NEXTBACKDOOR|ふぞろいの恋と毒-クロス-

第3章 恋中毒
1.Start Over

 聴覚で音といえないような唸(うな)る音を聞き、慣れない感触を躰に覚えながら、朱実の意識はゆっくりと這いのぼるようにしながら浮上する。重たい足枷がぶらさがっているようにスローテンポで、それは、それ以上のぼる必要はないというだれかの忠告か、それとも自分が何かから逃げたがっているのか。
『お風呂、どうぞ』
 ふいに人間離れした平坦な声が耳につき――
「わかった。待機」
 次に、頭上で人間の――明らかに男の声がして、同時に背中がかすかに振動した。
『了解』

 何?
 自分がどこにいるのか、眠りのなかにいることさえも朱実は把握できていない。
 浮上するのはやめて、また底に引き返そう。そう思ったとき、波打つ海に漂っているかのように、朱実の躰は大きく揺れた。首の下にあったものが引き抜かれ、躰に載った重みが消え去る。
 怖い。そんな気持ちが押し寄せて、目を開けられない。
「朱実」
 知っている声かもしれないし、知らない声かもしれない。そう思うのは、声と、朱実をそのまま名前で呼び捨てる人が一致しないからだ。
「朱実」
 再び呼ばれて今度はびくっと躰がふるえた。
 逃げようとしたのは本能なのか。転がるように躰を起こしかけたが、溺れかけているように足掻いただけで、その間にベッド降りて正面にまわった紫己に捕らわれた。正確には抱きあげられたのだが、朱実からすると捕獲以外のなんでもない。
 放してと云うかわりに呻いた。下腹部が鈍痛を訴えたせいかもしれない。躰の中心はひりつくような違和感を訴える。

「風呂だ」
 歩きながら紫己が発するのは単語だけで、短い言葉からはなんの感情も窺えない。
 反射的に身がすくみ、そうして縮こまった躰を落とさないようにするためか、朱実を抱く腕がきつくなった。
「CB10(シービーテン)、ドアを開けろ」
 立ち止まり、だれに向けてか紫己が命令する。
『はい、どうぞ』
「待機」
『了解』
 そんな会話の合間におそるおそる目を開けると、視界の端っこでドアが開くのに気づいた。紫己の両手は朱実を抱いてふさがっている。脚を使う様子もなく、ということは自動で開いたのだ。
 いや、そう不思議なことではない。朱実の生活レベルからすると考えられないが、紫己のレベルならどんなシステムも可能だろう。
 CB10が何か知りたいという興味を持ち、そんなふうに思考が自分のことから離れると、少しだけ気が紛れた。
 ただ、それも長続きはしない。脱衣所を通過してバスルームに入ると、床におろされた。紫己がドアを閉めてバスルームを密室にしてしまう。起きたときは手首にはネクタイもなく、縛られてもいなかった。けれど、逃げる場所がないというのは拘束されているのとかわりない。
 紫己がシャワーの温度を調整する間、それを半ば呆然と見るだけで、自分からは逃げたり反撃したり何も仕掛けられなかった。紫己はまもなく立ちあがる。

「熱くない?」
 朱実の足もとにシャワーをかけながら紫己は訊ねた。
 朱実は首を横に振る。自分でやるからと主張するのも怖い気がして、されるがままに任せた。
 シャワーは足もとから始まってだんだん上へと移動する。下腹部まで上がってくると。
「脚、開いて」
 紫己の命令が下った。怖い思いをさせられたくせに、朱実はすぐには従えなかった。
「朱実」
 たった名前を呼ぶだけでこんなにも人を怯えさせられるのか。
「びくびくしないでいい。痛めつけるようなひどいことはもうしないから」
 紫己はつぶやくように口にした。それまでの端的な言葉には見えなかった感情が宿っている。それがどんな感情かはつかめなかったが、昨夜の淡々とした無表情な紫己ではない。

 朱実はかすかにうなずいて、心持ち脚を開いた。さっきまでシャワーをかけるだけですませていた紫己は、脚の間に手を忍ばせた。
 あっ。
 敏感な場所に指が触れ、朱実は身ぶるいしながら短く悲鳴を漏らす。
「おれに捕まってていい。きれいにするだけだから」
 云われたとおり、少しまえかがみになった紫己の肩につかまると、指先は無遠慮に躰の中心を這いだした。シャワーヘッドを斜めにしてそこに当てられる。
 ん、あっ。
 脚がくずおれそうになる。自分でこんな洗い方をしたことはなく、これほど繊細な神経が集まっているとは思っていなかった。
 シャワーで絶えず無数の刺激があるうえに、紫己は突起に指先を絡めてくる。きれいにするだけという言葉は嘘かもしれない。無理やり襲われたのに、昨日の今日で信用するなど本当にどうかしている。

