ミスターマシーンは恋にかしずく

第1章 ミスターマシーン流責任の取り方

3.ミスターマシーン命名

 いつから始まっているのか、南奈のもやもやした気分は終業時刻間際になっても持続している。何が原因かもはっきりしない。
 席の主は不在だと知っているにもかかわらず斜め前のデスクを見て、南奈はため息をつく。そうしてから、今日は幾度となく自分がこの繰り返しをしていると気づいた。
「どこか引っかかってる?」
 キーボードに置いた南奈の手が止まったことに気づいたらしく、隣の席から三沢亜優(みさわあゆ)が覗きこんだ。
 三十歳の三沢は一つ下の旭人の補佐をしている。悩みは童顔と本人が云うとおり、見た目は二十代前半でとてもしゃきしゃきと仕事をこなすようには見えないが、その実、旭人がもっとも当てにしているのは三沢だ。
 南奈が配属されたこのリフォーム部門は、賃貸と分譲の部門から独立して集約するという形で立ちあがってまだ三年めで、もちろん上司たちはいるが旭人は最初から携わってこの部門を盛りあげてきた立て役者だという。その主任補佐として二人三脚でやってきたのが三沢だから、信頼関係が築かれているのは当然だろう。
「あ、いえ大丈夫です。目が疲れただけで……」
 云いかけていると南奈はすぐ傍に人影を感じた。

 振り向いたとたん人影はかがんできて、南奈は目のまえに迫ってきた顔とぶつかりそうになる。思わず躰をのけ反らせたせいで、椅子ごと転がりかけた。すかさず、手が伸びてきて椅子の背もたれと南奈の腕がそれぞれに支えられる。
「すみません、ありがとうございます」
「何やってるんだ」
「加納主任のせいです。急に湧いてくるから、ほっぺにキスしそうで避けたんです」
 そのまま云ってみると、旭人はかすかに首を振り、周囲からはくすくす笑いが漏れる。
 今朝のことといい、今日は加納主任との接触率が高い。
 額をぶつけたときは見る間もなかったけれど、いまはごく近くに顔があって南奈は無意識に息を詰めた。
 髪はナチュラルに後ろに流れて、旭人の端整な顔立ちはくっきりと目に映る。間近に見た切れ長の目は鋭くても意外に冷ややかさは覗けず、少し斜め向いた顎の角度が妙に完璧に見えた。自分の普通ぶりが恨めしくなるくらい、男っぽいラインは綺麗だ。
「今朝のデコパンチと同じだろ。大げさな云い分だ」
 南奈の体勢が整うと、ため息混じりに云いながら旭人は手を放した。
「おデコとくちびるは違います。ファーストキス、そんなことで終わらせたくないので」
 云ったところで、ちょっとしたどよめきとともに――
「へぇ。ってことは、藤本さん、ヴァージンなんだ」
 と、正面から小泉史也(こいずみふみや)が口を挟んだ。オブラートにくるむわけでもなく声を落とすのでもなく、南奈に負けず劣らず小泉は堂々とした云いっぷりだ。
 旭人は険しく眉をひそめた。
 不評を買ったのは小泉か南奈かと問えば南奈のほうかもしれない。周囲の失笑は聞き流せても、旭人のことを知らぬふりはできなかった。明らかに睨(ね)めつけた眼差しを受けとめながら南奈は気落ちした。
 旭人にとって自分の評価が低いことは南奈も承知だ。都合が悪くて目を逸らしたと思われないように、何気なく正面に座る小泉のほうを向いた。
「それは想像にお任せします」
 南奈がおふざけぎみに云ったとたん。
「想像しなくていい。仕事中だ」
 ぴしゃりとした声音が頭上からはね返ってきた。
「加納主任、もう定時ですよ」
 からかうように口を挟んだのは三沢だ。助かったのか間が悪いのか、旭人は一文字に口を結ぶ。
「送別会、IOMA(イオマ)に七時半ですよね。残業も三十分で切りあげなくちゃ。加納主任は主役ですから今日は残業ダメですよ」
 リフォーム部で営業事務を取りしきる塚田千絵(つかだちえ)は、話題の矛先をさり気なく変えて取り計らった。
 旭人は吐息を漏らし――
「おれは飲み会の口実だろ」
 と口を歪めた。

