ラビュリントス

Heart of Love
The core〜アイの核〜 #1

 開いた脚を腕に抱え、その間におさまる腰はゆったりとうねっている。水を掻き分けるような音も相まって、スローな平泳ぎを連想させた。オスの広い背中が邪魔をして、組み敷かれた彼女の姿は太い腕から飛びだした脚しかわからない。息を継ぐ呼吸音は彼女のものだろう、かすかながらも甲高く、苦しさに喘ぐようだった。
 それが切羽詰まってくると、同時に彼女の脚がこわばっていく。力がこもるあまり爪先が丸まっていた。まもなく、悲鳴が迸った。
 いや、正しくは悲しみ鳴いたのではない。
 オスはくぐもった呻き声を漏らしたかと思うと、彼女の脚を抱えたまま荒々しく躰をまえに倒した。オスとメスのセックスが剥きだしになる。そこだけがクローズアップされ、脳裡に焼きつくような気がした。
 オスが奥へと潜っていくと彼女のお尻が小刻みにふるえる。離れる寸前まで出てきたオスは、フロアランプのオレンジ色の光のもと、点々と小さく煌めく。それは再び彼女のなかに沈んでいった。その繰り返しのなか、また彼女は追いつめられていく。
 い、やっ。
 彼女は嘘を吐く。虚しくさせる拒絶の言葉だった。
 だめっ。
 仮初めの拒絶を吐きながら――
 愛してる。
 彼女は最大の至福を得た。
 息絶えたように静かになった彼女と、真逆に咆哮(ほうこう)を放つオス。まだなんの香りも染みついていない真新しさのなか、室内はふたりが精製した芳香でマーキングされていく。
 しばらく眺めていたが、下卑た芳香が鼻を突き、吐き気を催す。顔をしかめて振り払うように目を閉じると、満足げに躰をふるわせているふたりを一瞥してドアを閉めた。

 リビングに戻ると、結婚パーティの三次会の残骸はそのままで、いるのはソファに寝そべった一人だけだ。新婚のふたりを邪魔してしまうという気遣いはそっちのけで、だれもが酔っぱらったふりで自ずと散会したなか、まだお酒に慣れず、熟睡しているのだろう、動きまわっても目が覚める気配はない。
 あとのふたりは二階にでもいるのか、そこで何が起きているのか想像はつく。
 ため息をつくと、あのときのように、のどがからからに渇いていることに気づいた。キッチンへ行って勝手に冷蔵庫からお茶のペットボトルを取りだす。コップに注ぎ、また冷蔵庫に戻して振り向くと、直後、いつになく驚いた。飛びだしそうになった悲鳴は口に手を当てて防ぐ。
 見てた?
 人を恥ずかしくさせることを臆せず、それどころか彼はずけずけと直球でくる。
 気づいててもやめないほうが――ううん違う――見せびらかすほうがどうかしてると思いますけど。どうでした、わたしからの恩返しは?
 感謝してる、なんてことは素直には云えない。
 彼は複雑な心中を吐露した。
 愛されて眠りにつくってどんな気持ちなのかな。彼女のほうが愛してるかどうかは別にして。
 意地悪く云うと、彼は目を細めて睨むような気配を纏う。意図した反応がそっくり現れた。
 このことで彼女をからかってもきみが笑われるだろうな。
 遠回しの警告に違いない。それとも彼女をかばうだけのため?
 どういう意味?
 彼女は憶えてないから。たぶん。一種のトラウマだ。
 さっきまで知性に欠けたただのオスと化していた彼は嗤うが、その実、さみしさが見えた。
 同情はしない。トラウマがどんなことなのかはっきりはわからないが、それが彼女と彼を引き離した要因なら――もっと痛めつけられたらいいのに、そんな思いがよぎった。この彼も、彼女も。
 幸災楽禍(こうさいらくか)。そんな気持ちは見透かされている。同情という、彼からいちばんもらいたくない表情が向けられた。
 なるほど。はじめてじゃなかったんですね。でも、憶えてないとしたら、彼女を無理やり犯してるのと同じことじゃない?
 そのとおりだ。
 けれど、全然違う。
 愛してる。一週間まえにもその言葉は彼女に向けられていた。彼女の何がそう云わせるのだろう。
 きみの計画は叶ったのか?
 まだ一週間ですよ。でもタイミングは悪くない。成功するか否かを左右するのは細胞レベルの相性問題だけ。
 わからないな。
 わかるわけない。わたしが云えるのは、大事なものを守りたければもう一人の親友には気をつけて。弱みを突かれるから。
 きみになんの弱みがある?
 知ってるでしょ?
 彼は肩をそびやかした。肯定を表したにすぎないのかもしれないが、彼にとってはどうでもいい、些細なことだとあしらわれたように感じる。
 あいつのことはわかってるんだろうな。
 彼は顎をしゃくってリビングのほうをさした。
 もちろん。忘れようとしても忘れられないのなら、忘れてたまるかって思ったほうがラク。そうするのに彼は打って付けだから。
 あいつは? 知ってるのか?
 さあ。そんなことはどうでもいい。
 いいかげんに片づけると、彼は眉をひそめた。
 きみだから起こったことじゃない。だれかのせいでもない。悪い奴らが悪い。
 何を気取(けど)ったのか、彼はじっと見下ろしながら、一見、真っ当で当たり障りのないことを口にして釘を刺した。
 彼女だったらって考えたことあります?
 彼は薄く嗤う。
 むしろ、そればかり考えるって云ったら?
 それだから彼は彼女から離れられない。忘れられないのだ。皮肉な気がした。彼女はそうやって彼に守られている。
 バカみたい。そんなに好きなら奪う。それくらいのことできたでしょ。
 そうできない、バカバカしいくらいのプライドがある。
 もとい、こっち側の弱みなど彼にとってはどうでもいいこと。彼女以外のことなどどうでもいいのだ。忠告するまでもなく、彼は承知でこんな立場を選択している。
 彼は知性には欠けていない。だからこそ羨む。