「高階さんっ」
 昨夜も制止するために何度も紫己を呼んだ。紫己はやめることがなかった。それなのに、ここでも自分が教訓を得ていないと気づかされる。愚かだ。
 けれど、直後、朱実の叫びが伝わったかのように紫己は躰の中心から離れた。
 何も特別なことはしていないというように、さり気なくシャワーは朱実の躰をのぼっていく。シャワーはやがて離れていき、紫己は自分の躰を軽く流してから湯を止めた。
「入って」
 紫己はバスタブを指差した。なかにはすでに満タンに近く入っている。
 普段からシャワーしか浴びない朱実には贅沢な誘いだ。否、命令か。いずれにしろ、長居する必要はない。朱実は頭(かぶり)を振った。
 無理やり従わせるかと思うと、そうはせず、紫己はあっさりと引いた。

 バスルームを出ると、下着も何も着るものがないことに気づく。紫己はバスタオルを渡し、朱実は躰に巻きつけて脱衣所を出た。
 下腹部の違和感はきれいにしてもらったからといって少しも拭えていない。むしろ、歩くたびに鮮明になっていく。
 下着はベッドルームにあるはずと廊下を横切って向かいながら、朱実はハッとした。ワンピースのドレスは紫己によって、おそらく裂かれた。どうやって帰れるだろう。そのまえにどうやってもリース店に返せなくなったという問題がある。
「高階さん、……」
 振り返ったとたん、もっと後ろにいるだろうと思っていた紫己はすぐ傍にいて、身をかがめたかと思うと、躰がすくいあげられた。
「高階さんっ」
 叫んでいるうちに、すぐ傍のベッドに運ばれた。
 ベッドに仰向けに横たわり、躰を跨いだ紫己は朱実の両脇に手をついて見下ろしてくる。
 朱実は目を見開き、真上の紫己の顔を見つめる。さっきまで、合わせられなかった目と目が合う。

「悪かった」
 紫己は率直に謝罪した。
「……どうして?」
「頭に血がのぼった。あまりに簡単に桔平を信用して、おれが忠告したにもかかわらずパーティドレスまで買った」
 そのどこに昨夜みたいな目に遭わなければならない理由があるのだろう。
「……わからない」
 朱実の言葉に紫己はうなだれてため息をつく。そして、自嘲めいた笑みをこぼす。
「嫉妬したんだ。朱実のなかにおれを刻みたかった。躰にということじゃなく、ここに」
 紫己は朱実の胸の間に手を置いた。バスタオルははだけていて、じかに肌に触られると慣れていないぶん、やはり過敏な反応を示してびくつく。
「おれは……朱実に縛られているのかもしれない。自由にしてくれる気ない?」
 どういう意味なのか、朱実には読みとれない。
「おれを知ってほしい。ゆっくりでいいから」
 紫己はまっすぐに見下ろしてくる。嘘は見えないけれど、桔平にもそう感じていた。
「……わからない」
「わからせる」
 紫己は宣言するように云い、急に顔をおろしてくる。焦点が合わなくなり、表情は無論わかるはずもない。
「口、開けて」
 くちびるのほんの傍で紫己が囁き、朱実は条件反射でその命令を聞いていた。

 くちびるが合わさったかと思うと、するりと紫己の舌が入ってきた。上唇を裏側からすくい、軽く吸いつかれる。
 キスは三度めで、二人め。一度めはタッチするだけで、二度めはファーストキスがなんだったのかと思うくらいのぼせた。三度めは――と考え始めたところで下唇が咬みつかれた。
 んっ。
 朱実は呻き、紫己はわずかに顔を上げた。
「何を考えてる?」
 キスに集中しているか否か、紫己はそれを察せるほど感覚が鋭いのか。朱実はかすかに首を横に振った。
 真意を確かめるように一呼吸ぶん見つめたあと、紫己は顔を下ろしながら舌を出し、咬んだところを癒やすように舐める。
 咬んだといっても、あとまで痛みが続くほど強くそうしたわけではない。咬まれた感触はすぐに消え、舐められる心地よさに変わった。
 朱実のくちびるが自然に緩み、紫己は待っていたようにすき間に舌を滑らせた。それから上唇、下唇、そしてすき間へと舌先の摩撫がゆっくり繰り返されていく。

