたいだから、次は女の子ね」
 確かに黒っぽい髪と瞳は千雪から引き継がれたものではない。
「おばあさま、生まれたばかりですよ。贅沢ではありませんか」
 苦笑いをしながら建留が諌める。
「夢を見るのはわたしの勝手よ」
 つんとしてあしらい、茅乃は南奈を見やった。
「さっきの初対面らしからぬ振る舞いはどうかと思うけど」
「南奈には遠慮する必要ないと云ってるから、こういうことは日常茶飯事になる。それをケンカと取るかコミュニケーションと取るか、そこは自由だ」
 旭人は敏感すぎるほど茅乃の言葉に反応している。そう感じるのは南奈の気のせいか。攻撃的な発言をしているつもりはないといったように、茅乃は首を横に振った。
「それくらいないとわたしとは渡り合えない、って続けようとしただけよ。一つ云わせてもらえれば、遠慮していないのは、旭人、あなたのほうじゃないかしら」
 茅乃が何を云いたいのか、南奈にはわからないが、旭人には通じているみたいだ。納得しているわけじゃない、薄らとした笑みがそのくちびるに浮かんだ。
「そう受けとってもらっても僕はかまわない」
「楽しみね」
「ご随意に」
 訳のわからない応酬のなか。
「おまえたちこそ、けんかはほどほどとわきまえたほうがいいと私は思うがな」
 と、滋がため息混じりに諭した。

 うんざりしたのではなく慈愛が覗く“名誉会長”の小言は、本人たち以外の面々にくすっとした笑みを誘った。
 旭人とは仕事上、普通に接しているから別として、南奈は加納家のことを雲の上に住む人たちのように感じていた。けれどいま、挨拶を交わしただけで、地位を剥がしたら意外に藤本家とかわらないような印象を受けている。
「あら、あなた。コミュニケーションよ。そう云ったわよね、旭人?」
 茅乃はしたたかに云いのけて、旭人と滋、二人の男性の口を封じた。
 ひょっとして加納家を牛耳るのは、大企業を動かす男たちのだれでもなく、この茅乃ではないかと南奈は思う。

「千雪さん、食前酒をお願い。おめでたい日だから、キール・ロワイヤルがいいわ」
 おめでたい日。それは果たして旭人と南奈のことだろうか。少なくとも不快にはさせていないという保証を得られてうれしい気分になる。
 茅乃の命令じみた“お願い”に、千雪は慣れっこの様子で「はい」とうなずいた。
「義姉さん、南奈には一滴でいい」
 すかさず旭人が口を出すと、千雪は「一滴?」と可笑しそうな声音で訊き返した。
 南奈の脳裡に嫌な予感が走った矢先。
「酒癖が悪いんだ」
「悪くありません! 金曜日はたまたまです」
 旭人は千雪の腕からごく自然に永都を預かりながら、南奈をちらりと見やって片方だけ口角を上げる。
「たまたまが今日になることだってあり得るんだろ? 二日も続けて介抱するのはごめんだ」
 保護者気取りがここにもいた。対等だと云ったくせに。南奈の反感が沸々と頭をもたげる。
「わたしだって、ベッドじゃないと眠れないっていうお坊ちゃんのお守りなんかしたくありません」
 向こう見ずに云い放ったとたん、ほんの数分まえの沈黙がプレイバックする。

 自分が何を云ったのか意識せずとも、誤解されかねない発言をしたことは確かだ。後悔しても口に出してしまったからには取り消しができない。睨めつけた旭人の眼差しに南奈は身をすくめる。
 そして、滋の高らかな笑い声がリビングに響いた。
 旭人の目が警告を込めてじろりと滋を向くものの、滋の愉快な気分が伝染したのだろうか、旭人の腕に抱かれた永都がケタケタと笑い、すると、旭人は気が削がれたようで、深くため息をついて不穏な気配を沈めた。
「南奈さん、素晴らしいわ」
 という、なぜか茅乃の絶賛を受け、すぐさま旭人は機嫌を損ねたようだが、またバカげたことになりかねないと判断したのだろう、黙殺した。

 それから始まった夕食のさなか、南奈は気楽度百パーセントとまでは行かなくてもそれに近い気分ですごした。
 藤本家よりもずっと気取った雰囲気だが、団らんは政治経済の堅苦しいことから美味しいと前評判のあるレストランが近くにオープンした話題までと幅広く、和気あいあいとした時間だった。

 ちょっとした――いや、重大なわだかまりさえなければ。
 そう意識すると悲しくなった。
 いままで経験したことがないくらい。

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