 気分は入れ替わったらしく、おずおずといったふうに見上げた南奈はちらりと見られただけで、旭人は再びかがんで南奈のパソコンを覗く。
 ネットから拾ったマーケティングリサーチの資料をチェックされているなか、スタイリング剤がもとだろうか、旭人が放つ香気が南奈の鼻腔を刺激する。おまけに、マウスを動かす手は大きくて、男っぽく節くれ立つ指からも色香が漂う。なんでもないしぐさに見惚れてしまうのは南奈だけだろうか。
 旭人はやがてパソコンを南奈に明け渡した。

「おかしな勘違いも、間違いもないだろう。ここまで進んでいれば上出来だ。塚田さんのも合わせて、来週は現地調査に出て確認できるな」
「半ばにはそうしたいと思います」
 返事をした小泉に向かい、旭人は小さくうなずいてから南奈の斜め前の席に戻った。
 旭人がそこに座るのも今日までだ。十月になる月曜日からは住宅事業部を離れ、投資マネジメント事業部に異動する。課長代理に昇進して、フロアも一つ上になるからもう南奈との接点はそうそうない。
 旭人の後任、つまり南奈の上司は来週から小泉になる。彼はもともとグループ会社の業平不動産サービスにいて、出向でこの部署に来たすえグループ本部である、この業平不動産に移籍している。現会長の甥だが、それに甘えた様子はなく、加えて、先輩を差し置いて主任に昇進するということは仕事もできるのだろう。つんけんしたところも見られず、むしろ気さくすぎる。
「小泉さん、わたしのかわりに藤本さんを連れていったらどう?」
 塚田は小泉に提案すると、南奈のほうへ目を向けた。
「どう? 外に出るのもおもしろいと思うけど。営業のフォロー、もっとできるようになるし」
「あ、ぜひお願いします」
「おれもかまわない。動く人間が増えると助かるし」
「よろしくお願いします」
 南奈は小泉に向かってうなずくように軽く頭を下げた直後、自ずとその隣に座る動作に引かれ旭人に目が移る。
 気のせいかと思うくらい、目が合ったのはつかの間の出来事だった。


 業平と名のつくグループの本体は、総合商社である業平商事で、業平不動産はそのなかから独立した会社であり、またそこからいくつもの不動産関連の会社が派生している。業平グループは全体で十数万の従業員を率いて、経済界においても多大な発言権を持つ。
 就職活動時も入社当時も恐れ多いといった怯む気持ちが南奈のなかには確かにあったのだが、半年もたってみると雰囲気になじんだ気になっていた。
 傍からすると南奈は物怖じしないとか大胆だとか見えるらしく、その実、いつも不安だらけなのだが、うまく隠せているようでほっとしている。

「南奈ちゃん、それでフリーって話はどうなのかな」
 和洋中となんでもありの居酒屋IOMAは会社からひと駅のところにあり、業平社員が多い。『業平』という単語がほかの場所から聞こえるのは常のことだ。今日も例外ではなく、仕切った部屋の向こうからも耳に届く。
 そういう心地よいざわめきのなか、正面にいる小泉がほろ酔いかげんで話しかけてきた。“ちゃん”付けだ。入社当初、小泉はいまみたいに呼んでいたが、主任という内示が出てからは意識して“藤本さん”と呼び方を変えているのに、そうしないところは酔っている証拠だろう。
 南奈にしろ、飲めないお酒を探すのが難しいというくらいアルコール類は好きで、ほろ酔い以上に酔っている。おかげで頭がうまくまわらない。
「え、フリー?」
「カレシいないって、今朝、エレベーターのなかでそういうこと云ってたみたいだから」
「……小泉さん、同乗してました?」
 南奈が少し考えてから訊ねてみると、小泉は首を横に振った。
「南奈ちゃんと一緒に乗ってた同僚の奴から聞いた」
 小泉が返事をする間に、旭人が南奈のほうに顔を向ける。