 もどかしくて、もっとという欲求が朱実のなかに芽生える。
 どうかしている。無理やりで、あまつさえ痛みも容赦なく与えられたのに。
 自尊の欠片もない自分が果無(はかな)くて幻滅するのは、まだどこか希望を捨てきれないでいるからだろうか。
 だめ。
 すぐさま希望をシャットアウトした。連動してくちびるを閉じようとしたとき、やはり朱実の思考を察したように紫己は舌をなかへと忍ばせて閉じられなくした。
 いや、紫己がそうしたように舌に咬みつけば出ていく。そう考えかけたところで、ふいに紫己が斜めにした顔をさらに横に傾けて、舌と舌を合わせてきた。
 その鮮烈な感触に朱実は呻いた。朱実の舌をすくい、甘咬みしたかと思うと吸いついてくる。
 ぅんっ。
 快楽は朱実にとって未知だ。ちょっとした刺激で痺れるような陶酔感を覚える。
 紫己は舌を絡めたり吸引したりと、絶えず快感を煽(あお)った。思考力はまるっきり役に立たなくなって、ふたりの間で生成される蜜を嚥下(えんげ)しきれず、朱実は赤ん坊のように口の端からこぼした。
 熱に浮かされたように上気していく。紫己がくちびるを放す寸前、ひと際強く吸いつかれて舌が小刻みにふるえる。
 喘ぐように息を継ぎ、目を開いてみると、見下ろしてくる紫己の顔は輪郭がぼやけて見えた。

「キスはよかった?」
 くちびるも舌も腫れぼったく感じて、うまく話せない気がした。それに、答えるには恥ずかしい質問だ。朱実は目を伏せた。
 紫己の声音を読みとれば、からかうようで、なお且つ満足そうだ。朱実が答えなくても、見ればわかることかもしれなかった。
「昨日の償いだ。セックスから感じるのは痛みじゃない。最後まではやらないから」
 返事を待つこともなく、紫己は顔を下へとずらした。その口が開き、朱実の胸もとへとおりた。
 あっ。
 朱実の口から飛びだしたのは、驚きというよりは悲鳴だった。
 薄らと桜色に染まった胸のトップが、紫己の口のなかに埋もれた。くちびるのキスは互いの温度差がなく気づかなかったけれど、思った以上に口内は熱を持っている。

 紫己は胸先を含んだだけでなく、キスのように突起に舌を絡めてきた。そこがいきなり過敏になったと思うのは気のせいか、ぞくっとしたふるえが背中を襲い、全身へと及んだ。
 紫己はいったん朱実の胸もとから離れ、これで終わりなのか、とがっかりした気持ちは否めない。けれど、その落胆は不必要で、すぐさま反対側に移って同じように快感を教えられる。胸の敏感さを知ったからといって反応は和らぐものではなく、朱実はびくっと躰をふるわせた。
 空いた片方の胸先は、紫己の指先がつまんだ。
「んあっ……高階さ……!」
 口のなかではくるくると転がされ、指先では適度な圧力でこねまわされる。どっちの感覚も鋭くて集中できず、二重に襲ってくる快感を逃すことがかなわない。発生する感覚を受けとめるしかなく、快楽は胸から躰の奥へと浸透していった。触られてもいない躰の中心が疼く。

「高、階さ……あふっ……待ってっ」
 躰をひねりながら頭上に伸びあがろうとすると、逆に、びくともしない腕で腰を抱かれ、逃亡を喰いとめられる。
 紫己は待つどころか、さらに刺激を与えるべく吸引した。
 あ、あふっ。
 びくびくと背中が跳ねる。
 紫己は出し抜けに、指先に摩撫されていた側に移った。トップを咥え、熱い舌で胸先を弄ぶ。
 摩擦されていたぶんだけ神経は尖り、加えて、指先とはまったく違う刺激がよけいに鮮明な感覚をもたらす。
 逃げようとするのは無意識なのか、朱実は少しでも快楽を遠ざけようと躰をよじった。それは無駄な抵抗にしかならない。紫己は追いつめる意思を持って攻め始めた。
 懲らしめるように、もしくは、ただ快楽を教えるために必死に。紫己の意思はどちらだろう。そんなどうでもいいことを、朱実は考えているわけではなく、ただ疑問として思い浮かべた。気を紛らそうとする、無意識下の努力かもしれない。

