ラビュリントス

逆行
#3

#-007 パパ似

 優衣はパパ似。
 だれからも可愛いと云われて、賢くて。
 わたしは全部が中の中という平々凡々だけれど、優は全部が上の中。控えめに云わなければ上の上。
 天文部という一見するとインドアっぽい印象だけれど、優は体育祭でもクラスマッチでも活躍していた。家業を継ぐといって大学には行かなかったけれど、成績だって常時十番以内に入るほどよかった。
 優の両親は顔立ちが華やかで、優はそれを受け継いでいる。そして、今度は優衣が。それは加来田家のほうが優性遺伝するということだろうから、きっと将来生まれてくる優衣の子供も優の遺伝を受け継いで可愛いのだろう。

 パパとママ、どっちが好き?
 そんな意地悪な質問をよくしたよね。
 そうしたら。
 優衣はパパを探してきょろきょろするの。気配がないと知ると、ママ! って叫ぶ。
 きっとパパが同じ質問をしたら、わたしの気配を感じないところで、パパ! と叫んでるんだろうな。
 それでもいい。
 会えるとは思っていなかった“優衣”に会えたのだから。
 それは……奇蹟だって思う。
 ママはあんまり勉強ができないし、だからありふれた言葉しか出てこないけれど、本当に奇蹟だった。

 大丈夫だ。がんばれよ。
 お産の日を迎えて、優はわたしを力づける。その実。
 優のほうが顔、蒼いよ。
 わたしが笑うと、優は降参したように大きくため息をついた。
 躰、切るとかさ、なんか想像できないんだ。百パーセント安全てわけじゃないしさ。
 普通の出産だってそうだよ。今時って思うかもしれないけど、亡くなる人もいるし、脳内出血で後遺症とか出ちゃう人もいる。痛いとか苦しいとか、そんな時間は普通の出産より帝王切開のほうがラクだよ。陣痛、たいへんな人はものすごくたいへんらしいから。
 そりゃそうだけど。
 大丈夫。がんばるよ。赤ちゃんもね。
 結局、わたしがなぐさめる側になってまた笑ってしまった。
 優が釣られて苦笑いをする。
 安定期に入るまでは、うれしい気持ちはもちろんあったけれど、結婚して一年もしないとき流産をしていて、だから何よりそんな最悪のことを心配していた。
 何事もなく乗りきったと思ったら、二十五週を迎えたときに前置胎盤という診断を受けた。下手すれば大出血という危険な状況にあり、妊婦という期間を楽しむ間もなく安静を云い渡された。
 その一カ月半後には入院して今日、六月十三日、三十八週で帝王切開に至っている。
 手術室に連れていかれるまであと三十分だ。
 まあ、偉人さんがいるし、大丈夫だよな。
 優はぼそっとつぶやいた。自分をなだめているような口ぶりで、それだけ心配しているのかと思うと、笑うよりはうれしくなってわたしは笑顔を向けた。
 偉人くんはお医者さんじゃないけど。
 けど、経営陣だし、偉人さんはシビアらしいし、下手な医者を置いとくような人じゃないだろ。
 それに、自分の奥さんを危険な目に遭わせるはずないし、ね。
 ……まあな。
 相づちを打つまで、優はどこかためらったように見えた。
 どうかした?
 何が?
 優は首をひねった。惚けたのか、本当に何もなかったのか。と、そこまで考えて、わたしは“何か”の原因を思いついた。
 蝶子のこと、呆れてる?
 呆れている原因は、わたしが帝王切開と決まってから、蝶子が自分も同じ日に生みたいと強硬に主張したことだ。そのすえ、偉人を従わせ、経営者という立場にものを云わせた。
 優は一瞬だけ黙りこくるように口を結んだあと、ふっと息をつくように笑った。
 だな。普通さ、同じ日を選ぶかって話だ。仲良すぎるのもどうかと思う。
 だね。偉人くんがそういうのに付き合う人って思わなかったけど、蝶子は特別みたい。無理して取り計らったんじゃないかな。
 偉大なる北宮病院のお坊ちゃんで蝶子もラッキーだったってことだ。
 めずらしく皮肉っぽく聞こえた。
 それは蝶子に対してなのか、偉人に対してなのか。そう疑問に思っていると、ドアがノックされて噂の人、偉人が病室に入ってきた。
 萌絵ちゃん、おはよう。どう、緊張してる?
 眼差しはいつものごとく冷然としているのに、声はやわらかく響く。その落差はなんだろうと偉人の不思議の一つだ。
 平気。蝶子よりひと足さきにがんばる。優のほうが緊張してるから、偉人くん、手術の間はよろしくね。
 偉人は笑いながら首をひねることで了承を示した。
 おれだって緊張してるかもしれない。
 常に平然としているくせに、そう云った偉人は心持ち苦笑して見えた。やっぱり蝶子のことになると、自分の病院でも心配になるらしい。
 偉人をからかうように笑いながら見上げたとき、合わせたようにその眼差しがわたしにおりてくると、ふと、蝶子がうらやましいと思った。
 なぜだろう。さっき、優に心配されてすごくうれしかったのに。それだけでは物足りないようなさみしさを感じた。
 何かが心底から突きあげてきそうになって、わたしは慌ててふたをした。
 わざわざ躰に傷をつける必要はないのに、蝶子のやつ、強情だからな。偉人さんもたいへんだ。
 萌絵ちゃんが妊娠中たいへんだったことを考えれば、優の心配の半分にも及ばないだろう。
 つまり、おれたちはいい旦那だってことですよね。
 わたしたちの病室は、直後に入ってきた蝶子が怪訝にするほど、笑いに満ちた。

 その日、優衣が生まれ、柚似が生まれ、二つの家族は二重に喜んだ。
 ちょっと小さくて、おっぱいがあげられたのは三日めだったけれど元気だった。
 すごく元気だった。

 優衣が生まれたのはきっと……ううん、やっぱり絶対に奇蹟だった。
 無事に生まれてきてほしい。それだけだった。

 ママのひいき目じゃなくて、優衣は本当に賢い子だよ。
 今度は。
 優衣のこと好き?
 優衣がそう試しているんだよね。
 ママは泣けないくらい心配してる。パパだって泣いている。
 もうわかったでしょ? だから、人形のふりなんてやめて起きていいんだよ。
 ――優衣。

NEXTBACKDOOR