 およそ五年まえのこと、真夜中の男女の逢瀬にしては色香のない会話だった。
 彼だから羨んだのか、彼女を羨んだのか、はっきりしない。
「ねぇ」
 呼称を省いて声をかける。
「ああ」
 荒く息をつく彼はまだ休んでおきたいだろうに、すぐさま片肘をついて躰を起こしかけた。
「待って。シーツが汚れるから」
 彼の腹部に散った、彼自身のオスのしるしを拭き取った。
 彼が仕事から帰ったばかりの夜明け前。ベッドに入った彼を出し抜けに襲ったのだが、抵抗もしなければ、一方的な行為に反応もちゃんと見せる。プライドのある男なら侮辱と受けとるだろうに、彼はきっと犬よりも忠実だ。
 拾ったばかりの頃は、ちょっと突けば倒れそうにしていたのに、いまだんだんと彼の姿態は、彼が尊敬する人に近づいていく。
 彼は起きあがると、手を伸ばして頬をくるんできた。
 最初にそうされたときは振り払った。男に触られるのは嫌いだから。それでもめげずに繰り返されるうち、この手だけは許せるようになった。
 けれど、それ以上は無理だ。顔を近づけてきた彼の口もとを手で覆い、押し返した。
「ごめん」
 彼はお決まりで謝る。けれど、おざなりではない。
「もう出ていってもいいよ」
 唐突に云い放つと、彼はショックをありありと顔に浮かべて息を呑んだ。
「なんでそんなことを云う?」
「面倒になっただけ。わたしが男を苛めるのが好きっていうのは知ってるでしょ。もうあんたはイジメ甲斐ないし、キスを求めるなんて反吐(へど)が出る。自分で生活できるくらい稼いだでしょ」
「おれは食べさせてもらうためにここに転がりこんだんじゃない」
「そんなことはどうでもいい。わたしが面倒くさいだけなんだから」
「おれは出ていかないからな。今度はおれが――」
「食わせてやる?」
 さえぎってあとを継いだ。
 下らないプライドのかわりに彼のオスを握りつぶすようにつかんだ。呻き声が漏れ、手のなかのオスは反発してくる。
「男を誇示したがるなんてわたしは望んでないし、苛められて喜ぶのを見るのも飽きたわ」
「違う。誇示してるとかじゃない」
「そう? 喜ぶのは否定しないの?」
 嘲りながら手で摩撫(まぶ)すると、一度めが終わったばかりなのにオスは著しく反応を示す。容赦なく追い立てていった。
 ずっとまえ、名も知らない男をそうしながら、蔑(さげす)み嗤うことに悦楽を覚えていた。
 それがいま――
 何を自分が望んでいるのかもわからず、羨む気持ちがどこに向かっているのかもわからなかった。

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