 そうしてトップを大きく口に含み、紫己は呑みこむように吸いあげた。紫己の口の奥深くで胸先がうねるような舌に巻きこまれる。耐えられない、と抵抗をやめた瞬間、躰の中心へと快楽が放出され、触られてもいないそこがドクンと疼いた。
 あ、あ、あ、ん――っ。
 この感覚はどうにも説明できない。胸を触れられただけなのに軽く快楽が弾けた。
「あと一回だ」
 云い渡した声は低く、脅迫じみている。
 快楽というのは自分でコントロールができない。それを知った朱実は、せん動する躰をさらにぷるっとふるえさせた。

 紫己は胸の谷間にくちびるを置く。ぴくっと跳ねた朱実にかまわず、舌を這わせ、みぞおちへとおりていった。伴って、躰を下のほうへとずらしていく。
 舌がおへそに到達すると、その周囲を取りこんでびくりとうねり、朱実はあまりの感覚に悲鳴をあげた。躰の奥が疼痛に襲われる。快楽とはまた違う。逃れたくても紫己の手が腰をつかんでそれを許さない。
「おへそは嫌っ……ダメっ」
 聞いてくれないかもしれない。そう思いながらも訴えてみると、紫己はあっさりと引いた。そして、キスは下腹部へとまっすぐにおりた。
「高階さん!」
 朱実の声は聞こえたのか、紫己はかまわず、朱実の腿をつかんで持ちあげ、左右に広げた。
「あ、やっ」

 羞恥心はいまさらかもしれない。昨夜はもっとひどい恰好でそこを見られた。ただ、昨夜といまの紫己は違っている。どちらが本物かはわからないが、紫己のなかにふたりいるような気がしている。共通点は、やり方が違っても自分の意を通すところだ。
 紫己の呼吸が躰の中心に触れる。直後、突起が熱い粘膜に覆われ、舌がペタリと吸着した。
 あ、あふっ……。
 これだけのことで喘いでしまうのなら、その次の段階ではどうなるのだろう。
「濡れてるのがわかる?」
 いったん顔を上げて訊ねた紫己は、指先で剥きだしの突起に触れる。そこから滑りこむようにして体内に指を潜らせた。確かにぬるぬるした感触はあって触られても痛くはない。それよりも、指先が動くたびに躰がくねってしまう。
 朱実がうなずくと――
「あとは感じるだけだ」
 と、紫己は云い、指を抜いて再びくちびるを寄せた。いきなり吸いつかれると、漏れだしそうな感覚に陥った。
「あ、だめっ……出て、しまいそうっ」
 拒絶の言葉は、こういうときは重んじられない。それは、無理やりか否かは関係なく共通している。

 紫己は舌先で先端をつつき、弾くように動かす。ぷるぷると朱実のお尻がふるえだす。ひとしきり戯れたあとまた吸引されると、今度ははっきり体内から蜜が滲みだすのを感じた。舌がそれをすくうように舐めとる。吸着された三度め。とくんと音が立ちそうな感触でこぼれだし、お尻を伝っていく。それをまた紫己がすくった。
 そうして、少しずつ場所を移動しながら吸着されること三度め、そのたびにびくびくしていたお尻がしばし硬直した。
「あ……も……だ、めっ」
 精いっぱいで限界を伝えても、紫己は吸着することをやめない。快楽は止まることもおさまることもなく上昇していくだけで、朱実は脳内が融けそうな怖さに襲われた。
 喰いとめる方法は見つからず、快楽の果てにたどり着いた。
 悲鳴が迸ったのは一瞬、その後は悲鳴をあげる力もないほど、快楽に制された。びくんと大きく跳ねる腰とは真逆に躰は弛緩している。

 紫己はようやく口を離し、躰を起こすとぴくぴく痙攣する躰を見下ろした。最後まではやらないと、それは守れても、躰の反応は抑制できない。オスの自己主張を無視して、朱実の隣に横たわった。
「今日、仕事だろ?」
 躰をふるわせながらも朱実はハッとして目を見開いた。照明はついて部屋は明るいが、カーテンは閉じられたままで明るいのか暗いのかもわからない。
「いまは五時すぎたところだ。もう少し眠っていくといい。ちゃんと起こすから」
 云いながら、紫己はなだめるようなしぐさで朱実の額にかかった前髪を払う。
「目が覚めたときはいまのことだけ憶えていてほしい。無理だろうけど、そう願ってるってことを忘れないでくれ」
 朱実のくちびるの端に口づけて、それから左右のまぶたにそうして目を閉じさせた。

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