 旭人の異動に伴って催されたリフォーム部門の送別会は総勢二十名ほどで、貸し切り部屋の席配置は、おかしなことに旭人を中心にしてデスクの順にきちんと座っている。
 だから、斜め前にいる旭人は嫌でも南奈の視界に入ってきて、その雰囲気さえ目の片隅に捉えた。
 おれの云うとおりだろ。そんな言葉が聞こえそうだ。

 無言のコンタクトを気づいてか否か、小泉は「ファーストキスの相手募集中なら挙手するけど」と云いつつ――
「いまはオフだし、こういう話もオッケーですよね」
 と、隣を振り向いて取りつけを試みた。
 代理を含め課長と部長たち上司も在席しているなか、社内恋愛に発展しそうな発言は果たして見すごされるのかと疑いながら、一方ではなんと答えるだろうと好奇心が湧いて南奈は旭人に目を向けた。
「会社に迷惑かけないかぎり、プライヴェートに口を出すつもりは毛頭ない」
 あまりにもきっぱりした云い分だ。今朝、旭人が南奈を責めたのはやはり会社のためという理由かららしい。
「加納主任」
 なんとなくいらいらして南奈は旭人に呼びかけた。
「なんだ」
「お兄さんがミスターパーフェクトなら、加納主任はミスターマシーンですね」
 南奈が無遠慮に云い放ち、ひと呼吸置いたそのあと、大小様々ではあれど隅から隅まで失笑が蔓延した。

 そこではじめて南奈は自分たちの会話が注目されていたことに気づいた。
 始まりとなった話題が恋愛沙汰なだけに興味を引くのに違いなく、加えて旭人が絡んでくれば好奇心を煽るはずだ。旭人は創設者の末裔(まつえい)であり、なんといっても業平不動産のセレブリティダントツの人だ。
 もとい、恋愛ということに限っても、兄の加納建留(かのうたつる)は従妹の女性とすでに結婚しているが、旭人は独身だから注目の的になっている。
 その証拠に、部下である南奈は同期たちからもよく旭人のことをどんな人かと訊ねられたり、普通に話せる立場にいることをうらやましがられたりする。
 南奈は旭人に女性の存在を感じたことはないし――もっとも、恋愛は完全に発展途上という南奈の感覚は当てにならないが――噂もない。いや、ミスターマシーンだからこそ、カノジョがいてもだれも気づかないのかもしれない。
 いずれにしろ、二十九歳という年齢を考えれば、いつ結婚の話が持ちあがっても不思議ではない。顔や躰つきが異様に不細工ならまだしも、格段上級の容姿はケチをつけるところがなく、縁談話があって旭人を端(はな)から断る人はいないだろう。だから、興味の対象から逸れるわけがない。

「どう解釈すればいいんだ?」
 旭人は揶揄と取ったのか、不快さを買ったのかはその声音から判別はできなかった。それとも、この場の雰囲気を白けさせないために聞きたいふりをして、実は南奈の発言を歯牙にもかけていないのか。
「そのままです。狂うことがなくて正確だけど、全然おいしくありません」
 また堪えきれないといった笑みが漏れるなか、旭人は皮肉っぽくくちびるを歪める。
「藤本さんはなかなかの大物だな。ミスターマシーンか」
 と、部長が横やりを入れて豪快に笑ったとたん、遠慮がちだった笑い声がどっと湧いた。
 その後はだれもが肩肘張らず、仕事の話やらドラマの話やら、いろんな話題が出て大いにとはいかないまでも和気あいあいと盛りあがった。
 ちょっとした苛々、もしくは不満は解消されなかったが、仕事仲間として先輩たちとより近づけた気がして南奈も楽しんだ。
 送別会は九時にいったん終わらせると、旭人を除外して上司たちは早々と退散していく。歓迎会のときもそうだったが、業平の上司たちは気が利くと南奈が感心するところだ。
 二次会はいくつか候補が挙がったすえ、結局はIOMAに残った。

「追加注文ある? 一緒に頼みますよ」
「塚田さーん、アレクサンダーをもう一杯お願いします!」
 南奈は遠慮もなく手を上げて、チョコレートケーキ風味のカクテルを注文する。
「大丈夫なの?」
 と塚田は笑いながら「ベースはジン? ブランデー?」と問いかける。
「ジンで」
「やめとけ。甘いから騙される。かわりにチョコレートケーキ食べればいい」
 旭人が口を挟んだ。
「かのー主任、ここ、ケーキありませんよー」
 間延びした声で南奈が指摘すると、旭人はため息をつく。

「買ってこようか? ずいぶんと気分よさそうだし」
 今度は小泉が口を出してくる。
「気分、めちゃくちゃいいですよ。でもぉ、近くのケーキ屋さん閉まってると思いまーす」
「ケーキ屋さんじゃなくてもコンビニあるし」
「あーそっかぁ……でもチョコケーキ、けっこう好みうるさいんですよねぇ。だから、わたしも行きますっ」
「それじゃ」
 と立ちあがりかける小泉を南奈は「あ、待ってください」と手を上げて制した。
「小泉さんじゃなくって、かのー主任、行きましょお?」
 旭人を指名すると同時に首をかしげると、旭人の反応を見る間もなく南奈は頭がくらくらした。
「藤本さん、主任に懐いてるねぇ」
 と、南奈と同じく酔っぱらっているせいだろう、のんびりした口調でからかった三沢は、それでも南奈の異変に気づいたらしく、南奈の腕を引っ張った。そうしてくれなければ、反対隣に座る営業マンに膝枕をしてもらう破目になっていたかもしれない。
「あ、三沢補佐、すみませーん。ありがとーございます」
「買いにいける状態じゃないだろ。それよりも帰ったほうがいいんじゃないか」
 少しも酔った様子のない旭人がうんざりした声音で諭す。
「だいじょーぶですよぉ。酔っぱらってるけど意識ちゃんとしてますからぁ」
「加納主任の云うとおり、南奈ちゃん、危なっかしいな。電車だとホームから落ちそうだし、おれ、送っていいよ」
 またもや小泉が口を出して邪魔をした。
「小泉さん、わたし、かのー主任に云いたいことあるんですよねぇ。今日が最後のチャンスだしー」
「わお。何々?」
 どよめきのなか三沢は好奇心を剥きだしにして、顔をしかめた旭人を見やってから南奈を覗きこむ。
「だからぁ、みんなのまえで話せることだったら、とーっくにそうしてますってば。少なくとも、皆さんのまえで業平の偉い人をいいかげんだとか嘘吐き呼ばわりできないしぃ」
「なぁんだ。嘘吐きとかも聞き捨てならないけど、それよりも好きとかいう告白とは違うの?」
 塚田はがっかりとした様子で問いかけてくる。周囲からは落胆とも取れるため息があがったところをみると、だれもがそう期待したらしい。
「残念ながらぁ、好きな人はほかにいます!」
「残念だな」
「でも!」
「でも、何?」
 小泉は可笑しそうに首をひねって続きを催促した。
「とーっくに失恋してますので!」
「それでも好きって一途なんだ」
「ですよぉ。わたしと恋愛して得なのはそれくらいかも」
「いや、いまなら、男としては得することが確実にもう一つあると思うけど」
 小泉はにやつきだした。
「なんですかぁ?」
 と南奈が問い返す間に三沢がテーブルに身を乗りだした。
「小泉さん、藤本さんに手を出すならいいかげんじゃ困るから」
「三沢補佐、おれがそう見えてるなんて心外ですね」
「軽いのは口だけって知ってるけど念のため。社内恋愛って面倒なんだから」
「軽いってひどいなぁ」
 小泉はわざとふて腐れてみせて失笑を買う。何気なく南奈の視界に入った旭人をふと見やると、笑っていなくて、逆に冷ややかな視線と合う。
「南奈ちゃん、さっきの。好みあるし、男としてっていうより、おれとしてはって訂正する」
 小泉に目を戻して南奈は、今度はくらくらしない程度に首を傾けた。
「意味がわからないんですけどー」
「頭悪すぎだろ。酔っぱらっている証拠だ」
 眼差しと同じひんやりした声が割りこむ。
 南奈の傍若無人ぶりがたまに鼻につく人がいる。だから、呆れられるのは慣れているし、どうということはない。そう思ったのに、酔っぱらっているのに、さみしくなった。
「ですね。この際、とことん飲みます」
 そう云って、グラスに三分の一くらい残っていたアレクサンダーを南奈は飲み干す。

 囃し立てる声のなか――
「カクテルはそういう飲み方するもんじゃないだろ」
 と、険しい声とともに斜め前から手が伸びてきて、そうしてももう意味はないのに旭人は空になったグラスを取りあげる。
「ケーキ、買いにいくんなら来い」
 旭人はさっさと立ちあがり、ぐるりとテーブルをまわってくる。南奈が一つも身動きがとれないうちに背後の戸を開けた。
 もたついていると置いていかれそうで南奈は急いで腰を上げる。が、いざ立ちあがろうとすると、座りっぱなしで脚がこわばっているのか、それとも酔っているのか、バランスがうまくとれない。旭人はすかさず南奈の腕を取って、不安定に揺れた躰を支えた。
「やっぱり飲みすぎだろ」
 南奈のほうがやっぱりと文句を云いたくなるほど、旭人の声は呆れ返っている。
「だれも止めなかったから飲んでもいーんだと思って。まずかったですかぁ?」
「まずくはないわよ。ヘンに絡んでくるわけじゃないから。今日みたいに飲むんだったら介抱者は必要っぽいけど、藤本さんにはだれかしら候補いるみたいだし」
 おもしろがった三沢は南奈から小泉へ、そして旭人へと目を移す。
「藤本さんて入社してまだ半年なのにヘンになじんでる。めずらしい子が入ってきましたね」
 本人を真横にして三沢はからかう。その対象は南奈なのか旭人なのか。
「トラブルのもとだな。面接官のミスだ」
 ちょうど立ちあがった南奈は旭人を見上げて睨みつける。けれど、お酒のせいで迫力不足なのだろう、旭人には――加えてミスターマシーンにはまったく有効じゃない。かえって、南奈のほうが責めた眼差しという報復に遭う。
「二回もそういうこと云うなんてひどいです!」
「おれのミスだって云ってる」
「三回め!」
 忍び笑いがさざめく。
「藤本さん、ミスターマシーンもヒューマンエラーを起こすみたいよ。責任持って巻き返してもらわないとね」
「三沢補佐、かのー主任はもうわたしの上司じゃなくなるし、話すことだってなくなるから、巻き返しなーんて無理です! このままのわたしを受け入れてもらわないと困りますよぉ」
「はいはい。それだけ自己主張できれば立派。いってらっしゃい」
「いいかげんだとか嘘吐きだとか、最後っていうこの際だから加納主任には絡んじゃえば? いってらっしゃい」
 三沢のあとを塚田が興じて続いた。
「じゃあ遠慮なく。いってきまぁす」
「塚田さん、よけいなひと言だろ」
 ふたりの言葉が重なった直後、引っこ抜かれるように腕を持っていかれ、南奈は慌ててバッグをつかむ。
「ふたりでフケても追及しませんから」
 男性の声はだれなのか、そんな戯れ言を背中に聞きながら貸し切り部屋を出た。

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